恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

カテゴリ: 恋愛いろいろ

恋がうまくいかないとき
恋人の気持ちがわからないとき

変わらず好きでいてくれているか
恋人に確かめたくなるものです。

ちゃんと愛されているという
証拠がほしくなるものです。

恋で悩んでいなくても
たとえば
自分に自信がないとき
心が折れそうになったとき

誰かに
「あなたは大丈夫」
と言ってもらいたくなるものです。

自信のない自分では
自分を認めることができないから
誰かに認めてほしい。

自分の内側が
ぐらぐらと揺れているから
外側からの
揺るぎない評価がほしい。

そうして
誰かに
恋人に
安心させてもらいたいのです。





彼女は
連絡の頻度だったり
お金を出してくれたかどうかだったり
記念日を覚えてくれて
お祝いしてくれるかどうかだったり
イベントは世間並みに
一緒に過ごしてくれるかどうかだったり
「好き」「かわいい」と
どのくらい言ってくれるかだったり

そういうことで彼の愛情を計ります。



彼の愛情が
十分に感じられたなら
「自分は愛される存在なのだ」
と安心します。

彼の愛情に感謝したり
彼の愛情に満ち足りたり
ということよりも
自分自身に安心する。

そうして
一度確認して
十分に感じられたからといって
それで終わりということはなく

自信がなくなったり
寂しくなったり
心が折れそうになるたびに

何度でも何度でも
確認したくなるし
評価してほしいと求めます。

自信がないときは
安心させてもらいたいから。




彼の愛情に
不足を感じたなら
「自分は愛されない存在なのだ」
と悲しくなります。

そのときの彼の
状況や事情や心境に
思いを巡らせることよりも
ただただ不安になる。

確認できるまで
評価してくれるまで
何度も何度も求めたくなるし

愛情が感じられなければ
なんて不誠実で冷たい人だと
泣けてきます。

不安なときは
安心させてもらいたいから。

不安になるたびに
「変わらず好きだよ」
と言ってくれる人だったらよかったのに

不安になる前に
たとえ仕事中でも連絡をくれて
「大丈夫。心配ないよ」
と言ってくれる人だったらよかったのに

催促なんてしなくても
記念日を覚えていてくれて
誘ってくれる人だったらよかったのに

言わなくても
ちゃんとわかってくれて
黙って抱きしめてくれる人だったら
よかったのに

どうして彼は
そうしてくれないんだろう

別れたいのかな
別れたほうがいいのかな
とさえ考えます。

もっとちゃんと
安心させてくれる人じゃないと
不安で仕方がないからです。





でも
彼だって同じです。

認めてもらいたいし
評価されたい。
自信がないとき
心が折れそうなときは特に
「大丈夫だよ」と
誰かに言ってほしくなるものです。

彼らのその気持ちは
もしかしたら
女性よりもずっと
私たちが想像するよりもずっと

切実で強迫的で
必死なものかもしれない。

焦燥感や無力感や敗北感に
圧倒されているのかもしれない。

彼のほうが
ずっと。





「何者かでありたい」
という願望は
女性より男性のほうが
ずっと強いものです。

他人の評価を必要とするのは
女性より男性です。

私たちは小さな女の子だった頃から
お友だちや家族との
とめどないおしゃべりを通して
「自分」という存在の輪郭を
何度も何度もなぞってきました。

成長して
恋をする頃には
「自分」について
なんとなくわかっているものです。

でも
男の子はちがう。

女の子が
「わたしってね」と
自分について
語り合っていたあいだ

男の子は
駆け回ったり捕まえたり
登ったりやっつけたり
汗をかいたり服を汚したり
すり傷をつくったり
うっかり物を壊したり

無心で夢中で時間を忘れて
頭をからっぽにして
頭をいっぱいにして
ひたすら
今を生きていたのです。

鏡に映る自分に気づけば
好きなヒーローになりきって
かっこつけたり
ポーズをとったり
台詞を言ってみたりするだけ。

自分について
おしゃべりする暇なんかない。

頭の中には
遊ぶために必要な
ルールや設定や知識を
ぎっしりと詰め込み

心は
理想と空想と妄想で満ち
両手はいつも
戦うために空けている。

そうして
瞬間を走り抜けるように
少年時代が過ぎ

自分の輪郭など
一筆もなぞらないまま
真っ白な画用紙を持って
彼らは
思春期を迎えます。

そして
呆然とする。

自分は何者なのか
何者になるはずだったのか

ヒーローになろうとして
ほとんどなりきって
夢中で走ってきたのに

はたと気がつけば
何者でもない自分がいる。

「何者かにならなければ」と
突き上げるような衝動が
芽を吹く。

社会に出て認められたい
何かを発信したい
社会の役に立ちたい
世の中に貢献したい
お金を稼ぎたい
高い地位も手に入れたい
願わくば
歴史に爪痕のひとつも残したい
叶うなら
女の子に好かれたい

