恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

カテゴリ: 心に残る言葉

触れず、抱かず、口づけせず、君を愛す。
君との空気を愛してる。 

実録漫画「スキンシップゼロ夫婦」より 


知人の紹介で出会い
 お付き合いのような
そうでもないような時間を過ごし
結婚した
まゆさんとみーさん。

「付き合おう」という言葉もなく
手をつないだのはたった一度きり、
ほんの3分足らずのこと。

キスもなく
それ以上のスキンシップもないままに
二人は結婚し

結婚して4年たった今も
まだスキンシップはゼロ。

人とはちがう夫婦関係、結婚生活への
迷いや戸惑いを
妻のまゆさんが綴ったブログ。





スキンシップがゼロであること、
まったく進展しない関係に
もちろん
まゆさんは悩んでいるのだけれど

でも不思議と
まゆさんを不幸だとは思わないし
二人の関係が偽物だとも思わないのは

まゆさんが描く
夫のみーさんが
やさしくてあたたかい人だと
わかるから。

まゆさんに
興味や関心がないわけでも
まして
愛してないわけでもないと
なぜか
わかるから。





夫のみーさんを描くときのまゆさんは
期待しすぎているわけでもなく
不安から目を逸らしているのでもなく

ただ
見たまま感じたまま、
夫であるみーさんという男性を
正直にまっすぐに描いている。

きっと
たくさんの葛藤と
表現にならない悲しみとが
あると思うのに

その葛藤も悲しみも
「シャイ」という言葉で
包み込んで

やさしくやわらかい
二人の証にしようとしている。





人の愛情を測るためのものさしは
世間のあちこちにあって

本気ならとか本命ならとか
本当に好きならとか
どうしても手に入れたいならとか
心底惚れていたらとか

お金をどのくらいかけたかとか
食事には全額払うかとか
プレゼントを買ってくれるかとか
サプライズを企画してくれたかとか
イベントは空けていてくれるかとか

連絡がないならとか
体の関係がないならとか
プロポーズがないならとか
言葉じゃなく行動しなければとか

それこそほんとうに
売るほどある。
掃いて捨てるほどある。

人の愛情を計るものさし。

いろんな人が
いろんなものさしを振りかざして
いろんなことを言う。

人の
まごころを
取り上げて

言いたい放題に
勝手なことを言う。





愛なんてそんなもの、
人生なんてそんなもの、
人の心なんて、
まごころなんてそんなものだと

ものさしばかり集めて
愛情を測ることに
熱中している人がいても

それはそれとして
その人の生き方であり
価値感であるのだから

どんな愛情も
どんなまごころも
まずはものさしを当てて
しっかり計測してから
ジャッジしていればいいのだけれど
したければ
そうしていればいいのだけれど 

でも
どんなものさしをもってしても
測ることのできない愛情は
たしかにある。

ものさしで測りたがる人には
ついぞ知り得ない愛情が
たしかにある。




「君との空気を愛してる」と

夫の顔を
やさしく描くその人に

ものさしなんて
何の意味もないこと。




悩んでも
迷っても

愛したいように
愛すればいいんだ。

葛藤や悲しみを
まるごと包み込む幸福もある。

そういう風に思います。
 



まゆさんのブログは
書籍化されるそうです。


 

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詩人・大岡信さんの書いた
「言葉の力」という文章があります。



