恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

カテゴリ: 彼の気持ち

もしかして自分は
あべこべの世界を
生きているのかもしれない

美しく素晴らしく
愛に満ちた世界とはあべこべの
苦しく辛く悲しく
孤独な世界に

自分がずっと
生きているのかもしれない

そう言われてみれば
今いるこの世界は
「あべこべ」なのかもしれない

思い当たることが
少しでもあるなら

だったら
彼だって
そうなのかもしれない。

彼も
同じように

「あべこべ」の世界を
生きているかもしれない。





人に弱味を見せたら
手を貸してくれる
とは思えず
人に弱味を見せたら最後、
がっかりされてしまうはずだ
と思う。

成果や結果も大事だけれど
プロセスだって同じくらい大事だし
プロセスそのものを楽しむことだって
あっていいのではないか
とは思えず
成果がすべてだ
と思い込んでいる。

人に本心を打ち明けたり
ネガティブな感情を見せたら
よりお互いの心が近づく
とは思えず
人に感情を見せてもきっと
拒絶されるか無視されるか
迷惑をかけてしまう
と思う。

問題は
自分ひとりで解決すべきだと
決めつけている。

感情的になるのは
男らしくないと思う

誰かに心を開けば
きっと傷つけられる
と怯えている。

誰かに近づきすぎたら
自分が自分じゃなくなってしまう
と怖れている。

大切な人が
悲しそうな顔をしていたら
それは
自分に責任があると思う。
自分が責められていると思う。

何も力になれないなら
声をかけてはいけないと思う。

常にリードしなければ
男性として無価値だと思う。

行動にしか意味がないと思っている。
共感しかできないなら
役立たずだと思っている。

一度でも失敗したら終わりだ
と焦っている。

余裕のない姿を見せたら
失望されると思う。

何も与えられなくなったら
嫌われてしまうと思い込んでいる。

ありのままの自分では
愛されるわけないと確信している。

愛は条件つきのものだ
と思っている。

どんな恋人も
いつかきっと
自分に愛想を尽かして
離れていってしまうと
そう思っている。





「あべこべ」の世界に生きるのは
女性だけではありません。

その人生のはじまりに
世界に入り口に立ったとき

「役立たずは歓迎しないぞ」
というメッセージを受け取ったり

「弱虫は追放するぞ」
と脅されたり

「有能でなければならない」
「強くなければならない」
「役に立たなければならない」
「活躍しなければならない」
「尊敬されなければならない」
たくさんの規律が書かれた
ルールブックを渡されたり

そうやって
世界がぐるりと反転してしまった男性は
少なくありません。

女性だけじゃない。

「あべこべ」の世界で
愛が信じられない男性だって
たくさんいます。

きっと
女性と同じ数だけ
いるのです。




「あべこべ」の世界で
生きづらく生きるふたりが

あるとき出会って
恋をして
心がめいっぱいに開いたそのとき

まず
世界の入り口に立つ前の記憶が
ふわっと無意識に
甦ります。

この扉を開けたら
どんな世界が待っているのだろう。
この世界で
どんなに素晴らしい経験ができるだろう。

希望に胸をふくらませ
ワクワクして扉に手を掛けていたときは
まだ
愛を信じていたにちがいない。

たとえ愛を知らなくても
素直に信じて受け入れられるだけの
まっさらな心でいたにちがいない。

彼の大きな腕に抱かれているとき
彼女の小さなからだを包み込むとき

無垢に純粋に
愛を信じられたときの記憶が
ふたりの心に甦るのです。

まぎれもなく
愛がそこに存在するのを
感じます。

ふたりで。
ふたりとも。
一緒に。




だけど
その至福の時間は
あまり長続きしません。

まっさらの心で
愛を信じた
その次の瞬間、

扉を開けたときの記憶が
また無意識に
甦ってしまうのです。

歓迎されなかったこと。
祝福されなかったこと。
そのことで
自分を責めたこと。

怒りも悲しみも
小さな心に閉じ込めて
蓋をしたこと。

誰も
ようこそ!と
手を差し伸べてくれなかったこと。

誰も
生まれてきてありがとうと
抱きしめてくれなかったこと。

世界の入り口に
立ったばかりのそのときに
ひとりぼっちで
置き去りにされてしまったこと。

その記憶が
甦ってしまいます。

「あのときと同じ」。

無垢の心で
愛を信じたばっかりに
傷ついて辛い思いをした。

愛される自分ではなかったのに
期待したぶんだけ
絶望も深くなった。

だから
余計に怖くなる。

またくり返して
悲しい思いをするくらいなら、と
自分から離れてしまう。
自分から壊してしまう。

そうして
「あべこべ」の世界に
戻ってしまいます。

どんなに生きづらくても
なじみのある方が安心。
だから
「あべこべ」の世界に
いつづけてしまうのです。




自分の土壌が「あべこべ」で
彼の土壌も「あべこべ」だったら

彼より先に
自分の「あべこべ」を
元に戻していくことです。

彼のオセロの石まで
ひっくり返していくには

自分のエネルギーが
まだ足りなさすぎるから。

まずは
自分自身が
あべこべじゃない世界に立つこと。
本来あるべき世界に戻ること。

彼のことはそのあと、

自分自身が
栄養たっぷりの土壌によって
支えられてから。





ただ

彼のあべこべを
直してあげることはできなくても

彼の世界のあべこべさを
理解することはできます。

あべこべの世界に生きる自分だからこそ
彼の世界が
どんなにあべこべなのか
わかるはずなのです。

あべこべに生きることが
どんなに苦しいことか。

あべこべしか信じられないことが
どんなに寂しいことか。

はたから見れば
滑稽にさえ見えるあべこべが
本人にとっては
いかに切実なものであるか。

あべこべの土壌に
蒔かれてしまった種の
やり場のない悲しみがわかるのは

同じあべこべを
生き抜いてきたいのちだけ。

裏返しになった世界で
たくさんの棘を自分に向けて
心を傷つけてしまう、
その痛みが
どんなものであるのか、

同じ痛みを知るからこそ
わかることもあるはずです。




自分が
あべこべの世界に生きているのなら

もしかしたら彼だって
あべこべの世界にいるのかもしれない。

そう思えば

冷たく見えたり
不器用に見えたり
意味不明に思える
その愛が

ただ
あべこべになっていただけだったのだと
少しずつわかるようになる。

あべこべでも
あべこべなりの愛があると
感じられるようにきっとなる。

そういう風に思います。


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彼は仕事を頑張ってる。

そう。
頑張ってる。
すごく頑張ってる。
とにかくすごく
仕事を頑張ってる。

でも
どんな風に?






