恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

カテゴリ:心のこと > 不安になったら

恋がうまくいかないとき
恋人の気持ちがわからないとき

変わらず好きでいてくれているか
恋人に確かめたくなるものです。

ちゃんと愛されているという
証拠がほしくなるものです。

恋で悩んでいなくても
たとえば
自分に自信がないとき
心が折れそうになったとき

誰かに
「あなたは大丈夫」
と言ってもらいたくなるものです。

自信のない自分では
自分を認めることができないから
誰かに認めてほしい。

自分の内側が
ぐらぐらと揺れているから
外側からの
揺るぎない評価がほしい。

そうして
誰かに
恋人に
安心させてもらいたいのです。





彼女は
連絡の頻度だったり
お金を出してくれたかどうかだったり
記念日を覚えてくれて
お祝いしてくれるかどうかだったり
イベントは世間並みに
一緒に過ごしてくれるかどうかだったり
「好き」「かわいい」と
どのくらい言ってくれるかだったり

そういうことで彼の愛情を計ります。



彼の愛情が
十分に感じられたなら
「自分は愛される存在なのだ」
と安心します。

彼の愛情に感謝したり
彼の愛情に満ち足りたり
ということよりも
自分自身に安心する。

そうして
一度確認して
十分に感じられたからといって
それで終わりということはなく

自信がなくなったり
寂しくなったり
心が折れそうになるたびに

何度でも何度でも
確認したくなるし
評価してほしいと求めます。

自信がないときは
安心させてもらいたいから。




彼の愛情に
不足を感じたなら
「自分は愛されない存在なのだ」
と悲しくなります。

そのときの彼の
状況や事情や心境に
思いを巡らせることよりも
ただただ不安になる。

確認できるまで
評価してくれるまで
何度も何度も求めたくなるし

愛情が感じられなければ
なんて不誠実で冷たい人だと
泣けてきます。

不安なときは
安心させてもらいたいから。

不安になるたびに
「変わらず好きだよ」
と言ってくれる人だったらよかったのに

不安になる前に
たとえ仕事中でも連絡をくれて
「大丈夫。心配ないよ」
と言ってくれる人だったらよかったのに

催促なんてしなくても
記念日を覚えていてくれて
誘ってくれる人だったらよかったのに

言わなくても
ちゃんとわかってくれて
黙って抱きしめてくれる人だったら
よかったのに

どうして彼は
そうしてくれないんだろう

別れたいのかな
別れたほうがいいのかな
とさえ考えます。

もっとちゃんと
安心させてくれる人じゃないと
不安で仕方がないからです。





でも
彼だって同じです。

認めてもらいたいし
評価されたい。
自信がないとき
心が折れそうなときは特に
「大丈夫だよ」と
誰かに言ってほしくなるものです。

彼らのその気持ちは
もしかしたら
女性よりもずっと
私たちが想像するよりもずっと

切実で強迫的で
必死なものかもしれない。

焦燥感や無力感や敗北感に
圧倒されているのかもしれない。

彼のほうが
ずっと。





「何者かでありたい」
という願望は
女性より男性のほうが
ずっと強いものです。

他人の評価を必要とするのは
女性より男性です。

私たちは小さな女の子だった頃から
お友だちや家族との
とめどないおしゃべりを通して
「自分」という存在の輪郭を
何度も何度もなぞってきました。

成長して
恋をする頃には
「自分」について
なんとなくわかっているものです。

でも
男の子はちがう。

女の子が
「わたしってね」と
自分について
語り合っていたあいだ

男の子は
駆け回ったり捕まえたり
登ったりやっつけたり
汗をかいたり服を汚したり
すり傷をつくったり
うっかり物を壊したり

無心で夢中で時間を忘れて
頭をからっぽにして
頭をいっぱいにして
ひたすら
今を生きていたのです。

鏡に映る自分に気づけば
好きなヒーローになりきって
かっこつけたり
ポーズをとったり
台詞を言ってみたりするだけ。

自分について
おしゃべりする暇なんかない。

頭の中には
遊ぶために必要な
ルールや設定や知識を
ぎっしりと詰め込み

心は
理想と空想と妄想で満ち
両手はいつも
戦うために空けている。

そうして
瞬間を走り抜けるように
少年時代が過ぎ

自分の輪郭など
一筆もなぞらないまま
真っ白な画用紙を持って
彼らは
思春期を迎えます。

そして
呆然とする。

自分は何者なのか
何者になるはずだったのか

ヒーローになろうとして
ほとんどなりきって
夢中で走ってきたのに

はたと気がつけば
何者でもない自分がいる。

「何者かにならなければ」と
突き上げるような衝動が
芽を吹く。

社会に出て認められたい
何かを発信したい
社会の役に立ちたい
世の中に貢献したい
お金を稼ぎたい
高い地位も手に入れたい
願わくば
歴史に爪痕のひとつも残したい
叶うなら
女の子に好かれたい