男の子の
野望と焦燥のはじまりです。

もちろん女だって
社会で認められたいし
お金を稼ぎたい気持ちもあるし
世の中に貢献したい気持ちもある。

だけど女性は
少なくとも男性よりは
「自分」を知っているし
 
自分という存在の輪郭を
おぼろげにでも
描くことができている。

そして
私たちは心のどこかで
なんとなく、でも確かに
知っています。

命を育む性であること。
この世に命を生み落とす性であること。

だから
「評価されたい」という気持ちは
男も女も同じだけれど

切実さがちがうのです。
重圧がちがう。

何者にもなれなかったときの
絶望感がちがう。

お互いに不安だとしても
お互いに自信がないとしても

どうしても評価されたい
評価されなければと
渇望にも似た思いを抱いて
苦しみもがいているのは

いつだって
彼の方なのです。





彼が
あなたを見つめているとき

あなたを値踏みしているのでも
あなたを評価するためでも
ありません。

彼が
あなたを見つめるのは

あなたの目に映る
自分の姿を見るためです。

男性は
女性の目に映る自分の姿を見て
「自分は何者であるのか」
を確かめています。

うれしそうに笑ってくれれば
その瞳に
「女の子を楽しませる男」
が映っているということ。

怪訝な顔で無視すれば
その瞳に
「相手するほどの価値もない男」
が映っているということ。

尊敬のまなざしで
うっとりと見つめてくれたら
その瞳には
「デキる男のオレ」
が映っているということ。

どんなときも
幸せそうにしていてくれたら
「愛する女を幸せにできているオレ」
が映っているということ。

彼らはいつも
女性の瞳の中に
自分の姿を探しています。

自分ではよくわからない
自分という存在の輪郭を
彼女の瞳の中で
確認しようとしています。

男性は
女性を見つめているのではない、

女性という鏡が映し出す
自分自身の姿を
見ようとしているのです。




不安で
愛されてるか確かめたくなったとき

連絡の頻度やお金で
彼の愛情を計りたくなったときには

その前に
果たして自分は
この目に
どんな彼の姿を映していたのか

考えてみることです。

あなたが
いつも自信がなかったり
いつも不安げだったり
いつも寂しそうだったり
求めてばかりだったり
不足を数えてばかりだったなら

彼は
あなたの瞳の中に
「たったひとりの女も満たせない
 不甲斐ない男」
を見たかもしれません。

あなたが
「自分が愛されてるかどうか」を
気にしてばかりだったなら

そうして
彼をちゃんと見ることを
おそろかにしていたのなら

彼は
何も映らないあなたの瞳に
がっかりしたかもしれません。
自分が透明人間のように思えて
虚しくなってしまったかもしれません。

だから
やればやっただけ
ちゃんと評価が得られる仕事や趣味に
没頭してしまったのかもしれません。

彼女に会いたいと
思えなくなってしまったのかもしれない。

その瞳に映る
自分の姿を見ていられなくて。






お互いに自信がなくて
お互いに評価されたくて
恋が
停滞してしまっているなら

まずあなたが
評価されたい気持ちは
ひとまず脇に置いて
自信のなさも
とりあえず棚上げして

彼を
「最高の男」として
映し出すことです。

自分が評価されることよりも
彼を承認すること。

先に自分から与えること。

女に生まれた私たちには
その力が備わっている。

受け入れ
生み育み
与える力。
 
彼が
疲れてくたびれていても
もうダメだと打ちのめされていても
情けなくても
余裕がなくても
出し抜かれていても

現実がどうであったって関係ない。

どんなときでも
どんな彼でも

あなたの瞳に映る彼が
「世界で最高の男」であれば

彼はそれを見て
顔を上げることができる。
前に進むための力を得られる。
またやってみようと
奮い立つことができる。

「あなたはもっとできるはず」でも
「そのままで大丈夫だよ」でも
「いつも幸せにしてくれてるよ」でも
「いてくれてありがとう」でも
「どんなときも素敵」でも 
なんだっていいから

あなたなりに
あなたが知るかぎりで
あなたにできるかぎりで
「最高の男」として彼を
その目に映し出すことができれば

きっとそれが愛です。

 

たったひとりでいい、
どんなときも
自分を「最高の男」だと
見ていてくれる人が
そばにいてくれたら

彼は
「何者かにならなければ」
と追い立てられるような
重圧から解放されて

「何者かになってやろう」
「何者かになれそうだ」
と自信を持つことができる。

少年時代みたいに
自由に力強く
どこまでも走ることができる。



愛する人を
 
あなたが最高だと信じるその人を

この目に映し出すだけで
自信を与えることができるなんて

女に生まれるということは
どれほど誇らしく
幸せであることかと
 
そういう風に思います。



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この連休のあいだに
うれしいお便りが二つ
届きました

ご相談をいただいた時期も
だいたい同じ頃、
去年の今頃で

申し合わせたように
今回のお便りも
一年後の同じ時期で

不思議な巡り合わせを感じました。

ご本人の了承をいただいたので
ご紹介します。





一人目の方は

一年ほど付き合っていた
激務で忙しい彼がいて

もともと
連絡不精であったし
会う時間もなかなか取れず
それでもなんとか
お付き合いは続いていたのですが

送れば返ってきていたLINEも
まったく返事がなくなって
3ヶ月ほど音信不通の状態の頃に
ご相談をいただきました。

まずは
彼について
彼自身と彼の状況とを
なるべく深く知ることと

そしてもちろん
自分自身についても
なぜ不安になるのか
なぜ忙しい人を好きになるのか
なぜあきらめられないのか
心を掘り下げてみることと

それらは
どちらかを先に
ということではなく
同時に進んでいきました。

彼について知ると
自分自身についても
新たに気づきがあったり

自分の過去を振り返ると
彼への理解が深まったり
というような。

そうして
心を落ち着けつつ

実際の彼に対して
ポジティブなコミュニケーションを
コツコツ積み重ねることを
続けました。

音信不通から半年ほどたって
少しずつ返事がくるようになり

また来なくもなり

そのあいだも
揺らぐ自分の心と向き合いながら
彼の揺らぎも受けとめながら

そのうち
彼の仕事の状況も
忙しいながらに少し落ち着いて
頻繁ではないけれど
会えるようになり

この連休に
ご入籍されたそうです。

おめでとうございます。

「ずっと見ててくれて
 あきらめずにいてくれて
 ありがとう」と
彼から言われたのだそうです。



音信不通の後
少しずつ連絡が取れるようになったとき
それは
「元に戻った」のではなく

以前よりも
深くわかりあえているような
新しい関係であったように思います。

お互いの
コミュニケーションも
以前と同じようでいて
伝え方も受け取り方も
やはり変わっていたように思います。

お互いの
根本的なところは変わらず
でも
相手を理解しようとする気持ちが
以前よりも強くなったことや
信頼関係が築けたことで

後半は
とても安定した関係が
続いていました。



彼の忙しさは変わらず
挙式や披露宴もこれから、

結婚生活も
べったり一緒というわけではないし
大変なことも
もちろんたくさんあるに違いないけれども

おだやかに過ごしていきたいと
そういうお便りでした。





二人目の方は

やはり音信不通になって
ご相談をいただき

同じように
彼のことについて
自分のことについて
掘り下げていきながら

彼に対して
ポジティブなはたらきかけを
続けていました。

音信不通が
半年になろうとする頃、

彼ではなく
彼女の心に
大きな変化がありました。

自分の中の
不安や自信のなさを
深く掘り下げていく過程で

生い立ちや家族のこと、
学生時代のこと、友人関係、
今までの失恋の経験などを
あらためて振り返るうちに

なぜこの彼なのか
ということがわかった
というのでした。

なぜこんなに
強く惹かれてしまうのか
なぜ
いつまでも追いかけてしまうのか
なかなかあきらめられないのか、

その理由が
自分の心にあることに
気がついたのです。

「そういうことだったのか」
と気がついたとき
それまでの苦しみが嘘のように

彼に対する気持ちが
がらりと変わり

彼をあきらめることに
心を引き裂かれるような痛みを
感じていたのが
すーっとなくなり

もういいんだ
とふんぎりがついたのでした。

ふんぎりをつけたことを
彼に知らせたい気持ちもなく
しずかに待つことをやめ

そうして今、
新しい恋が始まったのだそうです。

今まで好きになったような
タイプの男性ではなく
強烈な磁石のように
惹きつけられる恋でもなく

今までだったら
好きになっていないタイプの男性で 
今までだったら
物足りないと感じそうな関係だけれど

自然にはじまり
お互いに無理もなく
不安になることもなく 
毎日おだやかな幸せを感じる
というお便りでした。

音信不通になった彼に対しても
自分がそうであったように
何かに気づけるきっかけがあって
幸せになってくれればと
やさしい気持ちで
振り返ることができているそうです。