頑張り方にもいろいろあって
人それぞれ、千差万別。

たとえば

どんなにしんどいときでも
肉体的精神的に限界ギリギリのときでも
愚痴は言わず
顔には出さず
顔色ひとつかえず
黙って淡々と
やるべきことをやる
という風に頑張っているのか。

たとえば

割り当てられたタスクは
できるだけ速く片付けて
次、次、また次と
竜巻のような勢いで
別のタスクも引き受けて
どんどん片付けていく
という風に頑張っているのか。

たとえば

スピードはさほどでもないけれど
完璧な正確さと丁寧さでもって
ひとつひとつ仕上げていくような
頑張り方をしているのか。

たとえば

ともすると荒れがちな
人間関係のこじれや
客からのクレームが多い職場で
どんなときも明るく笑顔で
ほがらかに大きな声を出して
スタッフを元気づける
という頑張り方なのか。

たとえば

戦略的かつ論理的、革新的な思考で
あらゆる問題を次々とやっつけ
上司であっても臆さず
堂々と意見を言い、さらに結果も出し
まさに有言実行の
自分自身を追い込むような
頑張り方をしているのか。

仕事をしている彼を
見たことはないけれど

彼から仕事の話を聞いたことは
あんまりないけれど

それでも
彼ならきっと
こんな風に頑張っているはず、
と想像することができるかどうか。




彼の頑張り方が
「頑張っているのだ」と
他の人は誰も気づかないかもしれない。

無表情で無口で
職場に溶け込めないやつだ
と思われてるかもしれないし

スピード感があるのはいいけど
ミスが多くて困るよな
と陰で言われてるかもしれないし

納品したもののレベルは高いけど
あんなに時間かかるのも問題だと
評価されてるかもしれないし

空気読まずにうるさいよねとか
いちいち楯突いて生意気だとか

彼は
彼のやり方で頑張っているのに

誰もその頑張りに
気づいていないかもしれない。

むしろ
頑張ってないと
思われてるかもしれない。 

社会なんてそんなもの。
世間なんてそんなもの。
世の中けっこうせちがらい。




もしかしたら
彼の頑張りは
その頑張り方の不器用さゆえ
わかりにくさゆえに

正当に評価されていないかもしれない。

それでも
彼は頑張り方をたぶん変えない。

自分のやり方で
役に立てると信じているし
これしかできないとも思っている。

そんなときの彼は
孤高の人。

誰もわかってくれなくたって
このやり方でやるんだって
ちょっと意固地になりつつも

いつかは
誰かがきっと
わかってくれるはずなんだと

誇りを胸に抱いて
彼の道を突き進む。





頑張る彼を応援したいなら

彼の頑張り方をまず知ろう。
誰よりもよく知ろう。

彼の美学
彼の信念
彼の誇り。

職場を知らなくても
仕事の話を聞いていなくても

何気ない仕草の中に
業務連絡みたいなメールの中に
簡潔すぎるLINEの中に

ヒントはきっとある。

世界中を敵にしたって
味方なんだと言うなら

誰よりも
彼の素晴らしさを知ってると言うなら

彼じゃなきゃ
他の人じゃダメなんだと言うなら

もっと
もっともっともっと
彼のことを知ろう。

彼の頑張りを見つけよう。

もっと、
もっともっと
もっともっともっともっと。

彼をよく見て。





誰にも気づいてもらえない
わかりにくく隠された
しかし信念を込めた
彼の頑張りを

彼女が知っていてくれたら

孤独な誇りを
彼女が抱きしめてくれていたら

そんな彼女を
彼はきっと離さない。



そういう風に思います。

 

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世の中の人を
二つに分けるなんて
大ざっぱすぎるけれど

「行動の動機」という点から
人を二つのタイプに分けるとしたら

報酬がほしい人と
失敗したくない人
に分けられます。




「報酬がほしい人」は
人から褒められたいとか
人に良い評価をされたいとか
人によろこばれたいとか

この行動によって
何かしらのごほうびが
手に入るのではないか、
という期待から行動を起こします。

よく言われる
「承認欲求」というのもこれ。

つまりは
アメとムチで言うところの
アメがほしい人で

飴玉の甘さを知っていて
その甘さを味わいたくて
行動する人。

もしかしたら
その飴玉は
思ったより甘くないかもしれない。

飴玉がもらえる可能性よりも
うまくいかない可能性の方が
高いのかもしれない。

それでも
「報酬がほしい」
「報酬がもらえるかも」
ということが
行動のモチベーションになり

実際に
行動を起こします。

そして
そのときは残念な結果に終わったとしても
別のチャンスが巡ってくれば
やっぱり
飴玉を手に入れたいと
行動を起こす人。

リスクよりも
リターンを期待して
行動する人。
行動せずにはいられない人。

「報酬がほしい人」は
そういうタイプです。




「失敗したくない人」は
人に失望されたくないとか
人に悪い評価をされたくないとか
人を悲しませたくないとか

自分の行動によって
何かしらネガティブな反応が
返ってくるのではないか、
という怖れから
行動に慎重になりがちです。

ある意味では
承認欲求とも言えるかもしれないけれど
その承認は
「ダメじゃないよ」という
少しばかりややこしいもの。

つまりは
アメとムチで言うところの
ムチを怖れる人で

ムチの痛さを知っていて
その苦痛から逃れたくて
行動する(あるいはしない)人。

もしかしたら
思ったほど痛くないかもしれないし

ムチで打たれる可能性よりも
うまくいく可能性の方が
高いかもしれないのに

それでも
「失敗したくない」
「うまくできないかも」
ということが
ネガティブな原動力となって

どちらかというと
行動を起こすことに慎重になります。

やって失敗するよりは
やらないでいるほうがマシ
と考える人。

どんなに甘い飴玉が
ごほうびに用意されているとしても
何度かはうまくいったとしても
やっぱり
次のチャンスのときには
ムチで打たれることを想像して
行動を躊躇する人。