男の子の
野望と焦燥のはじまりです。

もちろん女だって
社会で認められたいし
お金を稼ぎたい気持ちもあるし
世の中に貢献したい気持ちもある。

だけど女性は
少なくとも男性よりは
「自分」を知っているし
 
自分という存在の輪郭を
おぼろげにでも
描くことができている。

そして
私たちは心のどこかで
なんとなく、でも確かに
知っています。

命を育む性であること。
この世に命を生み落とす性であること。

だから
「評価されたい」という気持ちは
男も女も同じだけれど

切実さがちがうのです。
重圧がちがう。

何者にもなれなかったときの
絶望感がちがう。

お互いに不安だとしても
お互いに自信がないとしても

どうしても評価されたい
評価されなければと
渇望にも似た思いを抱いて
苦しみもがいているのは

いつだって
彼の方なのです。





彼が
あなたを見つめているとき

あなたを値踏みしているのでも
あなたを評価するためでも
ありません。

彼が
あなたを見つめるのは

あなたの目に映る
自分の姿を見るためです。

男性は
女性の目に映る自分の姿を見て
「自分は何者であるのか」
を確かめています。

うれしそうに笑ってくれれば
その瞳に
「女の子を楽しませる男」
が映っているということ。

怪訝な顔で無視すれば
その瞳に
「相手するほどの価値もない男」
が映っているということ。

尊敬のまなざしで
うっとりと見つめてくれたら
その瞳には
「デキる男のオレ」
が映っているということ。

どんなときも
幸せそうにしていてくれたら
「愛する女を幸せにできているオレ」
が映っているということ。

彼らはいつも
女性の瞳の中に
自分の姿を探しています。

自分ではよくわからない
自分という存在の輪郭を
彼女の瞳の中で
確認しようとしています。

男性は
女性を見つめているのではない、

女性という鏡が映し出す
自分自身の姿を
見ようとしているのです。




不安で
愛されてるか確かめたくなったとき

連絡の頻度やお金で
彼の愛情を計りたくなったときには

その前に
果たして自分は
この目に
どんな彼の姿を映していたのか

考えてみることです。

あなたが
いつも自信がなかったり
いつも不安げだったり
いつも寂しそうだったり
求めてばかりだったり
不足を数えてばかりだったなら

彼は
あなたの瞳の中に
「たったひとりの女も満たせない
 不甲斐ない男」
を見たかもしれません。

あなたが
「自分が愛されてるかどうか」を
気にしてばかりだったなら

そうして
彼をちゃんと見ることを
おそろかにしていたのなら

彼は
何も映らないあなたの瞳に
がっかりしたかもしれません。
自分が透明人間のように思えて
虚しくなってしまったかもしれません。

だから
やればやっただけ
ちゃんと評価が得られる仕事や趣味に
没頭してしまったのかもしれません。

彼女に会いたいと
思えなくなってしまったのかもしれない。

その瞳に映る
自分の姿を見ていられなくて。






お互いに自信がなくて
お互いに評価されたくて
恋が
停滞してしまっているなら

まずあなたが
評価されたい気持ちは
ひとまず脇に置いて
自信のなさも
とりあえず棚上げして

彼を
「最高の男」として
映し出すことです。

自分が評価されることよりも
彼を承認すること。

先に自分から与えること。

女に生まれた私たちには
その力が備わっている。

受け入れ
生み育み
与える力。
 
彼が
疲れてくたびれていても
もうダメだと打ちのめされていても
情けなくても
余裕がなくても
出し抜かれていても

現実がどうであったって関係ない。

どんなときでも
どんな彼でも

あなたの瞳に映る彼が
「世界で最高の男」であれば

彼はそれを見て
顔を上げることができる。
前に進むための力を得られる。
またやってみようと
奮い立つことができる。

「あなたはもっとできるはず」でも
「そのままで大丈夫だよ」でも
「いつも幸せにしてくれてるよ」でも
「いてくれてありがとう」でも
「どんなときも素敵」でも 
なんだっていいから

あなたなりに
あなたが知るかぎりで
あなたにできるかぎりで
「最高の男」として彼を
その目に映し出すことができれば

きっとそれが愛です。

 