今では人間国宝となった染織家、
志村ふくみさんの仕事場に
大岡さんが訪ねたときのこと。

志村さんが織り上げたという
桜色の着物を見た大岡さんは
その色の美しさに目を奪われます。

そのピンクは淡いようでいて、
しかも燃えるような強さを内に秘め、
はなやかで、
しかも深く落ち着いている色だった。

その美しさは
目と心を吸い込むように感じられた。

「詩・ことば・人間 (大岡信著/講談社学術文庫)」より


淡いピンク色であるのに
強い情熱を感じさせるような

はなやかであるのに
しとやかに落ち着いているような

強くも美しい、桜色の糸で織られた着物。

こんな美しい色は
どんな植物から取り出したのかと聞けば
やはり桜であるとのこと。

当然、大岡さんは
桜の花びらを煮詰めて染めた色だと
想像したのですが

実際はそうではなく
桜の皮から取り出した色なのだと
教えられます。

志村さんは続いてこう教えてくれた。
この桜色は
一年中どの季節でもとれるわけではない。
桜の花が咲く直前のころ、
山の桜の皮をもらってきて染めると、
こんな上気したような、
えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

はにかんだり
のぼせたりして
ふわりと赤く染まった頬のような
「えもいわれぬ色」、

こんなに美しい桜色が
ごつごつした肌触りの
桜の樹の皮から取れるなんて—。

私はその話を聞いて、
体が一瞬ゆらぐような
不思議な感じにおそわれた。

春先、間もなく花となって
咲き出でようとしている桜の木が、
花びらだけでなく、
木全体で懸命になって
最上のピンクの色になろうとしている姿が、
私の脳裡にゆらめいたからである。


桜の花にあらわれるピンク色は

ただ単に
花だけにあらわれた
花びらのピンク色なのではなく

幹と樹皮と樹液と
桜のからだぜんたいが表現した
ピンク色だったのでした。

桜の花びらだけにあらわれたピンク色を
志村さんという染織家が
丁寧なしごととして樹の皮から取り出し

桜という樹木ぜんたいの色として
見せてくれたことに
気づかされた大岡さんははっと驚き、

そして
詩人である彼は
このできごとからさらに
言葉について想いを馳せます。

言葉の一語一語は
桜の花びら一枚一枚だといっていい。

一見したところ
ぜんぜん別の色をしているが、
しかし、
本当は全身で
その花びらの色を生み出している大きな幹、
それを、
その一語一語の花びらが
背後に背負っているのである。