リターンよりも
リスクを怖れて
行動をためらう人。
行動することをやめてしまう人。

「失敗したくない人」は
そのようなタイプです。




たとえば
SNSに投稿するかどうか迷ったとき

報酬がほしい人は
「いいね!」がたくさんもらえたら
ちょっとうれしいものだから
迷ってもやっぱり
投稿します。

結果的に
期待したほど「いいね!」がつかなくても
少しガッカリはするけれど
また次のときには
迷って
やっぱり
投稿することを選びます。

反対に
失敗したくない人は
「この投稿おもしろくない」と
誰かに思われたりしたら
ちょっと嫌だから
迷ったあげく
投稿をやめます。

思いきって投稿してみたら
思いのほかたくさんの
「いいね!」がつくかもしれないのに
次に迷ったときには
やっぱり
投稿しないことを選ぶものです。




たとえば
付き合っている関係が
ちょっとギクシャクしているというとき

報酬がほしい彼女は
「話し合えばわかりあえるかも」
と考えて
お互いの気持ちを言い合おう
とことん感情をぶつけ合おう
そうして
どんどん行動に出るけれど

失敗したくない彼は
「話し合ったら自分が負けるかもしれない」
「大きな声で言い合いになってしまうかもしれない」
「今よりもっと険悪になるかもしれない」
と考えて
正直な気持ちをぶつけ合うなんて
絶対に嫌だと
どんどん動かなくなってしまうことも
あるのです。




アメがほしいか
ムチをおそれるかは

そもそもの性質であるから
自分で意識して変えようとしても
なかなか変わらなかったり
変えることそのものを
苦痛に感じたりします。

あまり
無理に変えようとすると
ほかのところがきしみます。

そして
いざというとき
ここぞというとき
大事な選択をしようとするときほど

この
もともと持っている性質が顔を出し
期待が強くなったり
怖れが強くなったりして

自然に本能的に
どう行動するか、
あるいは行動しないでおくか
が決まります。





どちらのタイプが良くて
どちらのタイプが劣っているとか
そういうことではありません。

どちらにも
長所と短所があり
どちらにも
損得があります。
どちらのタイプで生きても
よろこびがあり
悲しみも痛みもある。

ただ
そういう傾向がある、
というだけのこと。

大切なのは
自分がそういうタイプだからといって
その考えに
相手を当てはめないこと。

もっと連絡をくれたら
もっとたくさん愛してあげるのに
なぜ彼は連絡をしてこないの?
彼は愛情がほしくないの?
なんて決めつけて
ひとりで悲しくならないこと。

仕事でストレスを抱えてるなら
話してくれれば力づけるのに
味方になるのに
なぜ彼は話してくれないの?
なぜ彼は助けを求めないの?
なんて決めつけて
勝手に孤独ぶらないこと。

彼が
仕事ばかり優先して
なかなかデートしようとしないのは
アメがほしくないからじゃない、
ムチが怖いだけかもしれないと
想像してみること。

自分が期待しすぎているなら
期待を少し減らしてみること。

彼の怖れが強すぎるなら
安心させるように手を貸すこと。

彼の怖れが
自分にはどうにもできないものなら
これ以上
彼の怖れを大きくしないこと。

怖がる彼を
しずかにそっと見守ること。




人は皆
期待と怖れのはざまで
揺れ動きながら

愛されると期待を抱き
愛されないと怖れながら

行動したり
行動しなかったり

ただひとつだけ
どちらにも共通していることは

行動するのもしないのも

「相手がどうか」
ということではなく

すべては
あくまでも
どこまでいっても 
本人の心の揺らぎであるのだと

そういう風に思います。


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ごきげんでいること
リラックスしていること
いい気分でいること は