たったひとりでいい、
どんなときも
自分を「最高の男」だと
見ていてくれる人が
そばにいてくれたら

彼は
「何者かにならなければ」
と追い立てられるような
重圧から解放されて

「何者かになってやろう」
「何者かになれそうだ」
と自信を持つことができる。

少年時代みたいに
自由に力強く
どこまでも走ることができる。



愛する人を
 
あなたが最高だと信じるその人を

この目に映し出すだけで
自信を与えることができるなんて

女に生まれるということは
どれほど誇らしく
幸せであることかと
 
そういう風に思います。



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ほとんど突然
彼から連絡がこなくなって

彼の気持ちが見えなくなって
彼という人がわからなくなって

ネットを検索したり
友だちに相談したり
恋愛の本を読み漁ったり

そうすることで
安心できるならば
それでいいのだけれど

安心どころか
ますます不安になって
 
ますます
彼の気持ちが
見えなくなってしまうことも
ある。




そんなときに
気をつけたいのは

熱くなりすぎないこと。

沈黙してしまった彼に
不安が募って
焦ってじたばたすると

自分ばかりが
どんどん熱くなる。

自分が熱くなればなるほど
彼のことが
どんどん冷たく感じる。

ちゅんちゅんに熱くなった心が
人の温もりを感じるためには

そのちゅんちゅんの熱さよりも
もっともっと
熱くなければいけない。

彼の心が
彼女に対して
彼女以上に
ちゅんちゅんに熱くなったら

仕事ができなくなってしまう。

だから
いつまでたっても
何を見ても読んでも
誰に相談しても
何度思い返しても
どんなことを振り返っても

彼の心は
もうすっかり
冷えきっているように思える。

そうとしか
思えなくなってしまう。





彼の心がわからなくなった
ということは

彼の温もりを
感じられなくなったということ。

彼の愛情のあたたかさが
感じられなくなったということ。

それくらい
自分ばかりが熱くなりすぎている
ということ。




だったらまず
自分の熱さを元に戻すこと。

ちゅんちゅんの熱を
いったん冷ますこと。

熱すぎず
冷たすぎず
いつもの
自然体のときの体温に戻れば

冷たいと思った彼の温もりを
感じられるようになる。

冷めたと思った愛情も
また感じられるようになる。

そうしてはじめて
見えてくることがある。

思い返して
あぁそういうことだったのかと
誰に保証してもらわなくとも
ちゃんとわかるようになる。




最初はかすかな
だけど確かな
彼のその温もりによって

ほかほかと
やさしく
ちょうどよく
あたためられた心には

彼を愛する気持ちが
春を待つ蕾のように
ふっくらと
また膨らんでくる。


そういう風に思います。


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いつも
ブログを読んでくださり
コメントを書いてくださったり
メッセージをいただいたり

ありがとうございます。

なかなか更新ができないまま
コメントやメッセージへの
お返事もできないままでいますが

いただいたものは
すべて拝見しています。

メッセージの中には
更新が止まっていることで
私の消息を心配してくださるものも
少なくなかったのですが

体調を崩したとか
精神が壊れたとか
そういうことでは全くなく

ただ
毎日多くのご相談をいただき
たくさんのお返事を書き
それだけで
「書く」ということが
いっぱいになり

ブログを書くまでに
なかなか至りませんでした。

更新が止まったブログでも
読んでくださったり
コメントやメッセージをくださったり
信頼して
ご相談くださる方がいることを
ありがたく思っています。


--------------------------------

 
最近あらためて
「音信不通」について
考えていました。



失恋も辛いし
浮気されることも辛い。

でも
音信不通の苦しみは
それとはまた別の

もしかしたら
最も壮絶なものではないか
と思うことがあります。

理由もわからず
いきさつもわからず
今どうなっているのかも
これからどうなるのかも
わからず

尋ねることも
話し合うことも
責めることも
先に進むこともできず

あきらめられず
ふんぎりがつかず

すべてに
靄がかかったような
わけのわからない中で

「愛する人に拒絶されている」
という事実だけが
突きつけられている状況は

ほんとうに
とても苦しいものです。

きっぱりと
別れを告げられて
失恋してしまう方が

そのときは苦しくて
たくさん泣くかもしれないけれど

それでもたぶん
音信不通よりは
ずっとましです。






音信不通になった人は

ネットで検索したり
人に相談したり
恋愛についての本を読んだり
占いやスピリチュアルなものに頼ったり

ありとあらゆることをして
その苦しすぎる
あいまいな状況から
なんとか抜け出そうとします。

どうなっているのか
どうしたらいいのか
どうなるのか
そして
彼は何を考えているのか。

でもそこに
絶対的なこたえはありません。

それはほんとうに
人それぞれのことで

音信不通から抜け出せる
確実な方法もありません。




だからなおさら
苦しい。

深くて暗い沼の中に
突然沈められて
溺れて息絶えてしまえば
まだ楽なものを
ずっと
もがき続けているような

息苦しさと
重苦しさと
打ちのめされたようなショックを
抱えたまま

毎日を
生きなければならない。

音信不通というのは
ほんとうに
苦しいものです。





鉛のかたまりを
飲み込んだような
その苦しみの中で

信じられること
たしかなことが
もしあるとしたら
それは

自分の中に残る
「生きるための力」です。




悲しくて
寂しくて
みじめで
みっともなくて
消えてしまいたい気持ちで

いちばん愛してほしかった彼から
たったひとことのLINEですら
もらえない自分が
無価値に思えて

何をしていても
そのことが頭から離れず
胸が詰まり
息が苦しくて
ふとした瞬間に
涙がこぼれそうになって

泣きながら眠りについて
連絡がある気がして
夜中にたびたび起きて
朝目が覚めれば絶望で

それでも
なんとか力を振り絞って
日々を生きる、

その
エネルギーが
自分に残っていること。

泣きたいだけ
泣いているわけにもいかない
眠れず食欲がなくても
起きて会社に出かけて
仕事をこなして
泣くのをこらえて
ときどき愛想笑いもして
着替えて歯を磨いて
お風呂に入って
身体と髪を洗って