多くの人は
桜の花が咲く季節にだけ
花にあらわれたピンク色にだけ

桜という樹木の
色を見つけて
よろこび
もてはやすけれど

ほんとうは
ほんとうの桜色とは

一本一本の
それぞれの桜の樹木が
全身の力をふり絞った
生きるエネルギーの色。

ほとばしる命の色が
そのほんの一部分が
花びらに染み出したもの。

春の桜の花しか見ない人には
花びらのピンク色しか見えないけれど

樹木ぜんたいの
いのちの色を知っている
志村さんのような人には

ちゃんと
ほんとうの
その樹の色が見えている。

だからこそ
内に秘めた強い情熱と
堂々とした落ち着きをたたえた

「えもいわれぬ色」が染まる。





言葉だって同じこと。

言葉は
言葉そのものに
意味があるのではなく

もとから
その言葉の中に
心があるのでもなく

その言葉を発する人の
その人ぜんたいの心のエネルギーが

たまたま
ひとつの言葉となって
あらわれてきた
というだけのこと。

一枚の
花びらのように。 

その簡潔な言葉に
どれほどの想いが込められているか。

そのささやかな言葉から
どれだけのぬくもりを感じられるか。

そのたったひと言が
その人の人生のすべて、
生きることのすべてを
あらわしているのだと

知っている人と
知らない人のちがい。

知ろうとしている人と
知ろうとしない人とのちがい。

感じとろうとする人と
感じない人とのちがい。

ごつごつした黒い樹皮から
強くも美しい色を
取り出せして見せる人と

花びらのピンク色しか
見ない人とのちがい。

そういう態度をもって
言葉の中で生きていこうとするとき、
一語一語のささやかな言葉の、
ささやかさそのものの大きな意味が
実感されてくるのではなかろうか。




言葉の中にある彼の心を

言葉の量や頻度で
測るのではなく

わかりやすい愛の言葉が
あるかどうかだけで
彼の心を決めつけるのではなく

さりげないひとつの言葉が
彼という人ぜんたい、
彼の人生のすべてをあらわすのだと
知っていたい。

知っていて
大切に大切に
受け取りたい。

不器用な励ましからも
ぶっきらぼうな照れ隠しからも

言葉が見つからず
黙り込んだ姿からさえも 

心が吸い込まれるような
美しい彼の色を
そっと取り出したい。

取り出したその色を
丁寧に糸に染めて
根気よく織り上げていく
その作業の

こんなにも
幸せなこと。

彼の色で染めて
織り上げたその着物を
身にまとうことの

こんなにも
満たされること。

それが
言葉の力。

人が生きて
自分以外のいのちを愛することの力。




そして

彼に向けたわたしの言葉の
ひとつひとつにも

わたしという人間の
心と人生のぜんたいが
色になって
あらわれるのだと思えば

わたしだって
できるかぎりに
強くも美しく
はなやかに落ち着いた色を
ささやかにあらわしたい。

桜の花びらのように
一枚一枚は淡い色であっても

積み重ね寄せ集めれば
圧倒的な感動となって
彼の心に届くように

言葉の力を
わたしの色を

大切に
信じていきたいと



そういう風に思います。




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古語、むかしむかしの日本の言葉で

「おもて」と言えば
顔のことを指すものでした。

時代劇で
将軍様がおなりになって
「おもてをあげ〜い!」と
声がかかるとき
それは
「顔を上げてよい」
という意味であるし

強面(コワモテ)とか
面長(おもなが)とか

なじみある言葉の中にも
「おもて=顔」という使われ方は
たくさん残っています。

「おもて」はまた、
単なる顔だけでなく

外ヅラとか
よそいきの顔とか
「表向きの態度や表情を指す言葉」
でもあります。




それに対して

「うら」は
心のことを指す古語です。

うら寂しいは
心が寂しいさまを表すし

羨ましいはうらやむ、
「うら(心)が病んでいる」
という状態をいいます。

占いは
「うら(心)」を「綯う(なう)」もの、

綯うというのは
ワラの束を両手でよりあわせて
縄にすることを指す言葉で

つまり
「占う」という言葉は
「心をよりあわせて一本の縄にする」
というのが語源です。




百人一首の編集長である
藤原定家は

その中に入れる自身の和歌として
恋の歌を選びました。


来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ

権中納言定家(藤原定家)『新勅撰 和歌集』

〈訳〉
待てども待てども
来てくれないあの人を
待ち続け

松帆の浦の 夕凪の頃に
海岸で焼く塩が焦げるように

私の身も
恋しいあの人を
待ち焦がれているのです。


「浦」は「うら」、
外側からは見えづらくなっている
入り組んだ海岸のことで

表には出てこない、
外側からは見えづらい、
という意味で

心(うら)と浦(うら)は
同じもの。

「まつほのうら」は
松帆の浦という地名にかけた
来ぬ人を待つ心。

波の音もない夕凪の時間、
静まりかえった海岸に

ただひとりきり
塩をとるために海藻を焼き
恋しい人を待ち焦がれる。

せめて
煙だけでも
風が運んでくれればいいのに

この恋しい気持ちだけでも
あの人に届けばいいのに

風のない夕暮れに
海藻を焼いて立ち上る煙は
どこにも流れて行けない。

あの人を待つわたしの恋心も
どこへも行けない。

恋しいあの人には届かない。

ただひとりきり
この砂浜で塩を焼きながら
来ぬ人を待つだけ。




この歌だけ読めば
なんてせつない歌だろうと
胸がつまるような思いがするけれど

実は
この歌には
元になる歌(本歌)があります。


名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 
松帆乃浦尓 
朝名藝尓 玉藻苅管 
暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 
有跡者雖聞 見尓将去 
餘四能無者 大夫之 
情者梨荷 手弱女乃 
念多和美手 俳徊 
吾者衣戀流 船梶雄名