たぶん
女性のほうが得意です。

まわりの空気まで緩むような
いい香りが漂うような
ふわっとした挨拶とか

頬から口元にかけて
しずかにたたえたような微笑みとか

キラキラしたものが
こぼれ落ちてくるような笑顔とか

うふふふと
こんぺいとうが転がるような笑い声とか

そうした機嫌の良さは
女性の特権です。




もちろん
男性にだってあることはあります。

だけど
男性というのは
いい気分で微笑んでなんていたら

タックルされて
ボールを奪われたり
振り向きざまに
ストレートパンチをくらったり
出し抜かれて
獲物を奪われてしまわれたり
マンモスに
踏みつけられてしまったり

油断したばかりに
とんでもないことになるんじゃないか
そんなことになったら
男として失格じゃないかと

勝手に想像して
怖れていたりもするので

なかなか
ごきげんでばかりも
いられないものなのです。

そうそう
女の子みたいに
ふわっと微笑んでばかりも
いられない。

男って
なかなか大変。





だからこそ

彼女には笑っていてほしい。
彼女の笑顔で癒されたい。

その口元の
たたえるような微笑みを

キラキラと
こぼれ落ちるような微笑みを

うなだれて
顔も上げられないときには
思い出したい。

思い出して
また立ち上がる力にしたい。

何もできないとき
そんな自分に嫌気がさして
恥ずかしくて情けなくて
穴でも掘って
その穴に隠れてしまいたいときでも

どんなときでも
笑っていてほしい。
どんな自分にも
笑いかけてほしい。

彼の望みは
とてもシンプル。
そして
あまりにささやかなものです。






ごきげんでいること
リラックスしていること
いい気分でいることで

自分が損することなんて
何ひとつありません。

ごきげんでいれば
ごきげんだし
いい気分でいれば
いい気分なのだから

それが
女の特権なのだから

しかも
彼もそれを望んでいるのだから

そうしない手はないのです。

あえてわざわざ
ふきげんでいることもないし
身構えてからだを硬くすることもないし
嫌な気分でいることを選ばなくたって。

なのに
そうできないでいるのは

自分だけが耐えてるから。
自分ばっかり辛いような気がするから。
いつも自分が折れている気がするから。
不公平だから。
理不尽だから。
みじめと思うから。

彼は何もしてくれないのに
彼が愛情を与えてくれないのに
彼はやりたいようにやっているのに
自分ばかりが
損したような気になるのは

ごきげんでいることに
何かの見返りを期待するからかも。

微笑みで
取引しようとするからかも。

自分の気持ちを
後回しにしすぎているからかも。

彼の愛情と引き換えに
無理して
いい気分に見せかけようと
頑張りすぎているから

だから
出し惜しみしたくなってしまうのかも。





彼女がごきげんで
リラックスした笑顔を見せることほど
彼を癒すものはないけれど

だけど
「彼を癒すために笑わなければ」と
作り笑いをするのは

それはちがいます。

ごきげんでいるのは
自分がごきげんでいるため。

リラックスしてるのは
自分がリラックスするため。

いい気分でいるのは
自分がいい気分に浸るため。

ぜんぶ
自分の心が
すこやかでいられるためのこと。

決して
彼のためではないのです。





誰にも愛されない自分なんだ
と寂しくなったときほど

彼の心が遠くなった気がして
むなしさに襲われたときほど

笑って。

心の内側から
砂糖菓子のようなほほえみが
こぼれてくるのを
感じて。

いつもより
ちょっとだけ顔をあげるだけで
口元を少し緩めるだけで

自分の心と
大切な人の心を
やさしくあたためることができると

信じて
笑ってみて。

できないなんてことはない、
女の子なら
誰だって
きっとできる。

そういう風に思います。


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口下手で
言葉で表現することが
めっぽう苦手な彼ならば

その
ぎこちない言葉のひとつひとつを

とりこぼさずにしっかりと
壊れないようにそっと

できるだけ
彼が伝えようとしたそのままに
受け取りたい。




お互いに
理解しあうプロセスの中では

どちらかだけが
一方的に努力して
どちらかは
一方的にあぐらをかいて
というわけにはいかないし

もちつもたれつ
お互いさまに
伝えたり伝えられたり
与えたり受け取ったり

コミュニケーションを
循環させることが大切。

だけど

こと「言葉で表現する」ということに関して
また「気持ちを表す」ということに関して

彼が
それを苦手とするならば
できれば少し、歩み寄りたい。






たとえば
料理が苦手な彼女がいて
彼のために
手料理をふるまうことになったとして

ぶっつけ本番
というわけにはいかない。

冷蔵庫にあるもので
ぱぱぱっと手際よく作る
というわけにもいかない。

彼のリクエストを
なんでも作る
というわけにもいかない。

メニューを考えるところから
悩みはじめて
レシピを探してよくよく読んで
材料を買い出しして
場合によっては
何度も練習して
家族に試食してもらって
包丁で切ったりヤケドしたり
ばんそうこうだらけの指になって

それでも
いざ本番となれば

肩に力が入るし
想定外のハプニングもあるし
段取りがうまくいかなくて
下ごしらえを一つ忘れて
盛りつけだってぐちゃっとして

そうそう
うまくいかないこともある。

本人だって自信がない、
イマイチななその手料理を
おそるおそる
彼に出してみたら

「何これ、味だいじょうぶ?」なんて
バカ正直すぎる反応だったり

「もう無理して作らなくていいよ」とか
「食べられないことはないよ」とか
気をつかってくれることが
かえって傷つく反応だったり

彼の方が料理上手だったりすれば
「これからは俺が作るよ」と
さらっと言われたりして

単に
料理が得意じゃない
というだけのことが

その料理に込めた愛情まで
彼をよろこばせたかった気持ちまで

失敗したような
全否定されたような
もう二度とやるまいと思うような

やるせなく
悲しい気持ちになるもの。




だけど
そのとき彼が

「料理が得意じゃないのに
 よくここまでできたね」
「作ってくれるその気持ちがうれしいよ」と

笑ってそう言ってくれたら

苦手なことに挑戦したことや
自信はないけど
彼によろこんでもらいたくて
頑張ったこと、

つまりは
料理という愛情表現が
彼に伝わって
彼が受け取ってくれたことがわかって

ホッとするし
うれしくもなります。

苦手なことだったけど
頑張ってよかったなって思うし

もっと上手になりたいと
努力する気持ちが生まれるかもしれない。

何より

彼に対して
料理という愛情表現をすることが
こわくなくなるかもしれない。





料理が苦手な彼女と同じように
言葉での表現が苦手な彼がいて

そんな彼が
苦手意識をなんとか乗り越えて
勇気を出して送ってくれた
ほんの数行のメールやLINEなら

たとえそれが
ぶっきらぼうで
そっけなく
何が言いたいんだか
よくわからないような
愛情表現とはとても言えないような
代物であったとしても

苦手なことに挑戦したことや
自信ないけど
彼女のよろこぶ顔が見たくて
頑張ったことは

取りこぼさずに
しっかりきちんと
受け取りたい。



言葉での表現が苦手な彼に

「もっとメールして」と言うのは
料理が苦手な彼女に
毎日ごはんを作ってくれと
求めるのと同じこと。

「もっと気持ちを込めて」と言うのは
栄養バランスも考えてと
注文をつけるのと同じこと。

「仕事中でも1分あれば返信できるでしょ」
と言うのは
冷蔵庫の残り物で
ぱぱっと数品つくってよと
無理難題を出すのと同じこと。

自分にとって
何の苦もなくできることだからといって
相手もそうだとはかぎらない。
相手に求めていいわけでもない。

苦手な人にとって
苦手なことをするということが
どれだけ勇気のいることか、

苦手なことに挑戦したあげく
受け取ってもらえないということが
どれだけかなしいことであるのか、

自分が
苦手なことを求められたら
果たしてどれだけこたえられるだろうか、
相手を満足させることができるだろうか、と

少し想像してみれば
簡単にわかること。

彼にとって
もっとも苦手なことを求めておいて
その出来不出来で
自分への愛情を計るなんて

いったい
コミュニケーションって
愛情表現って
なんだろう。




言葉が苦手な人が
言葉で愛情表現をしてきたのなら

タイミングがどうであれ
その内容がどうであれ
その言葉づかいがどうであれ
絵文字があろうとなかろうと
愛のことばがあろうとなかろうと
かしこまっていようと
他人行儀であろうとも

まずは
「大丈夫。そのやり方で伝わるよ」と
伝えたい。

彼のやり方で
じゅうぶんなのだと伝えたい。

苦手でも
ちゃんと伝わるんだと
安心させたい。

不慣れでぎこちない
細かな配慮に欠けた言葉でも
そこに込められた
彼の心はあたたかいことを
「ちゃんと知っているよ」と
知らせたい。

苦手なことをすることが
愛情の証ではないし
苦手なことをさせることが
当然の権利でもない。

ただ
そこにある心を贈り合うこと。

イマイチな料理でも
ぶっきらぼうな言葉でも

その中にある
あたたかな気持ちを
壊れないようそっと受け取って
こぼれ落ちないようしっかり抱きしめて

「ありがとう」と
笑顔で返すことができればと

そういう風に思います。


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「話がある」と
あらためて言われると
ちょっと身構えてしまう人は
少なくないものです。

上司から言われれば
何かミスでもあっただろうか
と心配になったり

恋人から言われれば
別れ話だろうか
他に好きな人でもできたのだろうか
と不安になったり。

相手は
「話がある」と
ひとことそう言っただけなのに
心配になったり
不安になったりするのは

つまり
もともと受け取る側の心に
何かしらの「怖れ」があって

「話がある」とだけ言われて
話の中身がわからないときに

自分の怖れと
わからない話の内容とが
勝手に結びつくわけです。




心から信頼している親友から
「話があるんだ」
と言われれば

何の怖れもなく
受けとめることができるものです。

なんだろう?
結婚報告かな?
赤ちゃんができたかな?
転職の相談かな?