立って
歩いて
声を出して
息を吸って吐いて

心はもう
潰れてしまっているのに

それでも
なんとか
毎日を乗り越えている

自分の
その生きるエネルギーを
信じてください。





すべてがあいまいで
すべてが宙ぶらりんで
何もかもが
わからなくなってしまった
真っ暗な闇の中で

この自分という存在が
たしかに
生きることをしている。
生活の営みを続けている。

それどころか
あいまいな音信不通から
なんとか抜け出そうと
出口を求めて

もがいたり
あがいたり
じたばたしている

その
生きるエネルギーの強さ。

ただ日々を暮らすだけで
精一杯なはずの
体力と精神力でも

まだ
愛を求めようとする
そのエネルギーの強さを
信じてください。

その強さがあれば
きっと
乗り越えていける。

ちゃんと明るい未来に
辿り着ける。

そう
信じてください。






どんなに苦しく
どんなにあいまいな状況でも
信じられるものは

自分自身の
生きるエネルギーです。

生きようとする力。
愛を求める力。
幸せに手を伸ばそうとする力。

次に絶望がやってくるまでの
ほんの10分間だけでもいいから

苦しみの中で
まだこんなに
生きようとしている
幸せになろうとしている

自分自身の
その力の強さを
信じることができたら
それが

音信不通という暗闇の中で
たったひとつ灯る
小さな明かりになるのだと

そういう風に思います。





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ALL you need is love
writen by John Lennon/Paul McCartney
Love, love, love.
Love, love, love. 
Love, love, love.

There's nothing you can do that can't be done.
Nothing you can sing that can't be sung.
Nothing you can say, but you can learn how to play the game,

It's easy.

できないことなんて何もないんだよ
歌えない唄なんてない

言葉が見つからなくても
どうすればいいのか
ちゃんとわかるさ

簡単なことなんだ


There's nothing you can make that can't be made.
No one you can save that can't be saved.
Nothing you can do but you can learn how to be you in time?

It's easy.
 
作れないものなんてない
守れないものだって

何もできなくても
自分らしさって何なのか
そのうちわかるさ

簡単なことなんだよ


All you need is love, 
all you need is love,

All you need is love, love,
love is all you need.

君に必要なのは
愛だよ
愛がすべてさ

愛こそ
君に必要なものなんだよ


There's nothing you can know that isn't known.
Nothing you can see that isn't shown.
Nowhere you can be that isn't where you're meant to be.

It's easy.

わからないことなんて何もない
見えないものなんてない
居場所がないなんてことはないんだ

難しく考えないで


all you need is love,

All you need is love, love,
love is all you need.

君に足りないのは
愛だよ
愛がすべてなんだ

愛こそが

 君に必要なものなんだよ 




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日本では
『愛こそがすべて』
というタイトルで知られたこの歌に

ジョン・レノンが込めたメッセージは
シンプルなもの。

There's nothing you can do that can't be done.
 
できないことなんて何もない
なんだってできるさ

It's easy.
All you need is love.
 
簡単なこと
愛さえあれば大丈夫




できないことなんて何もないなら
それなら
何をしたいだろう。

どんな唄を歌いたい?
どんな言葉で伝えたい?

どうしたい?
どこにいたいの?

どんな世界を見たい?
どんな自分でいたい?




できないことは
ないのだから

愛さえあれば
何だってできるのだから

あとは
自分が決めるだけ。

とても
簡単なこと。

私も
そういう風に思います。




 


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ホジャという
トルコのお坊さんがいた。

ある夜、外灯のまわりで
ホジャが何かを探しているのを
通りがかりの人が見つけ
声をかけた。
 
「何を探しているのですか?」

「鍵を探しているのだ」
とホジャはこたえた。

そこで
通りがかりの人も一緒になって
ホジャの失くした鍵を探したが
鍵は見つからない。

通りがかりの人がもう一度聞いた。
「そもそも鍵はどこで失くしたのですか?」

「家の中で失くしたのだ

「ではなぜ外を探しているのですか?」

「明かりのあるところで探した方が
 よく見えるからに決まっているじゃないか」

古い古い、トルコの昔話。





大事な鍵を失くして
大事な鍵だからこそ
なんとかして見つけねばと
必死で探していたのだけれど

失くしたその場所を
探さないでいて
見つかるわけなどないのに

明るいところで
探そうとする。

明るいところでしか
探そうとしない。

失くした場所を
探そうとしない。

とても大事な鍵なのに
どうしても見つけたい鍵なのに
失くした場所もわかっているのに

探そうとしない。

探しているふりをして
探そうとしない。




探そうとしないのは
見つけようとしていないのと
同じこと。

明かりのない場所を探すのは
なかなか面倒なことだから
探そうとしないのか

暗がりを探すのが
怖ろしいから
探そうとしないのか

それとも
ほんとうは
ほんとうの本心では

鍵を見つける気など
そもそもはじめからないのか

鍵を見つけて
家の中に入るのが怖いのか。

その
どちらなのか
どちらもなのか
とにかく

見つけようとしなければ
見つからないし

探そうとしなければ
探せない。

大事な大事な鍵なのに。





明るいところに
こたえがあるような
気がするかもしれない。

外側にばかり
こたえを求めたくも
なるかもしれない。

だけど
大切なものはいつだって
内側にある。

心の
自分の
内側にある。 

真っ暗なその場所で
最初は戸惑うばかりでも

暗くて何も見えなくて
見つかるわけないと
途方に暮れそうになっても

見続けていればそのうち
暗がりに目がなれて
ぼんやりと
うっすらと
心の内側が見えてくる。

怖がることはない。

自分のために
勇気を持って

大事な鍵を探しに行こう。





心の底の暗がりの
冷たい床に落ちている
小さな鍵は

きっとあなたを自由にする。

その鍵で
どこへでも行ける。



そういう風に思います。

 