笠金村『万葉集』

名寸隅(なきすみ)の
舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる
淡路島(あはぢしま)

松帆(まつほ)の浦に
朝なぎに玉藻(たまも)刈りつつ
夕なぎに藻塩(もしほ)焼きつつ

海人娘女(あまをとめ)
ありとは聞けど見に行かむ

よしのなければますらをの
心はなしに手弱女(たわやめ)の

思ひたわみて
たもとほり

我れはぞ恋ふる
舟楫(ふなかぢ)をなみ
 

〈訳〉
名寸隅という舟瀬から見える
淡路島の松帆の浦に

朝凪のときに
海藻を刈りとって
夕暮れのときに
藻塩を焼いている
海女の娘がいるときく

そこにいると
知っているのに
会いに行くことができない

男らしい気持ちも持てず
か弱い女のような心で

思い悩む心は
いったりきたり

ただただ
恋しく想うだけ

舟も舵(かじ)もないわたしは。


百人一首におさめられた
定家の恋の歌は

万葉集のこの長歌への
返事なのでした。

 

会いたいのに
会いに行けない

松帆の浦で
藻塩を焼きながら
待っていてくれていると
知っているのに

舟も舵もなく
会いに行くことができない

男らしくない
情けない男なのだと

そう詠んだ彼の歌に対して

松帆の浦で
わたしも待っています

待っているけれど
恋しく想っているけれど

夕凪で風もなく
この気持ちを
届けることができませんと

待っている海女の気持ちを
詠んだのが定家の歌。




万葉集の彼の歌が詠まれたのは
西暦726年頃のこと

平安時代に定家が詠んだ
海女からの返歌は
それから500年ほど後のこと。

むかしむかしの恋の歌。




心理学も
自己啓発書も
スピリチュアルも
なかった時代、

19世紀に
フロイトが無意識を発見する
それよりずっとずっと前に

表には出てこない
ほんとうの心があることを
 
むかしの人たちは
ちゃんと知っていた。

恋愛指南書や
恋愛テクニックなんて
存在すらしていなかった時代、

メールも電話もなく
気持ちを伝える手段もなく
風に託すしかなかった時代にも

待たせる男と
待っている女がいた。

待たせていると知っていながら
会いに行けず
ふがいない情けないと
自分を責める男がいて

待っても待っても
会いに来てくれない人を
ひとりぼっちの砂浜で
恋しく想う女がいた。




待つことも
待たせることも
恋しい人を恋い焦がれることも

全然おかしなことじゃない。
恋する気持ちはみんな同じ。  

むかしむかしから
男と女がくり返してきた
生きることの営みのひとつ。

来ない人を待つなんてと
恋に身を焦がすなんてと
自分を否定したり
気持ちを抑えたりせずに

大好きな人を
恋しく想うその気持ちは

心という
静かな入り江の中で

大切に
大事に
そっと抱きしめていければと

そういう風に思います。
 


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何もできない
というのはとても辛いもので

音信不通だったり
彼と距離を置いていたり
失恋したり

電話もメールもLINEも
なんなら手紙だって電報だって

連絡したかったら
嫌がられてもウザがられても
ブロックされて
着信拒否されるまで
続けることはできるけど

そこまではできないのが普通です。

だからとても辛い。
何もできないということが。




でも考えかたを変えてみれば
「何もできない」というその状況が

素晴らしいギフトをもたらしてくれる

ということだって、あります。
 
私は、
すべての人が成人してからの2~3日、
全く目が見えなくなり、
口がきけなくなったらいいのにと
思うことがよくありました。 

暗闇は光のありがたさを、
静寂は音の寂しさを

教えてくれると思うからです。

『三日間の見える日』ヘレン・ケラー


見えない聞こえない話せないという三重苦から