まさか
「私と絶交したいのかしら…」
なんては思わないもの。

そこには
「怖れ」がないからです。




進路のことで
意見が食い違っていた子どもから
「話がある」
と言われれば

悪い話じゃないでしょうね
とんでもないことを言い出したりして
まさか高校に行かないつもり?
それならもっと強く言い聞かせなきゃ、と

話を聞く前から
知らず知らず無意識に
叱りつける準備をしていたり
ということもあります。

そこにもやっぱり
「怖れ」があるのです。




共感を
何よりも重視する女性は

付き合っている彼とのあいだに
溝ができたり
すれ違いを感じたり
お互いのペースが違いすぎて
無理が続いているときには

そのことについて
彼と「話し合いたい」と考えます。

「話がある」とか
「少し話したいんだけど」と
切り出します。

それは別に
そんなに大げさなものではなく
深刻なものでもなく

ただ
自分の思いを聞いてほしいだけ
自分が望む関係を知ってほしいだけ
ということが多いのだけれど

そこで
彼の側に
何かしらの「怖れ」があると

彼は
逃げたり
拒絶したり
沈黙したり
します。

もしくは
「俺は話し合いたくないから」と
こちらが話す前から
けんか腰になったりします。





「話がある」という彼女の
その話の内容に
どんな怖れを抱くかは

人によってさまざまです。

たとえば
小さい頃から
口うるさいお母さんに
何かあるとすぐ
「ここに座りなさい」と呼びつけられて
こんこんとお説教された、
それが嫌でたまらなかった、
という彼なら

彼女から
「話がある」と言われただけで

また叱られる!
と勝手に思うかもしれません。



たとえば
自分の愛し方に自信がなくて
彼女を幸せにできてないという
自覚のある彼なら

彼女から
「話がしたい」と言われただけで

別れ話だ!振られる!
と勝手に思うのかもしれません。



たとえば
「彼女の問題は自分が引き受けて
 解決しなければならない」
と思い込むような
まじめで責任感が強い彼なら

「彼女と話をする」という行為は
言葉どおり
単に話をするということではなく

ふたりの関係にまつわる
とてつもない困難を
背負わされてしまうのではないか、
と勝手に想像するかもしれません。



たとえば
連絡不精だったり
音信不通にしていて
そのことを
自分でも悪いと思っている彼なら

「話がある」と言われるどころか
着信があったり
LINEの新着サインがあるだけで

責められるに違いない
催促されるに違いない
理由を問い詰められるに違いない
と逃げ腰になるかもしれません。





どれもこれも
彼が勝手にそう思っているのであって
彼自身の「怖れ」が原因なのであって

「怖れ」なんかに負けずに
男らしく
逃げずに話を聞けばいいし
聞くだけ聞いてから
策を講じればいいのだけれど

「話をするからには
 解決しなければならない」
と考えるのが男脳なので
なかなか
話に応じようとはしないのです。

歯がゆいけれど
仕方ない。
イライラさせられるけれど
どうしようもない。

「話し合い」をめぐり
彼と彼女の間には
いっそう距離ができてしまいます。




彼と
話がしたい
話し合いたい
話を聞いてほしい
だけど
彼は応じてくれない
というとき

まずそこに
「話し合うことによって
 彼を変えようとしてはいないか」
ということを
自分の胸に問うてみて

「変えようとはしていない、
 ただ自分の思いは伝えたい」
「伝えた結果、
 彼がこたえなくても仕方ない」
さっぱりとそう思えるのなら

こんな切り出し方もあります。



「聞いてほしいことがある」。



ニュアンスは
とてもよく似ているし
実際に話す内容だって
実はそう変わらないのだけど

「話し合いたい」ではなく
「聞いてほしい」の方が
多少なりとも
軽く感じられるのです。

「少し話したいんだけど」よりも
「ちょっと聞いてくれる?」の方が

「話する時間ある?」よりも
「聞いてほしいけど時間ある?」の方が

彼の怖れと
結びつきにくいのです。

「話がある」と言われると
彼について
何か話があるのだろうか
それは不満ではないだろうか
と思ってしまうこともあるけれど

「聞いてほしいことがある」と言われれば 
彼女が彼女自身について
何か話したいことがあるようだ、
それは
ただ聞いてあげればいいらしいから
自分が解決しなくてもよさそうだ、
と思えば

すんなり耳を貸してくれる
ということがあるわけです。




恋人関係じゃなくても
たとえば
親子であるとか
上司と部下であるとか

お互いに
何かの「怖れ」があって
素直に話すことができない
というときには

「聞いてくれますか」
という姿勢で歩み寄ると
うまくいったりするものです。




もちろん
そこまでしないと
聞いてくれない彼なんて
こっちからおことわりよ

と思うなら
それはそれでいいのです。

ただ
ただただ 
心からの気持ちを伝えたいとき、
彼と出会えてよかった、
この感謝を伝えたいというとき、
自分の近況で
どうしても報告したいことがあるとき、

だけど
聞こうとしてくれない
連絡がままならない
というときには

「聞いてくれる?」と
切り出してみたら 
「聞いてもらっていい?」と
お願いの形ではじめてみたら 

案外にすんなりと
「怖れ」を手放して受けとめてくれる
ということが
あるのではないかなと


そういう風に思います。



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孤独ですよ。
ほんとに。

言ってみれば
まわりの環境っていうのが
ある程度その…なんだろ
自分の精神状態であったり
肉体であったり
そういうものに
すごく左右してくるんですけど

でも
それを遮断しないと
自分が思っているパフォーマンスが
できないんですよね。

だから
ある意味で

孤独に「させてもらいたい」。

(情熱大陸 羽生結弦/900回記念放送〜スーパーヒーローの「強さと弱さ」を解く)



フィギュアスケーターの羽生結弦さんは

喘息の持病というハンデを抱えながら
大震災後には練習するリンクさえ失って
それでも
19歳という年齢で
オリンピックの金メダリストとなった人で

彼が乗り越えてきた苦難や
耐えてきた過酷な練習や
挑戦しつづけた長い年月を思えば

その
意志の強さ
集中力の高さは
桁外れのものに違いないのだけれど

けれど
そんな彼でさえも

まわりの環境を遮断しないと
思っているパフォーマンスができない
と言うのです。

あの若さで
あんなにも強靱な
精神力を見せつける
彼でさえも。




孤独であることに
寂しさがないと言えば
きっと
うそになるけれど

でも
その孤独を生きなければ
成し遂げられないことが
あります。

大きな孤独に襲われて
潰れてしまいそうな夜には

誰かのぬくもりを感じながら
何も考えずに眠れたらと
そう思うことがあったって

その孤独な夜を
乗り越えることができなければ
見られない景色も
あります。

羽生さんほどの
世界的アスリートではないのだし
金メダルを狙ってるわけじゃないから
彼には関係ない話、
なんてことはないのであって

しがない一介のサラリーマンで
歯車のように
働きアリのように
あくせく働く彼だって

同じ孤独を生きていることに
かわりはないのです。

『情熱大陸』の密着取材もない
誰ひとり見向きもしない
日々の経済活動の中に
埋もれてしまうような仕事でも

彼が
彼なりに
最大のパフォーマンスを目指して
孤独に生きることを選んだのなら

それこそが
彼の誇りにちがいない。




(自分は弱い人間ですか?)