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たとえば
自然災害に見舞われたり
事故や事件に巻き込まれたり
病気になったり
体調を崩したり
会社が倒産したり
リストラの憂き目にあったり
不祥事で大会に出られなかったり

辛い経験をして
どん底の苦しみや悲しみに襲われ
打ちひしがれている人を前にしたとき

どう思うだろう。

どんな言葉で
どんな風に声をかけるだろう。




たとえば

大災害のその夜
また明くる朝
着の身着のままで逃げ出して
配られた毛布にくるまって
不安げに座りこむ人に向けて

備えが足りなかったのだ
想定が範囲が狭かったのだ
自己責任だと
厳しく指さす人もいるかもしれないし

誰が悪かったのかと
責任のなすりつけあいに
終始する人もいるかもしれないし

前世の業やら因果やらで
バチがあたったのだと
ひそかに思う人もいるかもしれないけれど

でもきっと
多くの人は

そのときの自分として
できるかぎりの共感を寄せ
持てるかぎりの
やさしさと思いやりでもって

どうか
その苦しみが
時間と共に薄らいでいきますように

今すぐには無理でも
小さな希望を見つけて
また歩き出すことができますようにと

祈らずにはいられないものです。

たとえそれが
見知らぬ人であっても
テレビにたまたま映っただけの
どこかの誰かであっても
同じように思うものです。

仏教でいうところの
「慈悲」にも近い気持ち。

苦しみが取り除かれ
おだやかな日々が戻るようにと

あたたかい気持ちを
向けるものです。






同じように
自分が辛い目にあったとき
悲しみの底に落ちてしまったときに

その自分に対して
あたたかい思いやりの心を
向けられるかといえば

それは
なかなかむずかしいことでもあります。




何もかも失った人を見て
「なんてみじめな人生だろう」と
蔑むことなんて絶対しないのに

わけもなく音信不通になって
彼から拒絶されてしまった自分のことを
「なんてみじめな女だろう」と思う。

苦しむ人たち、悲しむ人たちを見て
「きっとまたいいこともある」と
信じたい気持ちになったり
「いつか幸せになって」と
強く願う気持ちになったりするのに

自分自身が
苦しく悲しいときには
「誰からも愛されないのだ」と信じ
「存在する意味があるのだろうか」と疑い
「価値のない女なのだ」と決めつける。

そうして
自分が自分を蔑むたびに
自分が自分を責めるたびに

自分が何度も傷ついてしまう。

この自分が
辛く悲しく苦しく
どん底の気分のそのときに

よりによって
自分が自分を傷つける。

打ちひしがれた自分を
さらに踏みつけるようなことをする。

わずかな希望の灯を
自分で吹き消してしまう。

他の誰かが
悲しんでいるときには
決してしないことなのに
ちゃんと慈悲の心を持てるのに

よりによって
なぜ自分にだけ
あたたかい気持ちが持てないのだろう。





愛する人に
愛する気持ちを
受け入れてもらえないことは
ほんとうに苦しいことであるし

愛してほしい人に
愛されないことは
どうしようもなく悲しいことであるけれど

それでも

自分だけは
自分を見捨てずにいられたら

どん底の自分に
やさしさと思いやりをもてたら

この
孤独と
不安と
情けなさと
絶望とに

自分だけは
寄り添い続けていられたら

他の誰かに向ける
慈悲の心よりも
もっともっとあたたかな気持ちを
傷ついた自分に
向けることができたら

それが
小さな希望の灯になる。

音信不通でも
ふられても
距離を置かれても
結婚話が進まなくても
なかなか彼ができなくても
愛されてる自信が持てなくても

みじめじゃないし
情けなくも恥ずかしくもない。

生きる意味はあるし
存在する価値もある。

誰かと愛し合うことだって
またきっとある。




病めるときも
健やかなるときも

喜びのときも悲しみのときも
富めるときも貧しきときも

どんなときも
何があっても

理想の姿じゃなくても
ほんとうの姿をさらけ出しても

心から愛し敬い
なぐさめ助け

命あるかぎり
真心を尽くすこと

「あなたを愛し続ける」と誓うのは
他の誰でもない、

この自分なのだと

そういう風に思います。


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彼が
黙ってしまったのは

彼女の存在を否定しているのでも
彼女を攻撃しているのでもなく

彼の事情で
黙っているのだ
ということです。




仕事が忙しすぎるのかもしれないし
返信を考える時間がないのかもしれないし
だからって
適当な返事はしたくないかもしれないし

ストレスやプレッシャーで苛立っていて
その苛立ちを
彼女にぶつけたくないのかもしれないし

気分が落ち込んで
鉛をのみ込んだような重たさで
毎日をやり過ごすのがやっとで
文字を打つ気力すらないのかもしれないし

朝から晩まで
仕事の連絡に追われすぎていて
連絡そのものに嫌気がさしているかもしれないし

なんとなく
さしたる理由もなく
「今度でいいや」と思ったまま
そのままになっているだけかもしれないし

ちょっとくらい返信をサボっても
彼女だしまぁいっかと
軽く考えているのかもしれないし

どんな理由があるにせよ

彼は
彼の事情で
黙っているのだ
ということ。

彼女が
存在を否定されたり
攻撃されるいわれはないのです。




たとえば

彼女が寂しがり屋で
ちょっと重ためのメールをしたことや
彼を責めるような口調になってしまったとしても