おふたりは
音信不通という状況は同じであっても
その恋の結末は
まったく違うものですが

「今とても心おだやかに過ごせている」
ということでは
同じです。

彼と連絡が取れるようになって
ついに結婚できたから
飛び上がらんばかりに幸せ
ということでもなく

音信不通にするような
不義理な彼をばっさり断ち切って
新しい彼と巡り会えたから
天にも昇る気持ちで幸せ
ということでもなく

おだやかな気持ちで
ぽかぽかとあたたかい幸せが
いつも心にあるということ。






少し前のことになりますが
 
やはり音信不通の彼をあきらめて
新しい恋がはじまったわけでもなく
一人でいるけれど
同じような
心のおだやかさに満ち足りている
というお便りもありました。


 

生い立ちや
家族関係や
過去の人間関係や
いろいろなことで
心が傷ついたままでいると

いつも
イライラしていたり
批判的になったり
攻撃的になったり
被害者的になったりして

心のおだやかさを感じることが
なかなかできず

とまらない不安や疑いや
あふれてくる怒りや不服の感情を
付き合っている人に
すべて受けとめて欲しい
なんとかしてほしいと
求めてしまいがちですが

もちろん彼だって
心の傷つきを抱えていたり
そうじゃなくても
相手のすべてを抱えるのは
しんどすぎることでもあります。

でも
傷ついた心を
自分で癒やして

波立つ心を
自分で鎮めることができれば

外側の状況にかかわらず
おだやかな心でいることができます。

心がおだやかであれば

不安や悲しみを
彼に訴えることもなく
寂しさを
誰かに埋めてもらうこともなく
イライラを
他人にぶつけることもなく

しずかな幸せを感じたり
充足を感じる時間が増えます。

ちゃんと
必要なタイミングで
必要な人に出会えるし

出会った後も
落ち着いて
関係を育てていくことができます。






好きな人と
どのような関係になりたいのか
結婚というゴールを目指すのか、

そうした
求める幸せのイメージや
将来の目標を持つことも
もちろん大切なことだけれど

もっと大切なことは
 
どんな関係であれ
どんなゴールであれ
相手が誰であれ、

できるだけ多くの時間を
心おだやかに過ごすこと
 
心のおだやかさを
安定して手に入れること
 
なのではないかと

そういう風に思います。





お便りくださった方、
ありがとうございました。

とてもうれしい気持ちで 
私の心もおだやかに過ごせる
春の一日になりそうです。




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触れず、抱かず、口づけせず、君を愛す。
君との空気を愛してる。 

実録漫画「スキンシップゼロ夫婦」より 


知人の紹介で出会い
 お付き合いのような
そうでもないような時間を過ごし
結婚した
まゆさんとみーさん。

「付き合おう」という言葉もなく
手をつないだのはたった一度きり、
ほんの3分足らずのこと。

キスもなく
それ以上のスキンシップもないままに
二人は結婚し

結婚して4年たった今も
まだスキンシップはゼロ。

人とはちがう夫婦関係、結婚生活への
迷いや戸惑いを
妻のまゆさんが綴ったブログ。





スキンシップがゼロであること、
まったく進展しない関係に
もちろん
まゆさんは悩んでいるのだけれど

でも不思議と
まゆさんを不幸だとは思わないし
二人の関係が偽物だとも思わないのは

まゆさんが描く
夫のみーさんが
やさしくてあたたかい人だと
わかるから。

まゆさんに
興味や関心がないわけでも
まして
愛してないわけでもないと
なぜか
わかるから。





夫のみーさんを描くときのまゆさんは
期待しすぎているわけでもなく
不安から目を逸らしているのでもなく

ただ
見たまま感じたまま、
夫であるみーさんという男性を
正直にまっすぐに描いている。

きっと
たくさんの葛藤と
表現にならない悲しみとが
あると思うのに

その葛藤も悲しみも
「シャイ」という言葉で
包み込んで

やさしくやわらかい
二人の証にしようとしている。





人の愛情を測るためのものさしは
世間のあちこちにあって

本気ならとか本命ならとか
本当に好きならとか
どうしても手に入れたいならとか
心底惚れていたらとか

お金をどのくらいかけたかとか
食事には全額払うかとか
プレゼントを買ってくれるかとか
サプライズを企画してくれたかとか
イベントは空けていてくれるかとか

連絡がないならとか
体の関係がないならとか
プロポーズがないならとか
言葉じゃなく行動しなければとか

それこそほんとうに
売るほどある。
掃いて捨てるほどある。

人の愛情を計るものさし。

いろんな人が
いろんなものさしを振りかざして
いろんなことを言う。

人の
まごころを
取り上げて

言いたい放題に
勝手なことを言う。





愛なんてそんなもの、
人生なんてそんなもの、
人の心なんて、
まごころなんてそんなものだと

ものさしばかり集めて
愛情を測ることに
熱中している人がいても

それはそれとして
その人の生き方であり
価値感であるのだから

どんな愛情も
どんなまごころも
まずはものさしを当てて
しっかり計測してから
ジャッジしていればいいのだけれど
したければ
そうしていればいいのだけれど 

でも
どんなものさしをもってしても
測ることのできない愛情は
たしかにある。

ものさしで測りたがる人には
ついぞ知り得ない愛情が
たしかにある。




「君との空気を愛してる」と

夫の顔を
やさしく描くその人に

ものさしなんて
何の意味もないこと。




悩んでも
迷っても

愛したいように
愛すればいいんだ。

葛藤や悲しみを
まるごと包み込む幸福もある。

そういう風に思います。
 



まゆさんのブログは
書籍化されるそうです。


 