弱いです。
めちゃくちゃ弱いです。

弱いからこそ
そこで遮断しないと
まだできないんですよ。
そこまでもっていけない。

強ければ
まわりが何言おうと
まわりがどんな環境であろうと
関係なく
自分をつくり出せると思うんですけど

ただ
自分がつくり出せない理由は
弱いからだと思います。




遮断された彼女が
理解してくれなくても
「人としてどうか」と
ジャッジを下そうとも

彼は
孤独でいることを選び
そうして
勝負をかけたのだから

誰が何と言おうとも
それが
彼の誇りにちがいない。

そんな弱い男だったんだと
がっかりした風に見せたって

「弱い男だと思うなら思えばいい」と
きっと彼はそう言います。

成果を出すために
成し遂げるために
目指す自分になるために

すべてを遮断し
あまんじて
孤独を選ぶということは

そういうことだからです。





それほどまでしても
手に入れられない夢だって
もちろんあります。

成果と引き替えに
孤独に耐えたわけではないし

孤独を選べば
すべて思い通りになる
というわけでもありません。

砂を噛むような無念さだけを
味わわされるようなときだって
あります。

(王者奪還を目指した世界選手権で
 残念ながら2位に終わったあと)

はっきりいって僕は
このままじゃ終わらないし
もうほんとに
次の目標に向けて。

自分の結果どうこうじゃなくて

自分の理想
自分がしたいこと

自分のスケートを
もっと高めたいなと。

自分の中でも
スケートというものを
心から楽しめたらと思います。


結果を出せなくても
手にしたメダルが
欲しかった色じゃなくても

だからといって

弱い自分を否定したり
弱さを恥じたりはしない。

誰よりも彼自身が
自分の弱さを思い知らされながら
決してそれを口には出そうとはしない。

負けたときでさえ
泣きたい気持ちのときでさえ

むしろだからこそ
心を遮断して
孤独であることを選ぶ、

人にどう思われても関係ない。
弱いと言われたってかまわない。 

それが
男の生き方であり
男の子のつっぱり方でもあり

彼の弱さで 
そして
たしかな強さでもある。

強くあろう
強くありたいと
進んでいくその姿が

男の誇りなのではないかと

そういう風に思います。



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忙しいから連絡できないとか
忙しくたってメールくらいできるとか
忙しい人ほど本命は離さないとか

じゃあその
仕事の忙しさって
どういうことなんだ
ということを考えてみたとき

ひとことで簡単に言えば
「裁量」があるかないか
ということに
まとめられるのではないかと思います。




「裁量」というのは

各自が
自分の考えで判断を下し
処理できること。

もちろん
自分勝手に決めていい
ということではなく

あくまでも
自分で決めていいよと
許されている範囲内で

判断し処理する
ということをいいます。



「裁量権がある」とか
「自由裁量が大きい」というのは

その人自身が
自分で決めていい範囲が広い、
判断を任されている部分が多い
ということであるし

「裁量権が少ない」とか
「裁量権がない」というのは

個人で判断していいことが
とても少ない
ということです。



たとえば
アルバイトの裁量権は少ない。
勝手にやっていいことはほとんどなく
上司の指示や
マニュアルに沿った業務を
滞りなくこなすことが求められます。

たとえば
管理職の裁量権はとても大きい。
管理職ともなれば
いちいち上役にお伺いを立てずに
ある程度は自分で判断を下し
部署をとりまとめていくことが求められます。




また
裁量の自由さは
組織によって
業態によっても異なります。

たとえば公務員は
裁量の少ない職種と言えるし
中でも
警察や自衛隊は
たとえ管理職であろうとも
「個人で判断していい」という範囲は
ごくごく限られています。

たとえば
立ち上げたばかりのベンチャー企業であれば
どの役職にあろうとも
個人が自分で判断して
どんどん進めていくことが
求められることもあります。

たとえば
同じ大学勤務であっても
マイペースに研究を進めていい場合もあれば
医学部だったり
チームで実験や研究をする場合は
マイペースというわけにはいきません。
「大学勤務」といったって
裁量の大きい人もいれば
そうでない人もいます。

たとえば
同じ自営業であっても
海外とのやりとりが多いのか
客待ちの商売なのか
サービス業なのか製造業なのか
いくら経営者とはいっても
その業態によって
抱えるクライアントによって
自由度は異なります。





同じような忙しさであっても
その人に
「裁量権があるかないか」によって

個人が自由になる時間や
ストレスの強さは
まったく違ってくるわけですが

特に
「ストレスの強さ」に関しては
裁量のあるなしと
大きく関連していることが
わかっています。

たとえば
以下の記事では
「仕事で自由裁量が少ない人は
 寿命が短くなる」という
研究結果を紹介しています。

WIRED VISION 


また以下のような
「ストレスチェック表」もあります。

1.仕事のスケジュールがころころ変わる
2.休憩時間が少ない
3.仕事の持ち場が絶えず変わる
4.残業の多い職種
5.納期に追われて仕事をしている
6.作業時間が長い
7.将来的にこの仕事を続けているかわからない
8.雇用形態が不安定である
9.いつも出向先で仕事をしなければならない
10.いくら仕事を頑張っても給与に反映されない
11.見通しを立てにくい仕事だ
12.徹夜で残業することがある
13.緊急のトラブル対処が求められる
14.対人関係を良好に保つことが難しい業務だ
15.拘束時間が長い

(大阪経済大学経営学部経営学科 田中健吾教授作成)