それで黙るのは
彼の事情です。

彼女のせいじゃない。

忙しさを理解せずに
会いたい寂しいと言ってくる彼女を
面倒だと思うなら
「忙しいから連絡控えてくれ」
と言ったっていいのだし

期待に添えないから
関係を解消したほうがいいと思うなら
「寂しい思いをさせるから別れよう」
と言ったっていいわけです。

何も
黙らなくたって。

彼女のした何かがきっかけで
彼が
何かを感じたり
考えたりしたのだとしても

そのことを伝えずに黙っているのは
彼の事情。

彼女が
黙らせているわけじゃなく

彼が
自分自身で
「黙ることを選んでいる」
ということです。




「彼が音信不通にした」
としても

「彼女が音信不通にされた」
というわけではありません。

彼が
黙ることを選んだ
としても

そのことで
彼女の存在が否定されたわけでも
貶められたわけでもない。

彼が
愛することをやめても

だからといって
彼女が
愛されない存在になったわけでもない。

彼が
愛を見失ったからといって

自分まで
愛を見失うわけじゃない。





彼の事情を
自己否定に結びつけないこと。

彼の選択を
自分の存在価値を測るものさしにしないこと。

彼の事情の中に
自分のすべてを委ねないこと。



彼は
彼の事情で
黙っている。
黙ることを選んだ。

ならば
自分はどうしようか。

もう一日待ってみるのか
まだまだ信じてみるのか
それとも
いったん区切りをつけるのか

その
小さな選択のひとつひとつが
自分という存在の石垣となり

自分の人生を生きていることの
ささやかな実感になる。

「自分でそう決めた」
ただそれだけが
ほんとうの
揺るぎない自信に
つながるのではないかと 

そういう風に思います。


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心の中に隠れている
ほんとうの自分の姿を見ることは

こわいことです。

どんなホラー映画よりも怪談よりも
おどろおどろしく
背筋が凍りつくような恐ろしさで

どんな醜い生き物よりも
みじめったらしく情けなく
身の毛もよだつような汚らしさで

こんなものが
こんな不気味な姿が
ほんとうの自分なのかと思うと

捨て鉢のやけっぱちみたいな
自暴自棄の気持ちになります。

やけくそになったり
絶望的な気持ちにもなる。




絶望的な気持ちで
やけくそに生きていくことは
あまりにも辛いので

多くの人は
ほんとうの自分の姿を見ることを
やめます。

見ないようにするか
最初からいなかったことにするか

今までよりもっと暗い
地下牢のようなところに閉じ込めて
今までよりもっと頑丈にかんぬきをかけて
「あかずの部屋」にしてしまったりします。




見ないようにしても
いなかったことにしても
地下牢に閉じ込めても

だからといって
ほんとうの自分と
縁が切れたわけではありません。

ここに生きている自分と
ほんとうの自分とのあいだには
へその緒ですながる母と胎児のように
切っても切れないつながりがあって

ほんとうの自分を
晴れてこの世に産み落とすまでは

どんなに見て見ぬふりをしても
最初からいなかったことにしても

腹の底で
ドクドクドクドクと
脈打って生きています。

ときどき
動いて体勢を変えたり
内側から腹を蹴ったりもする。

不気味で醜い
化け物のようなあいつ。




ほんとうの自分の姿がこわくて
必死で目を背けていたって

こわいことはこわいのであって
忘れてせいせいするなんて
できないのであって

だけど
正面から向き合うのも
やっぱりおそろしいので

だから
他人を利用するのです。

他人を鏡にして
そこに
不気味なあいつを映し出して

なんて醜いんだ
なんて汚いんだ
なんて情けないんだ、と

石を投げつける。

投げたその石で
鏡が割れてしまえば
不気味なあいつはいなくなる。
ほんとうの自分の姿を消すことができる。
一時的に。

しばらくたつと
腹の底から鼓動が響いてきて
内側から腹を蹴られたりして
またこわくなって
だけどやっぱり向き合えなくて

だから
また別の他人を利用します。

その人を鏡にして
そこに
不気味なあいつを映し出して

鏡が割れて
あいつの姿がみえなくなるまで
石を投げ続ける。

そうして
何枚も何枚も鏡を割って
何度も何度も石を投げる。

腹の底の
あかずの部屋にいる
ほんとうの自分を解放するまで

その攻撃は続くのです。
ただ疲れるだけの
むなしく無意味な攻撃。




他人という鏡に映し出すのは
醜く汚いだけじゃなく

ときには
弱くて哀れな姿だったりもして

かわいそうに
さぞかし辛かったろう
なんとかして救ってやる

問題を抱えたその人のことが
どうしても見捨ててはおけず
離れて見守ることもできず

自分を犠牲にしてでも
救い出さなければと
必死になります。

つまりそのとき
他人という鏡に映っているのは

誰からも見捨てられた自分。

他人の
悲惨な状況の中に
哀れな自分の姿を見出して
なにがなんでも
救ってやりたいと思うのです。

ほんとうに救い出すべき相手は
腹の底の地下牢に閉じ込められた
自分自身であるのに。





不倫した人を
汚いおぞましいと
二度と立ち上がれないほどに
よってたかって叩くのも

恋いがうまくいかない人を見て
そんなことだから幸せになれないんだと
そんなことではいつまでも不幸のままだと
決めつけて叱咤するのも

そこに
自分の姿を見ているのです。
隠しているはずの自分の一面を
垣間見ているからです。

煮え切らない彼に