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どんなものでも
生きているものには
いのちの輝きがあり

たとえそれが
自分自身にとっては
何の役に立たないように思えることでも

ただそのいのちが
生きてそこに在るというだけで

純粋な感動を生み出すのです。




芽吹きも満開の花も
新緑も紅葉も
枯木の造形の美しさも

アゲハ蝶の幼虫の
鮮やかな緑色と漆黒も
さなぎの翡翠色も
羽化したときのアゲハ模様も

玉虫の甲や
トンボの目や
魚の鱗や
貝殻の裏側にある真珠層の
プリズムのきらめきも

全力疾走するチーターの筋肉も
クロコダイルとアナコンダの死闘も

ザトウクジラの潮吹きも
逃げるオキアミの乱反射も
満月の夜の
珊瑚の産卵も
甲殻類の一斉脱皮も

ライチョウの冬毛の純白も
ヒナたちを育てる巣の繊細さも
グンカンドリのロング飛行も

苔むす森も
白かびも

顕微鏡でしか見られない
微生物たちの鼓動も

どれも
いのちの輝き。

ぶたが鼻を鳴らす音も
スカンクのにおいも
猫の肉球も
白鳥のヒナも

どれも
いのちの輝き。
生きていることの美しさ。

アゲハ蝶が
愛をささやくわけじゃない
珊瑚が
願いを叶えてくれるわけじゃない

そのいのちが
目に見える形で
何かを与えてくれるわけじゃないけれど

そのいのちから
何かがもたさられる。

この世界の美しさ
生きることの尊さ
いのちのすばらしさを

そのいのちが
教えてくれる。

ただ
生きているというだけで。




野に咲く小さな花にですら
ささやかにでも
心を動かされることがあるのに

なぜ彼にだけ
彼からだけ

いのちの輝きを感じることが
できなくなってしまうのだろう。

いちばん大切な人なのに
心から愛する人なのに
笑っていてほしい人なのに
絶対幸せでいてほしい人なのに

なのにどうして
彼だけ

ただ生きてそこにいるだけで
美しいと思えないことがあるのだろう。

愛情をわかりやすく表現してくれなければ
愛されていないと不服に思い
他の何かを犠牲にしてくれなければ
愛情が不十分だと悲しく思い

彼が生きて
そのいのちが在るだけでは
満足できなくなってしまうのは
なぜだろう。

かつては
誰よりも輝いて見えたのに

ひとつひとつに
心から純粋に
感動していたのに。

今はもう
不満や恨みや
悲しみや憎しみや
行き場のない気持ちがあるだけ。





彼のいのちの輝きは
なくなったわけでも
鈍くなったわけでもなく

彼は今も変わらず
彼らしく
彼として
彼の人生を生きている。

ダンゴムシのいのちだって
美しく輝いているのだから

輝いて見えない彼でも
そこに生きているというだけで
彼のいのちは輝いてる。

彼のいのちの輝きに
感動できなくなってしまったのは

自分の心が
死んでしまっているから。

愛されない自分には
価値がないと決めつけて
泣いてるから。

条件つきでなければ
彼のいのちを認めないと
がんじがらめになっているから。





たとえば彼が
オリンピックを目指す
水泳選手だったとしたら

彼の泳ぐ姿は
きっと誰よりも美しく
彼女の心を
いつだって震えさせる。

彼が泳いだからといって
愛情が確かめられるわけでも
自分の価値が認められるわけでも
寂しさが埋まるわけでもないけれど

すべてを賭けて泳ぐ彼の姿に
心から感動するにちがいない。

濡れた肢体に浮き出る筋肉も
光る水しぶきも
苦しげに息をつぎながら
ひとかき、またひとかきと
水の重さに負けずに
前に進もうとするその姿に

胸を打たれずにはいられないはず。

泳ぐのをやめて
陸に上がって
会いに来てくれなきゃ
愛さないなんて言うわけない、

ひたむきに
水の中を進む彼のいのちを
 
愛さずにはいられないはず。

水泳選手じゃなくたって
オリンピックを目指してなくたって

彼は彼なりに
今の彼にできるせいいっぱいで
今を生きてるのだから

感動できないなんてこと、
あるわけない。

一番大切な彼だと言うなら。
彼じゃなきゃと言うのなら。
 





彼が
生きて
存在して
せいいっぱいに彼らしく
いのちを輝かせていることが

大きなエネルギーを
もたらしてくれるのだと

気づきたい。
気づける心でいつもいたい。

そのことの証として
自分のいのちも輝かせたい。

ありがとう。
あなたの生きるさまが
こんなに素晴らしくて
生きているあなたのいのちが
こんなにも輝いているから
わたしも
こんなに輝いていられるよって

できるだけまっすぐ
照れずに出し惜しみせずに
伝えたい。

伝えられる自分でいたい。



それが
愛を伝えるということ。



そういう風に思います。



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恋がうまくいかない理由は
わかっている。



この不安が
どこからくるのか
うすうすは
見当がついてる。

彼への気持ちの上に
過去のたくさんの悲しみを
重ねすぎているかもしれないことも
気がついている。

不安になればなるほど
不安をおさめたくて
近づきすぎてしまうことが
かえって
彼を遠ざけていることも

彼の仕事の状況が
どうにも回らなくなっていることも

彼には
彼の抱える問題があって
その解決のために
ひとりの時間が必要なことも

わかってる。

彼を変えることはできない
変わるとしたら
自分なのだということも

ちゃんと
わかってる。




彼じゃなくても
出会いは星の数ほどあるとか

彼を手放せば
新しい出会いが舞い込むとか

早くしないと時間がないとか
自分だけ売れ残ってしまうとか
女は若くなきゃとか
妊活だってしなきゃとか

言われなくても
もう
いやというほど
思い知ってる。




彼に選んでもらうのじゃない、
自分の隣を歩く人を
自分で選べばいいのだと
わかっている。

彼とはもう
連絡が取れないかもしれない、
会うことだってないのかもしれないと
ぼんやり
なんとなく
そんな感じもしている。

彼のことはさっぱりとあきらめて
前を向いて希望を持って
自分を大切に
自分の人生を第一に
幸せな結婚を目指して

一歩、
踏み出せばいいのだと

わかっている。
わかっていて
足を前に出そうとするのに

そのほんの一歩が
どうしても出せない。

連絡先を消しても
やりとりを全部消しても
思い出の画像を削除しても
次の出会いに向けて動きはじめても

心だけが
どうしても
どうしてもどうしても

彼につながれたまま
離れられない。

そうして
ずっと同じ場所で
時間だけが
過ぎていく。




恋がうまくいかない理由は
わかっている。

上手に愛せない自分だということも
わかっている。

変わらなくちゃと思いながら
変われない自分がいて

思いきる勇気を出さなきゃと思いながら
最後の最後に吹っ切れない自分がいて

ただただ
彼からの連絡を待つ自分がいて

かといって
信じ抜くほど強くもない
ぐらぐら揺れてばかりの自分がいて

そんなだから
誰にも愛されない自分なのだと
悲しくてたまらない、

それでも
どうしてもどうしても
前に進むための一歩が出せない。

変われない
決められない
選べない
吹っ切れない
思い切れない
信じ抜けない
愛されない

そんな自分が
嫌でたまらない。

頭ではわかっているけど
気持ちがついてこない。





もうどうしていいのか
わからないと
足がすくんで
動けなくなったときに

たったひとつ
自分のためにできることは