このチェック表は
当てはまるものが多いほど
精神が疲れやすいとされていますが
どれも
「自由裁量でない」
というものばかりです。

責任が大きくても
作業量が多くても
「自分で自由に判断できること」が
多ければ多いほど
仕事への満足度は高いし
不満も溜まりにくい。

逆に
「自分で決められること」が
少なければ少ないほど
責任や義務は大きな負担となって
心の重荷になるということ。

たとえば
ふだんはそこそこ
自分の裁量に任されている人でも

重要な試験が迫っているとか
期日が迫った仕事であるとか
年度末や決算が近いとか
何かプロジェクトが動いているとか

その人ひとりには
どうしようもないスケジュールに
時間や責任が組み込まれている
というときには

一気に
心の余裕がなくなる
ということもあるし

ものすごく忙しくて
責任も大きいけれども
任されている部分が大きければ
やりがいを感じて
いきいきと忙しさを満喫する
ということだってあるわけです。




「忙しい彼から連絡がない」
「忙しい彼となかなか会えない」
というとき

「忙しくても連絡くらいできる」
「彼女に会って癒されたいものだ」
と説く人が必ずいて

「実際に私の彼はそうだった」
「実際に私だって忙しいけど」と
実例を挙げてそう言われると

だったらやっぱり
彼が連絡をくれないのは
忙しいからじゃなく
私のことなんてどうでもいいんだと

絶望的に悲しくなってしまいますが

そこでひとまず
「彼に任された裁量はどの程度か」
ということを考えてみると

全く別の視点から
状況を見ることができます。

彼の仕事が
本当に忙しいのか
本当は忙しくないのか
ではなく

自分のことを
まだ好きなのか
もう嫌いになったのか
ではなく

彼の仕事に
裁量はあるのかないのか。

それによって
彼の心の余白はどのくらいなのか、
推し量ることができるはずです。




考えてみえれば
しごく当然のことですが

「自分のことを
 自分でどれだけ決められるか」
ということは
 
人が
自尊心を保って生きる上で
とても大切なことであるし

心の余裕、
心の忙しさというものに
大きく影響するのです。

いつも
何かに縛られている。
いつも
自分の意志以外のものに
行動を制限されている。
いつも
自分の考えではなく
何か別の基準でもって
決めなければならない。

いつも
何ひとつ
自分の自由にならない。 

その窮屈さといったら
 
ときにはプライドだって
折らなくてはならないときの
やりきれなさや苛立ちといったら
 
いったい
どれほどのことだろうかと

ほんの少しでも
想像することができれば

忙しい彼の気持ち、
忙しい彼の行動も
もっと
理解できてくるのではないかと

そういう風に思います。


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NHK大河ドラマ「真田丸」でのこと。


本能寺の変で
信長亡き後の混乱の中、

主人公の真田信繁が
人質に取られていた姉を連れて
家族の待つ郷里へと
帰ろうとしていたところ

道中、敵方に襲われて
姉が命を落としてしまいます。

姉を守り
無事に連れ帰るために
お伴をした信繁だったのに

姉を守りきることも
連れ帰ることもできなかった。



姉を守れなかったことを
詫びる信繁に

父は
「人質に出した時点で
 その覚悟できていたのだ」と言い

兄は
「忘れるのだ」と言い

母は
泣きながら
責めるように信繁を叩き続け

兄弟のように育った家臣は
「全力を尽くしました」
「仕方がなかったのです」
と慰めます。



母のように
皆で責めてくれれば
まだよかったものを

戦乱の世だから
仕方がないことなのだ
忘れることだと
言い含められ

たしかに
真田家が生き残るかどうかという
厳しい状況ではあるものの

姉ひとりの命も
守れなかった自分の
ふがいなさと

姉や家族に対する
詫びよもない申し訳なさに

どうにも
気持ちの行き場がなくなった信繁は

引き寄せられるように
幼なじみである
梅という娘の家を訪れます。




梅は
真田家の家臣の妹で
信繁よりも
身分の低い娘ですが

信繁にとっては
幼なじみでもあり
ほっとできる存在でもあり

ほのかに
恋心を抱く相手でもありました。




信繁の姉のことを
すでに聞いていた梅は
何も言わずに信繁を迎え入れ
ほっこりともてなします。

そんな梅に
信繁が
心の内を語りはじめます。




自分はずっと
兄より才があると思っていた。

この才で
兄を助けていくことが
自分の務めだと思っていたが

うぬぼれだった。

自分の才など
いざというときには
何の役にも立たぬことが
よくわかった。

自分は
ただの役立たずの次男坊だ。

真田の家にいる意味など
何もない。




そう言って唇を噛む信繁を
黙って見守っていた梅ですが

「何か言ってくれ」と
信繁に言われると

少し間を置いてから
信繁の目をまっすぐに見つめて
こう言いました。

「信繁さまが帰ってきてくださって
 梅は、ほっといたしました」

「もしも真田の里に
 何かございましたら
 梅をお救いくださいませ」




姉を救えなかったことにの
罪悪感と無力感と
才覚にうぬぼれていた自分への
強い自己嫌悪とで

ほとんど自信喪失していた
抜け殻のような信繁に

梅は

励ますのでもなく
慰めるのでもなく

ただ
今までと変わらぬ信頼を
返したのでした。 
 
男は
自分が信頼されているとわかると、
女性に対して
もっとサポートしようと
思いやりを持つようになる。

女は自分が特別だと、
サポートされていると
心から思えると、
その男性を心から信頼できる。

『ベストフレンド・ベストカップル」(ジョングレイ著)

危機的状況にあるときほど
男は信頼を求め
女は思いやりを求め

危機的状況にあるときほど
男は思いやりを見せず
女は信頼を寄せず

どちらが先か
そっちが先だと
お互いに足がすくんで
出し惜しみして

結局、お互いに
背を向け合ってしまう
ということもあります。
 
彼が
思いやりのない行動をとると、
彼女はすぐ
自分への恋が冷めたものと
思いこんでしまう。

それが今度は
彼女の彼への信頼を
弱める形ではね返り、
彼の方はますます
思いやりをなくしていく。

こうして二人の愛は
時と共にしおれてしまう。

男は思いやることが苦手だし
女は信頼することが苦手。

愛情の循環が止まった状態から
また漕ぎ出すときには
最初のひと押しが
もっとも重たく
もっとも力がいるもので
 
どちらが歩み寄るべきと
そう簡単には言えないし
それは
それぞれが
自分で決めることです。

ただ
ぺしゃんこに潰れてしまった
彼の自尊心を
 
もう一度
膨らませることができるのは

彼女からの
まっすぐで曇りのない
心からの信頼です。

女性にとっての難題は、
どうすれば相手を
信頼できるようになるかであり、

そして失望した後も、
もう一度相手を評価し受け入れて、

また信頼できるように
なれるかどうかだ。

信頼とは

今すぐ要求にこたえてくれと
迫るのではなく
今までずっとダメじゃないかと
責めるのでもなく
どうせダメに決まってると
あきらめるのでもなく 

今がどんな状況でも
時間がかかっても

彼はきっと
いずれきっと
今の彼だってきっとと

そう信じて頼ること。
彼の支えを受け入れること。 

それが
彼が再び立ち上がる
力になるのではないかと

そういう風に思います。

彼は自分を助けることができ、
またそうしてくれるだろうと
信頼すれば、

彼は
自分には価値があり、
自分がベストを尽くせば
彼女から受け入れられ
評価されるに足るという
メッセージを受け取ることになる。
女性の愛のこもった信頼が
男性を支え、
彼の眠っていた力、
能力、技術、才能を
開花させるのだ。
男性を女性に引き寄せるのは、
相手への信頼である。