イライラするのは
そんな彼を断ち切れない自分に
イライラしているから。

ちゃんと愛してくれない彼に
悲しくなったり
怒りがこみ上げたりするのは
自分が自分を
ちゃんと愛せていないから。

苛立ったり
許せないと思ったり
何とかして救い出したかったり
悔い改めさせたかったり
謝罪を求めたり
説得して考えを変えさせようとしたり
変えないなら不幸になるに決まってると
無意識にそう願ったり

それもこれも
他人という鏡に映し出された自分に

石を投げているだけなのです。

存在しないはずの
地下牢に閉じ込めたはずの
ほんとうの自分の姿から
目を背けたいだけなのです。





要求ばかりの自分も
執着が強い自分も
すぐ不安になる自分も
依存しがちな自分も
誰かから
承認されたくて仕方ない自分も
評価されたい自分も
愛されたい自分も

プレッシャーに負けそうな彼も
すぐダンマリしてしまう彼も
気分にムラのある彼も
浮気ばかりくり返す彼も
小言ばかりの彼も
恋愛に消極的な彼も
曖昧なばっかりの彼も

どんなであっても
それは

自分の
その人の
そのときその状況での
せいいっぱいの生き方。
愛し方のすべて。

そんな自分でもいいじゃない
と許すことができれば
そのぶんだけ
彼をゆるせるかもしれない。

そんな気持ちになることだってあるよ
と共感することができれば
そのぶんだけ
彼に寄り添えるかもしれない。

どんな自分でも
この自分こそが
まぎれもなく
この世にたったひとりの
かけがえのない自分なのだと

そっと肩に手を置くように
しずかに抱きしめるように

愛することができれば
愛そうと努力することができれば

鏡なんていらなくなる。
不気味なあいつだって
もうこわくなくなる。

彼のことも
もっとあたたかく
もっと優しく
もっともっと広い心で
愛することができるのではないかと

そういう風に思います。


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心って
ほんとうに
どうなっているのだろう。

どこにあるのか
どんな形をしているのか
誰もこたえられないけれど
きっと心臓の近くあたりに
たしかにあって

小さく
あたたかく
光っている。




心ひとつで

この世界のすべてが
恐ろしく思えて
足がすくんで動けなくなったり

この世界の何もかもが
バラ色に輝いて
どんな困難だって乗り越えられたり

心ほど
わたしたちを支配するものは
他にない。

心が閉じて
内側から鍵をかけてしまえば
外から何を言っても
伝わらない。

心の内側から
みなぎる力が湧き出せば
外からどんなに攻撃しても
びくともしない。

なにごとも
心ひとつのこと。

世界のすべてを
変えてしまうほどの力が
心にはある。




不安や怖れのせいで
心にもやがかかってしまえば

相手の心も
見えなくなる。

光っていたはずの彼の心が
消えているように見えたり

彼の心のあたたかさが
感じられなくなったりする。

傷だらけで
今もその傷が痛む心なら

うれしいことも
切ないことも
いちいち傷に染みて
ろくに味わえなくなる。

彼の何気ないひとことや仕草に
傷がえぐられるような気がする。

いつもシクシクと痛くて
いつも泣きたい気持ちになる。

心が健康でいれば
たいていのことは
その弾力で跳ね返すことができるし
やわらかく包み込むこともできる。

よろこびも
かなしみも
心ひとつのこと。

すべての感情は
心が作り出している。
心が生み出している。

理性や思考では
よろこびは作り出せない。

理性や思考で
行動を変えることはできても
目標を達成することはできても

胸いっぱいに
溢れるほどのよろこびは
心で感じるもの。

よろこびも
幸せも
心の内側で感じるもの。

外側にあるものじゃない。




ほんとうに
心って
なんてすごいものだろう。

どこにあるのかも
どんな形をしているのかも

どんなに優秀な科学者を持ってしても
確かなことなど何もわからないのに

ひとりひとりの中に
たしかに存在して

世界を変えるほどの
エネルギーをたたえ

限りなく強く
驚くほどやわらかく
どこまでもしなやかに

小さく
あたたかく
光っている。




悩んだとき
迷ったときは

その光を
よく見ること。

目をこらして
見ようとしてみること。

彼の心の光
自分の心の光。

光が消えている人なんていない。
あたたかくない人なんていない。

しずかに目を閉じて
心臓のあたりに
そっと手をあてて

心が
内側から
あたたかい光を放つのを
感じてみる。

この
小さくあたたかな光に
どれほどの力があるのか
想像してみる。

どんなに傷ついていても
どんなにぺちゃんこでも
またちゃんと再生する。

傷を癒し
弾力を取り戻し
そのあたたかな光で
誰かを愛することを
願ってみる。

そうしたら
きっと
彼の光も感じられる。
彼のあたたかさも思い出せる。

心と心で
たしかなつながりを
感じることができるのではないかと 

そういう風に思います。


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「~すべきなのに」
と決めつける気持ちを手放せば

とても自由になります。

自由で
たのしくて
感謝にあふれて
心がくつろぎます。




たとえば
彼に対して

「連絡すべきなのに」
「返信すべきなのに」
「記念日は祝うべきなのに」
「クリスマスはデートすべきなのに」
「彼女が辛いときは力になるべきなのに」
という気持ちがあっても