「その自分を恥じないこと」。





なかなか
恋愛がうまくいかない自分を
恥じない。

深くやさしく愛したいのに
うまく愛せない自分を
恥じない。

子どもみたいなわがままで
彼に詰め寄った自分を
恥じない。

恋人と音信不通になっている自分を
恥じない。

不義理な彼を
あきらめきれない自分を
恥じない。

適齢期に結婚していない自分を
恥じない。

溺愛されていない自分だと
恥じない。

恋人から
ないがしろにされている自分だと
恥じない。

誰からも選ばれない自分だと
恥じない。




過去に戻ってやり直すこともできず
未来のために決断することもできず

今いる場所でも
胸がぎゅぅっと押し潰されて
息が苦しくなるような
なのに
どこにも逃げ場がないような
そんな夜は

せめて
たったひとつ、

自分を恥じることだけは
絶対にしないこと。




どこにもいけない今だって
どうにもできない今だって
どうしたらいいかわからない今だって

何も
恥じることなんてない。

今日、今夜、今この瞬間だって
なんとか
どうにかして
愛をつかもうと
必死でもがいているこの自分には

まだ
生きるエネルギーが残っている。

愛する心が
湧き出そうとしている。

人生が待っている。





恋愛がうまくいかなくても
変われない自分でも

恥じることなど何もない。

そういう風に思います。


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ALL you need is love
writen by John Lennon/Paul McCartney
Love, love, love.
Love, love, love. 
Love, love, love.

There's nothing you can do that can't be done.
Nothing you can sing that can't be sung.
Nothing you can say, but you can learn how to play the game,

It's easy.

できないことなんて何もないんだよ
歌えない唄なんてない

言葉が見つからなくても
どうすればいいのか
ちゃんとわかるさ

簡単なことなんだ


There's nothing you can make that can't be made.
No one you can save that can't be saved.
Nothing you can do but you can learn how to be you in time?

It's easy.
 
作れないものなんてない
守れないものだって

何もできなくても
自分らしさって何なのか
そのうちわかるさ

簡単なことなんだよ


All you need is love, 
all you need is love,

All you need is love, love,
love is all you need.

君に必要なのは
愛だよ
愛がすべてさ

愛こそ
君に必要なものなんだよ


There's nothing you can know that isn't known.
Nothing you can see that isn't shown.
Nowhere you can be that isn't where you're meant to be.

It's easy.

わからないことなんて何もない
見えないものなんてない
居場所がないなんてことはないんだ

難しく考えないで


all you need is love,

All you need is love, love,
love is all you need.

君に足りないのは
愛だよ
愛がすべてなんだ

愛こそが

 君に必要なものなんだよ 




--------------------------------------------
日本では
『愛こそがすべて』
というタイトルで知られたこの歌に

ジョン・レノンが込めたメッセージは
シンプルなもの。

There's nothing you can do that can't be done.
 
できないことなんて何もない
なんだってできるさ

It's easy.
All you need is love.
 
簡単なこと
愛さえあれば大丈夫




できないことなんて何もないなら
それなら
何をしたいだろう。

どんな唄を歌いたい?
どんな言葉で伝えたい?

どうしたい?
どこにいたいの?

どんな世界を見たい?
どんな自分でいたい?




できないことは
ないのだから

愛さえあれば
何だってできるのだから

あとは
自分が決めるだけ。

とても
簡単なこと。

私も
そういう風に思います。




 


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世の中の人を
二つに分けるなんて
大ざっぱすぎるけれど

「行動の動機」という点から
人を二つのタイプに分けるとしたら

報酬がほしい人と
失敗したくない人
に分けられます。




「報酬がほしい人」は
人から褒められたいとか
人に良い評価をされたいとか
人によろこばれたいとか

この行動によって
何かしらのごほうびが
手に入るのではないか、
という期待から行動を起こします。

よく言われる
「承認欲求」というのもこれ。

つまりは
アメとムチで言うところの
アメがほしい人で

飴玉の甘さを知っていて
その甘さを味わいたくて
行動する人。

もしかしたら
その飴玉は
思ったより甘くないかもしれない。

飴玉がもらえる可能性よりも
うまくいかない可能性の方が
高いのかもしれない。

それでも
「報酬がほしい」
「報酬がもらえるかも」
ということが
行動のモチベーションになり

実際に
行動を起こします。

そして
そのときは残念な結果に終わったとしても
別のチャンスが巡ってくれば
やっぱり
飴玉を手に入れたいと
行動を起こす人。

リスクよりも
リターンを期待して
行動する人。
行動せずにはいられない人。

「報酬がほしい人」は
そういうタイプです。




「失敗したくない人」は
人に失望されたくないとか
人に悪い評価をされたくないとか
人を悲しませたくないとか

自分の行動によって
何かしらネガティブな反応が
返ってくるのではないか、
という怖れから
行動に慎重になりがちです。

ある意味では
承認欲求とも言えるかもしれないけれど
その承認は
「ダメじゃないよ」という
少しばかりややこしいもの。

つまりは
アメとムチで言うところの
ムチを怖れる人で

ムチの痛さを知っていて
その苦痛から逃れたくて
行動する(あるいはしない)人。

もしかしたら
思ったほど痛くないかもしれないし

ムチで打たれる可能性よりも
うまくいく可能性の方が
高いかもしれないのに

それでも
「失敗したくない」
「うまくできないかも」
ということが
ネガティブな原動力となって

どちらかというと
行動を起こすことに慎重になります。

やって失敗するよりは
やらないでいるほうがマシ
と考える人。

どんなに甘い飴玉が
ごほうびに用意されているとしても
何度かはうまくいったとしても
やっぱり
次のチャンスのときには
ムチで打たれることを想像して
行動を躊躇する人。