女性が男性を信頼している時、
彼から最上のものを
引きだすことができるだろう。

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忙しくて
疲れすぎている彼に
いちばん必要なのは

励ましでも応援でもなく
心配でも気づかいでもなく

「癒やし」です。



巷で見かける
癒やし系のアイテムに
共通するのは

やわらかくて
すべすべで
やさしげな感じ。

触るだけで気持ちイイとか
ずっと触れていたいという
触り心地だけでなく

その姿を見てるだけで
ほっこりするとか
その音楽が流れていると
リラックスできるとか
色や形や音でも

やわらかくて
すべすべしていて
やさしげな感じのものに
人は
癒やされた感じがするものです。

反対に
かたそうだったり
融通がきかなかったり
トゲトゲで凸凹してたり
おっかなかったりするのは

癒やしとは言えません。




それから
noisyでないことも大切です。

noisyとはノイズ(雑音)が多いこと、
つまり

騒々しいとか
やかましいとか
うるさいとか

そういうものは
癒やしどころか
うっとおしいと思われます。

忙しい人や疲れている人は
日常生活において
すでに嫌というほど
雑音に囲まれて過ごしているので

ひとりの時間には
静けさを求めるものです。

目からも耳からも
これ以上無駄な情報は入れまいと
そうやって
バランスを取ろうとします。

中には
ストレス解消だといって
パチンコをしたり
スマホでゲームをしたり
という人がいるけれども

思考停止して
脳がからっぽになる
という意味では
忙しさから解放された気分に
なれるかもしれないけれど

目からも耳からも
手で触れることからも
さまざまの雑音が
脳に入力されるわけなので

癒やされるどころか
もっと疲れが溜まってしまう
ということもあります。




ほどほどであることも
癒やしには求められます。

たとえば
どんなヒーリングミュージックだって
大音量で流し続ければ
別の刺激となって
脳を覚醒させてしまうこともあるし

たとえば
緊張をほぐしてくれる
アロマエッセンスだって
使いすぎれば肌がかぶれたり
過敏症やアレルギーの
原因となったりもします。

ホットミルクだって
飲み過ぎれば
お腹を下すように

度を超したり
やり過ぎたり
極端になってしまえば

癒やしが
毒になることだってあります。




そして
押しつけがましくない
ということも大事です。

人が何かに
「癒やされた」と感じたときには

心と体が
まるごとやさしく
包み込まれたような
感覚を味わうものですが

それが押しつけのものであれば
やはり
癒やしとはほど遠いものです。

たとえば
温かいお風呂に浸かって
ゆっくりするのは
癒やしに違いないけれども

頼んでもいないのに
びちゃびちゃの濡れタオルで
全身を拭かれたりするのは
不快なものです。

たとえば
人工知能が付いた浴槽があって
ものすごく癒やされはするけれど

いちいち
「どう?気持ちいい?」
「癒やされる?」
「どんな風に癒やされ?」って
聞いてくる機能があったら
入りたくなくなります。

押しつけがましさや
恩着せがましさ、

良い反応を期待したり
高評価がほしいがための
癒やしの押し売りは

癒やしたい相手を
いっそう
疲れさせてしまうのです。




忙しい彼を
癒やしてあげたいけれど
忙しい彼とは
なかなか会えないというとき

メールかLINEで
彼を癒やすのは
なかなか
難しいことのように思えます。

うっとおしくなく
やり過ぎず
押しつけがましくなく
それでいて
やわらかく
すべすべして
やさしげな、なんて

そんな文面、
そう簡単には作れないし

そもそも
彼が今どういう状況なのか
見て知っているわけではないから

どのくらいが
うっとおしくないのか
やり過ぎじゃないのか
押しつけにならないのか

その塩梅を見極めるのが
大変だったりします。

特に
彼からの連絡がなく
会うこともできずにいるときは

不安になるし
愛されてる自信も持てず

ついつい
「癒やすことで愛されたい」と
心のどこかで思ってしまうものだから

期待しないで送るということも
とても難しいのです。



だけど
ほんとうは
何よりも大切なことは

「癒やしの存在になること」です。

どうやって
彼を癒やそうかと
考えるその前に

自分の存在自体が
彼にとっての
「癒やし」になること。

殺伐としたオフィスで
終電ギリギリまで働く彼が
満員電車で押し潰されて
ようやく倒れ込んだベッドの上で
目を閉じて
泥のように眠るその直前、

ふと
彼女を思い出す。

連絡することも
会うこともままならない日々だけど

彼女という存在を思い出せば
ただそれだけで

心があたたかく満たされるような
その日の頑張りが報われたような
また明日も頑張ろうと思えるような

そんな
「癒やしの彼女」になること。

どうしたら
癒やされたと思ってもらえるかを
考えるのではなく

どうしたら
人を癒やせる存在になれるかと
考えてみること。



「癒やし」とは

そこはかとなく醸し出される
たたずまいや雰囲気のようなもの。

「癒やしの彼女」とは
ただそこにいてくれるだけで
存在してくれるだけで

彼をリラックスさせてくれる人。

行動でも
言葉でもありません。




彼の
癒やしの彼女になるためには

自分が癒やされていること。
自分を癒やすことができること。

自分がリラックスしていること。
自分をリラックスさせられること。

それが
なかなかピンとこないなら

自分だったら
どんな存在に癒やされるかなと
想像力をはたらかせてみること。

クッションでも
ぬいぐるみでも
アロマでも
スイーツでも
音楽でもアートでも

恋に疲れた心を
癒やしてくれる何かを
まず
自分のために見つけること。



そうして
自分が癒やされることができれば

彼を癒やすこと、
癒やしの彼女になることの
そのイメージが
 
少しずつ
自然に
心の中に 
立ち上がってくる。

そういう風に思います。


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