自分なりの言葉を手に入れたヘレン・ケラーは
「奇跡の人」と呼ばれています。

見える聞こえる話せる私たちからすれば
三重苦のその苦しみは想像もつかないし

そこから
コミュニケーションのための言葉を
彼女が手に入れたことは
まさに奇跡としか言いようがないけれど

しかし
彼女にとってほんとうの奇跡とは
「言葉を手に入れた」ことではなく

見えないことがもたらす喜びに
気づけたこと

見えることのありがたさに
気がつけたこと

なのかもしれません。


目の見えない私には、
手で触れるだけで
何百という面白い物を
発見することができます。 

一枚の葉っぱが
対照的な形をしていることを
感じます。

白樺のなめらかな木の肌や、
松のゴロゴロした感じを
手のひらで感じます。

春になると木の枝を触って、
冬の眠りから覚める最初の兆しである
新しい芽が出ていないかどうかを
探り当てることができます。 

時として、
本当に幸運な時には、

木を触っていると、
さえずる小鳥の振動を感じたりもします。

これらすべてのことを目で見たくて、
私の心は時々張り裂けそうになります。

触れるだけで
これだけの喜びを感じるのですから、

本当に見ることができたら
どんなにか美しいだろうと思うのです。


見えないことによって

「触って感じる」ということを
彼女は知っていた。

聞こえないことによって

「振動を感じる」ということを
彼女は身につけていた。

光があることのよろこびは
見える人には当たり前すぎて
気づくことすらできない。

「ある」ことのありがたさに気づき
感謝することを忘れてしまいます。


時折、私は、
目の見える友人が
何を見ているか知りたくて
テストすることがあります。

この間も森の中の長い徒歩旅行から
帰ってきたばかりの友人に、
何か珍しいものでも見たかどうか
尋ねてみました。

彼女の答えは「別に何も。」 

1時間も森の中を歩き回って
何も見ないでいられるなんて
できるのだろうかと

私は自問しました。


ヘレン・ケラーは
世界を感じられるよろこびを
誰よりも知ることができた。

三重苦だからこそ。

葉っぱや木の肌に手で触れるとき、
小鳥の振動を全身で感じるとき、

誰よりも敏感に
深く静かな感動とともに
素晴らしい世界が彼女を取り囲む。

見える人聞こえる人には
知りようもない

それこそが
ヘレン・ケラーにもたらされた
何よりの贈り物です。




たとえば
音信不通だって失恋だって

見えない聞こえない話せない
という状況に変わりはなく

不安と恐怖しかない
真っ暗闇の世界に
たったひとりぼっちで

こんな苦しみはないって
そう思うかもしれないけれど

そのときこそ
貴重なギフトを受け取る
チャンスが訪れているのです。

見えて聞こえて話せるときには
気づけなかったよろこびに
今こそ気づくときなのです。

そっけないけど
気づかいの言葉が入ってたこと

メールは苦手なのに
遅れてでも返信してくれてたこと

忙しいのに
会う時間を作ってくれてたこと

最後まで
彼女の心を守ろうとしてくれたこと 

うっかり見逃してしまうほどに
ささやかでさりげない
彼の愛情を感じること。

通信機器に頼っていて
鈍感になっていた
フィーリングを感じること。

愛したい相手がいる、
ただそのことへの感謝の気持ち。

普通に連絡が取れて
普通に会えていたら
気づくことすらなかった

彼の優しさ。
男らしさ。
愛情と気づかいと思いやり。

彼という存在の大きさ。


そして、
私に3日間の見える日が与えられたら、
何を見たいだろうかと
想像してみました。

まず森の中を歩き回って、
自然の世界に我が目を凝らすことでしょう。

色鮮やかな日の入りを見て祈りましょう。

そうしたら、
その夜はきっと眠れないことでしょう。

日の出と共に起きて、
夜が日に変わる心躍る奇跡の時を
見てみましょう。

眠っている大地を覚ます
太陽の光の織り成す壮大なパノラマを、