リターンよりも
リスクを怖れて
行動をためらう人。
行動することをやめてしまう人。

「失敗したくない人」は
そのようなタイプです。




たとえば
SNSに投稿するかどうか迷ったとき

報酬がほしい人は
「いいね!」がたくさんもらえたら
ちょっとうれしいものだから
迷ってもやっぱり
投稿します。

結果的に
期待したほど「いいね!」がつかなくても
少しガッカリはするけれど
また次のときには
迷って
やっぱり
投稿することを選びます。

反対に
失敗したくない人は
「この投稿おもしろくない」と
誰かに思われたりしたら
ちょっと嫌だから
迷ったあげく
投稿をやめます。

思いきって投稿してみたら
思いのほかたくさんの
「いいね!」がつくかもしれないのに
次に迷ったときには
やっぱり
投稿しないことを選ぶものです。




たとえば
付き合っている関係が
ちょっとギクシャクしているというとき

報酬がほしい彼女は
「話し合えばわかりあえるかも」
と考えて
お互いの気持ちを言い合おう
とことん感情をぶつけ合おう
そうして
どんどん行動に出るけれど

失敗したくない彼は
「話し合ったら自分が負けるかもしれない」
「大きな声で言い合いになってしまうかもしれない」
「今よりもっと険悪になるかもしれない」
と考えて
正直な気持ちをぶつけ合うなんて
絶対に嫌だと
どんどん動かなくなってしまうことも
あるのです。




アメがほしいか
ムチをおそれるかは

そもそもの性質であるから
自分で意識して変えようとしても
なかなか変わらなかったり
変えることそのものを
苦痛に感じたりします。

あまり
無理に変えようとすると
ほかのところがきしみます。

そして
いざというとき
ここぞというとき
大事な選択をしようとするときほど

この
もともと持っている性質が顔を出し
期待が強くなったり
怖れが強くなったりして

自然に本能的に
どう行動するか、
あるいは行動しないでおくか
が決まります。





どちらのタイプが良くて
どちらのタイプが劣っているとか
そういうことではありません。

どちらにも
長所と短所があり
どちらにも
損得があります。
どちらのタイプで生きても
よろこびがあり
悲しみも痛みもある。

ただ
そういう傾向がある、
というだけのこと。

大切なのは
自分がそういうタイプだからといって
その考えに
相手を当てはめないこと。

もっと連絡をくれたら
もっとたくさん愛してあげるのに
なぜ彼は連絡をしてこないの?
彼は愛情がほしくないの?
なんて決めつけて
ひとりで悲しくならないこと。

仕事でストレスを抱えてるなら
話してくれれば力づけるのに
味方になるのに
なぜ彼は話してくれないの?
なぜ彼は助けを求めないの?
なんて決めつけて
勝手に孤独ぶらないこと。

彼が
仕事ばかり優先して
なかなかデートしようとしないのは
アメがほしくないからじゃない、
ムチが怖いだけかもしれないと
想像してみること。

自分が期待しすぎているなら
期待を少し減らしてみること。

彼の怖れが強すぎるなら
安心させるように手を貸すこと。

彼の怖れが
自分にはどうにもできないものなら
これ以上
彼の怖れを大きくしないこと。

怖がる彼を
しずかにそっと見守ること。




人は皆
期待と怖れのはざまで
揺れ動きながら

愛されると期待を抱き
愛されないと怖れながら

行動したり
行動しなかったり

ただひとつだけ
どちらにも共通していることは

行動するのもしないのも

「相手がどうか」
ということではなく

すべては
あくまでも
どこまでいっても 
本人の心の揺らぎであるのだと

そういう風に思います。


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彼に対して
「どうして?」
「なんで?」
と思っているときは