それは
誰が決めたことでもなく
常識でも法律でもなく
ただ単に
「恋人とはそういうものだ」と
自分自身が決めつけたことなのだから

手放してしまえば
ずいぶんラクになります。

連絡がなくたって
返信がなくたって

忙しいのかな
返信する気分じゃないのかなと
相手の事情を汲み取れるかもしれないし

不安になったり
悲しくなったりすることも
なくなります。

したいときに連絡すればいいし
そんな気分なら返信すればいいしと
そう思えるようになります。

彼に対して
とても自由な気持ちでいられます。





「~すべき」という
決めつけを手放したのに

全然ラクにならない、
むしろ
彼への怒りが強くなる
ということもあります。

どうして私ばっかり
彼を理解しなきゃいけないのか、
我慢しなきゃいけないのか、

どんなに気づかったって
思いやりを持ったって

彼ばかりが
したいようにして
しかも愛されて
不公平じゃないかと

不満が募ってきます。

決めつけを手放すことで
彼ばかりが得をして
自分は辛いばっかりじゃないかと

憎々しくなってくるのです。

そういうときは
自分に対する決めつけが
残っているときです。

「連絡すべき」という
彼への決めつけは手放したけれど

「忙しい彼に連絡すべきじゃない」
「わがまま言うべきじゃない」という
自分への決めつけが残っていると

自分は苦しくなるばかりなのに
彼だけがラクになっているような気がするから

だから
全然ラクにならないのです。

彼を思いやるべき
彼をいたわるべき
彼に優しくすべき
いつも笑顔でいるべき
ずっと好きでいるべき

「~すべき」という決めつけは
彼に対しても
自分に対してもあるものだから

手放すなら
そのどちらも
同時に
手放すことです。

彼への決めつけだけを手放せば
自分ばかりが苦しいし

自分の決めつけだけを手放せば
彼が追い詰められてしまう。





決めつけは
つまり

条件なのです。
愛されるための条件であり
愛するための条件でもある。

連絡を返してくれない彼は
思いやる価値などない男のように思えるし

誕生日におめでとうと言ってもらえなければ
愛されていないのだと思えてくる。

ほんとうは
愛することに
条件などないのだけれど

愛するということは
なかなか見えにくいものだから
つかみどころのないものだから
だけど
すごく欲しいものだから
ずっと求めてきたものだから

愛するため
愛されるための
条件をつけて

愛することを
わかりやすくしようとする。

そうして
愛が形になって
見えてきたような気になって

安心しようとするのです。





だけど
決めつけた条件にあてはめて
愛することをジャッジしても

いつまでたっても
安心はできません。

いつまでもずっと
不安がまとわりつくのです。

これは愛かどうか
これは愛じゃないのではないかと

いつもいつも
不満や不安でいっぱいで
いつもいつも
愛がほしいと飢えていて

たとえそこに
愛があったとしても

条件に合わないからと
ふるいにかけて
気づきもしないでいるから

彼には
愛のない男というレッテルを貼り
自分は
愛されない女だと思い込む。

いつまでたっても
満たされないし
いつも
いつまでも
ずっと寂しい。

愛が愛だとわかるように
条件をつけたのに

条件をつければつけるほど
愛は
見えなくなってしまいます。





彼とのつきあいの中で

悲しくなったり
寂しくなったり
どうして?と思ったり
許せなくなったり
不安になったり
不満が積もったり

何か
割り切れない気持ちになったときは

「~すべきなのに」と
決めつける気持ちを
一度
手放してみることです。

誰かに聞いてたしかめたり
ネットで検索したりせずに

自分の心の目で
よく見てみることです。

そこに
ほんとうに
愛がないのかどうか。



そしてもしも
「これも愛かもしれない」と
思うものを見つけたら

それが
愛です。

骨董の目利きみたいに
宝石の鑑定士みたいに

愛について
これが真実
これは嘘だと
ジャッジできる人なんて
いないのだから

これも愛だと自分が思えば
それこそが
まぎれもなく愛なのです。

誰が何と言おうとも
心で感じたなら
それが
そうなのです。

人とちがっても
前例がなくとも
世界中でそれしかなくても

それが
あたりまえのこと。

決めつけた条件に
ぴったり合わないからと
イライラもやもやするよりは

「〜すべきなのに」という
決めつけを手放して 

ひとつでも多く
できるだけたくさん
自由にたのしく
感謝とよろこびをもって

自分だけが知る愛を
見つけることができればと

そういう風に思います。




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