彼と自分とで
向き合うような
対立するような形に
なっているとき。

まるで
敵と味方みたいに。




大好きで
となりで手をつないで
肩越しに見上げて笑いあって
肌と肌を重ねて
くっつきあっていたはずなのに

いつのまにか
こんなにも距離があいて

真正面から
にらみ合うような形で
居合いのように向き合っている。

気を抜いたら負け
譲ったら負け
信じたら負け

要求を通したら勝ち
思い通りに動いてくれたら勝ち
心を手に入れたら勝ち

いつから
こんなことになったんだろう。

ただ
大好きで
手をつないでいたかっただけなのに。




そんなつもりはなくても
敵と味方にわかれて
対立しているような形に
ふたりがなってしまうと

彼女には
彼のすることが
すべて
攻撃に思えてきます。

返信が遅いこと
電話の折り返しがないこと
未読のままスルーなこと
既読なのにスルーなこと
黙っていること
誘ってくれないこと
別れ話をしないこと

どんな状況であろうとも
どんな理由があろうとも
ただ
仕事が忙しくて
恋愛に気が向かないだけであっても

彼のすることはすべて
しないことまでもが
彼女にとっては
攻撃に思える。

彼が
心なく自分を傷つける
加害者に思えるし

自分が
哀れな被害者に思えます。




彼にとっても
同じことで

彼女のやることはすべて
自分に対する非難や攻撃に思えます。

忙しいのに返信の催促がくること
ひとりにしてほしいのにしてくれないこと
それどころじゃないのに
イベントに会いたいとねだること

まるで
自分を加害者のように
彼女ばかりが辛いかのように
彼に傷つけられたといわんばかりに
悲しそうに不安そうにしていること。

お互いに
そんなつもりはないのに
相手のやることいちいちを
攻撃のように受け取って

ピリピリと
張りつめた空気で
油断ならぬと向き合っていたら

それこそ
ほんとうの対立になってしまいます。




敵と味方のような
この対立関係を終わらせるためには

彼のそばにいくことです。
対立をやめること。

敵ではない、味方なのだと示したいなら
自分が
自分から
動くしかありません。
自分が動いて
彼の側に回ることです。

「悪いのは彼なのになぜ私が?」
と思うなら
それはまだ
対立の真っ直中にいるということ。

「傷ついたのは私なのに」
と思うなら
それもやはり
加害者と被害者の関係にあるということ。

「だって返事しないのは彼なのに」と
彼を動かそうと思うのも
それだってやっぱり
勝ち負けにこだわっているということ。

世の中の争いごとはおしなべて
終わらせることが難しいもので

「自分から終わらせたくない」
という思いがどちらも先立ち
 
「折れた方が負けになる」
という勝ち負けへのこだわりと
「正しいのはこちらなのだから
 
 譲歩することなどありえない」
というジャッジが手放せないために

相手を屈服させ
全面降伏させるまでは
対立関係が続き、

歩み寄ることなど絶対にない。

だから
紛争地域の紛争は
何世代にもわたり
多くの犠牲を出しながらも
終わりなく続いてしまうのだけれど

それと同じ対立構造が
恋人同士のあいだでも起きているとしたら
 
その争いが
いつまでも終わらせられないのだとしたら

なんて
残念なこと。





彼と
また仲良くなりたいなら

まず何よりも
「対立」の関係を終わらせること。

対立したまま
真正面から向き合ったまま
「あなたの味方だよ」と
どんなに叫んだって

なかなか
伝わらないものです。

手を差し出したら
撃たれると思っているのに
 
「この手をつないで」と
どんなに望んだって

なかなか
勇気を出せないものです。

伝えることより
望むことより
まず
自分から動いて
彼の側に回ること。

彼のそばに
そっと寄り添って
彼の立場や気持ちを
理解しようとしてみること。
 
できれば
共感すること。

敵と味方の対立を終わらせて
加害者でも被害者でもなくなって
勝ち負けへのこだわりも
善悪のジャッジも
手放すことができれば

たとえ
背中しか見えない日々が続いても
背中越しに彼の世界を見ることができるし
頑張ってと応援することもできるし
 
ときどきは
あっかんべーってしたって
うっかり見られて
彼を落ち込ませることもない。



味方でいたいなら
まず
対立をやめること。
 

そういう風に思います。


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会いたいときは
会いたいなって言えばいいし

寂しいときは
声が聴きたいって言っていいし

こまめに連絡を取り合いたいなら
そう言ってもいいのです。

大好きで
特別で
大切な人なのだから

会いたいと思うのは
自然なこと。

寂しいときや落ち込んでいるときには
誰よりも力をくれるのは
彼なのだから

他の誰でもない、
彼がいいんだから

声が聴きたいと思うのも
連絡を取り合いたいと思うのも
当たり前のこと。

だから
素直な気持ちのままに
彼に伝えればいいんです。

伝えてはいけない、なんてことはない
伝えていいのです。





ただしそれを
「愛する条件」にはしないこと。

自分が
会いたい
声が聴きたい
連絡を取りたい
と思うときに

彼もそう思っているかどうかは
わからないし
彼には彼の事情があります。

彼には彼の
置かれた状況があり
時間のやりくりがあり
自然な感情や気持ちがあります。

たとえば
自分は
会いたいと思ったけれど
そのタイミングでは
彼は会いたいと思っていないかもしれない。

そのときに
「会いたいときに会おうとしてくれる」
ということを

彼を愛する条件にしないこと。

「会いたいのに会ってくれない」
「会いたいのに会おうとしてくれない」
ということを

彼を愛さない条件にしないこと。




自分には
自然な感情があって

会いたいと思ったり
寂しいと感じたり
連絡したいなと思ったり

その
あるがままの自然な感情は
何よりも
尊重されるべきものです。
大切にしたいもの。

同じように

彼にも彼の
自然な感情があって

いま会うのはしんどいと思ったり
面倒だと感じたり
連絡する時間があったら寝たいと思ったり

そうした彼の感情も
また
尊重され
大切にしたいもの。

私は今とても会いたい。
俺は今あまり会いたくない。

同じとき同じタイミングで
まったく正反対の感情があったとしても

どちらも大切。
どちらも尊い。
そして
どちらも重んじたいもの。

その上で
今は会うのか
今は会わないでおくのか

歩み寄りながら
そのときどきの事情や状況によって
ふたりで決めればいいことです。




いつなんどきでも
ぴたりと同じ気持ちでいなければ、
なんてことはないし

自然な感情が
それぞれにあるのは当たり前のことなのに

受け入れられなくて
悲しくなってしまったり
不満に感じたりするのは

愛すること
愛されることに
条件を付けているからです。

会うことや
連絡することや
寂しいときに世話してくれることや
いつでも気持ちに応えてくれることを

愛すること、愛されることの
「条件」だと思っていて

その条件が満たされなければ
悲しくなってしまうし
不満を溜めてしまう。

「会いたいのに会ってくれない」
彼は条件を満たしてない。
だから
彼を愛するのはもうやめよう。

「連絡がほしいのにしてくれない」
彼は条件を満たしてない。
だから
彼は自分にふさわしくない。
彼は心の冷たい、ひどい男だ。

だから
彼は愛するに値しない。

そのときそのタイミングで
お互いの自然な感情が
ぴったり重ならなかった、
というだけのことなのに

そこに
のっぴきならない状況があったり
いかんともしがたい事情があった
というだけのことなのに

条件を満たしていないから、という
ただそれだけの理由で

愛することを
やめたり
あきらめようとしたり
してしまうのです。

愛することに
条件を付けているばっかりに。




わたしたちの社会は
何をするにも
まず条件ありき、

ほんとうにさまざまな
条件に溢れていて

残念なことに
小さな子どもが受け取る愛情でさえも
条件付きであることが
当たり前になっています。

親の言うことを素直に聞いたら、
お手伝いができたら、
お友だちと仲良くやれたら、
学校の勉強ができたら、
一番になれたら、
いたずらや悪さをしなかったら、

そしたら
褒めてあげる。
エライねって言ってあげる。
かわいいねって頭を撫でてあげる。
愛情をたっぷり注いであげる。

そうやって
条件と交換に
愛情を与えたり
愛情を受け取ったりすることが

知らず知らず
ごく普通のことになっていて

与えるほうも
受け取るほうも
疑問に思わないままでいて

だから
人と付き合うにも
人を信頼するにも
人を許すにも
人を愛することにも
条件を付けてしまうのです。




なぜ
愛することに条件をつけるのかと
そう聞かれたとしても
ちゃんとこたえられる人はいません。

無条件で愛したって
時間がムダになることも
損することもありません。

条件を付けずに
まっすぐ誰かを愛したって
自分の中の愛情が増えるだけで
奪われるわけではありません。

なのに
いつも条件を付けてしまうのは

「条件を付けるのが当たり前だから」。

当たり前すぎて
そんなものだと思い込んできただけだから
そもそもなぜ条件が必要なのか
誰もこたえられはしないのです。





「愛するための条件」を付ければ
それは
自分にも適用されます。

自分に対して
「愛されるための条件」があって

それをちゃんと満たしていなければ
彼から愛されないのではないかと
不安になってしまったり

愛されるための条件が気になるせいで
言いたいことが言えなかったり
我慢しすぎてしまったりします。

条件付きの愛情が
当たり前になっているから

何の条件もなしに
自分が誰かに愛されるなんて
信じられない。

自分も
条件を満たさなければ
人に愛されることはないのだ、と
思ってしまう。

だから
会いたいときに会いたいと言えない。
連絡を取りたいのにそう言えない。

会いたいと言って
彼がこたえてくれなかったら
失敗したとものすごく後悔する。

自分がつくった条件に
いつのまにか
がんじがらめになって

締め付けられた愛情は
どんどん小さく
シワシワにしぼんでしまうのです。

せっかくの
大切な気持ちだったのに。
何よりも
尊重したい気持ちだったのに。





会いたいなら
会いたいと伝えよう。

会いたい気持ちは
自然のそのままのかたちで
大切にしよう。

彼だからこそ会いたい、
その気持ちは
特別に大事にしよう。

そのかわり
彼の気持ちも受けとめよう。

会いたい気持ちに
こたえられない彼がいても
それもそれで
彼の大切な気持ち。

できるだけ尊重しよう。
そうなんだねと共感しよう。

私は会いたいよ。
あなたはそうでもないんだね。
私は会いたいよ。
あなたはどう?

シンプルに
ただそれだけのこと。

こたえられないときもあれば
こたえられるときもある。

モヤモヤするなら
そこにきっと
余計な条件がくっついてるはずだから

ひとつずつ
その条件をはずしていこう。

愛することにも
愛されることにも
条件なんてなくていいんだと
自分に言ってあげよう。 

自分の愛を
もっと自由にしてあげよう。




そして
はじまりの気持ちを思い出そう。

ただ
好きだと思うだけで
世界がキラキラと輝いて見えた
あのときの気持ちを思い出そう。

いつも
笑顔しかなくて
スキップしたくなるほど
心が弾んだ気持ちを思い出そう。

条件なんてひとつもなかった、
ただ
彼に出会えたことが
奇跡みたいに思えて感動した
あのときの気持ちを思い出そう。

彼が好き。

シンプルなその気持ちに
何度でも戻って
またはじめることができればと

そういう風に思います。


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「~すべきなのに」
と決めつける気持ちを手放せば

とても自由になります。

自由で
たのしくて
感謝にあふれて
心がくつろぎます。




たとえば
彼に対して

「連絡すべきなのに」
「返信すべきなのに」
「記念日は祝うべきなのに」
「クリスマスはデートすべきなのに」
「彼女が辛いときは力になるべきなのに」
という気持ちがあっても

それは
誰が決めたことでもなく
常識でも法律でもなく
ただ単に
「恋人とはそういうものだ」と
自分自身が決めつけたことなのだから

手放してしまえば
ずいぶんラクになります。

連絡がなくたって
返信がなくたって

忙しいのかな
返信する気分じゃないのかなと
相手の事情を汲み取れるかもしれないし

不安になったり
悲しくなったりすることも
なくなります。

したいときに連絡すればいいし
そんな気分なら返信すればいいしと
そう思えるようになります。

彼に対して
とても自由な気持ちでいられます。





「~すべき」という
決めつけを手放したのに

全然ラクにならない、
むしろ
彼への怒りが強くなる
ということもあります。

どうして私ばっかり
彼を理解しなきゃいけないのか、
我慢しなきゃいけないのか、

どんなに気づかったって
思いやりを持ったって

彼ばかりが
したいようにして
しかも愛されて
不公平じゃないかと

不満が募ってきます。

決めつけを手放すことで
彼ばかりが得をして
自分は辛いばっかりじゃないかと

憎々しくなってくるのです。

そういうときは
自分に対する決めつけが
残っているときです。

「連絡すべき」という
彼への決めつけは手放したけれど

「忙しい彼に連絡すべきじゃない」
「わがまま言うべきじゃない」という
自分への決めつけが残っていると

自分は苦しくなるばかりなのに
彼だけがラクになっているような気がするから

だから
全然ラクにならないのです。

彼を思いやるべき
彼をいたわるべき
彼に優しくすべき
いつも笑顔でいるべき
ずっと好きでいるべき

「~すべき」という決めつけは
彼に対しても
自分に対してもあるものだから

手放すなら
そのどちらも
同時に
手放すことです。

彼への決めつけだけを手放せば
自分ばかりが苦しいし

自分の決めつけだけを手放せば
彼が追い詰められてしまう。





決めつけは
つまり

条件なのです。
愛されるための条件であり
愛するための条件でもある。

連絡を返してくれない彼は
思いやる価値などない男のように思えるし

誕生日におめでとうと言ってもらえなければ
愛されていないのだと思えてくる。

ほんとうは
愛することに
条件などないのだけれど

愛するということは
なかなか見えにくいものだから
つかみどころのないものだから
だけど
すごく欲しいものだから
ずっと求めてきたものだから

愛するため
愛されるための
条件をつけて

愛することを
わかりやすくしようとする。

そうして
愛が形になって
見えてきたような気になって

安心しようとするのです。





だけど
決めつけた条件にあてはめて
愛することをジャッジしても

いつまでたっても
安心はできません。

いつまでもずっと
不安がまとわりつくのです。

これは愛かどうか
これは愛じゃないのではないかと

いつもいつも
不満や不安でいっぱいで
いつもいつも
愛がほしいと飢えていて

たとえそこに
愛があったとしても

条件に合わないからと
ふるいにかけて
気づきもしないでいるから

彼には
愛のない男というレッテルを貼り
自分は
愛されない女だと思い込む。

いつまでたっても
満たされないし
いつも
いつまでも
ずっと寂しい。

愛が愛だとわかるように
条件をつけたのに

条件をつければつけるほど
愛は
見えなくなってしまいます。





彼とのつきあいの中で

悲しくなったり
寂しくなったり
どうして?と思ったり
許せなくなったり
不安になったり
不満が積もったり

何か
割り切れない気持ちになったときは

「~すべきなのに」と
決めつける気持ちを
一度
手放してみることです。

誰かに聞いてたしかめたり
ネットで検索したりせずに

自分の心の目で
よく見てみることです。

そこに
ほんとうに
愛がないのかどうか。



そしてもしも
「これも愛かもしれない」と
思うものを見つけたら

それが
愛です。

骨董の目利きみたいに
宝石の鑑定士みたいに

愛について
これが真実
これは嘘だと
ジャッジできる人なんて
いないのだから

これも愛だと自分が思えば
それこそが
まぎれもなく愛なのです。

誰が何と言おうとも
心で感じたなら
それが
そうなのです。

人とちがっても
前例がなくとも
世界中でそれしかなくても

それが
あたりまえのこと。

決めつけた条件に
ぴったり合わないからと
イライラもやもやするよりは

「〜すべきなのに」という
決めつけを手放して 

ひとつでも多く
できるだけたくさん
自由にたのしく
感謝とよろこびをもって

自分だけが知る愛を
見つけることができればと

そういう風に思います。




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