畏敬と共に眺めるでしょう。


たとえば今
彼と連絡が取れない
会うことができない状況なら

好きな人に会えるということを
想像してみてください。

ヘレン・ケラーが
見える日を想像するように。

彼と言葉を交わせるよろこびや
彼と会える楽しさと嬉しさを
全身で感じたい。

出会えてよかった
いてくれてありがとうと
感謝の気持ちを伝えたい。

愛したい人がいる幸せに
心から浸りたい。

もしもまた彼に会えたら
そのときは
全身全霊で愛し抜きたい。 




当たり前だと思っていたことを
ある日突然、失ってしまうことは
耐え難い苦しみです。

今まであった光が
すべて消えてしまうことは
とても恐ろしいことです。

だけど
もたらされる奇跡も必ずある。

当たり前の幸せに感謝すること。
愛することの素晴らしさに気づくこと。 

その小さな光こそが
 
真っ暗なトンネルを抜け出して
新しい世界に出会う道しるべに

きっとなります。

あなたは
自分の目に入るすべての物に触れ
抱き抱えるでしょう。

その時初めて
あなたの目前に
新しい美の世界が現れるのです。



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だってどうしようもない
音信不通なんだから

メールもLINEも届かないし
ブロックされてるかもしれない
電話は出てくれないし
むりやり会いに行ったらそれこそ
ストーカーになってしまう

だからもうどうしようもない
だけどまだこんなに好きで
どうしても彼を忘れられない

そう思うのなら

好きでいたらいいと思う。
あきらめなくていいと思う。

3ヵ月連絡がない
半年も音信不通
1年も会ってない

だからもうお手上げだと思うなら
それならそこでもうおしまい。

自分であきらめたそのときが
その恋の終わりということ。




惑星探査機「はやぶさ」が
奇跡的に帰還を果たし
みんなを感動させたのは
つい数年前のこと。

もともとは
すぐ戻る予定だったのです。

小惑星イトカワで
微粒子を採集するしごと。

ほんの4年ほどのことだからと
重大ミッションを背負って
宇宙空間に飛び出したものの

宇宙空間というのは
想定したよりずっと過酷な環境で

部品があちこち故障して
エンジンの燃料が漏れ
とうとう動かなくなってしまい

「はやぶさ」は
回転を止めたまま
宇宙空間を漂い始める。

ついに交信も途絶えてしまい
JAXAと「はやぶさ」は音信不通。

もうどうしようもない。
連絡が途絶えてしまったのだから。




だけど
「はやぶさ」は帰ってきた。

60億kmという遙か彼方から
大事なカプセルを持って
「はやぶさ」は戻ってきた。

予定してた4年より少し長い
7年後のこと。




科学者だから技術者だから
それだけの知識と技術があるから
だから奇跡が起きたんだと
決めつけるならそれは違う。

「はやぶさ」と交信が途絶えたとき
技術者たちは絶望の淵にあった。

科学的には絶望的。
技術的にも絶望的。

だけど
彼らはあきらめず
何度も何度もトライした。

ダメなら別のやり方。
それがダメでもまた別のやり方。
それすらもダメ、
でもさらにまた別のやり方。

一度は成功したと思ったことでも
また想定外の大問題が起きる。

そのたびに
知恵を絞り根気よく辛抱強く
何度ダメになってもあきらめず
ひとつひとつクリアして

「はやぶさ」の奇跡は
そうやって起きた。

偶然でもラッキーでもない。
本当は奇跡でもなんでもない。

必ず戻ると信じて
やれることやるべきことに
全力で取り組んだだけ。




たとえばこんなこと。

宇宙をさまよう「はやぶさ」は
電波を発信はしていたものの
何しろ満身創痍でフラフラで
アンテナの方向が定まらなくて
 
だから
なかなか地球と交信できない。

だけどいつか
「はやぶさ」の太陽電池に光が当たって
電波を発信するときがくる。

フラフラの「はやぶさ」のアンテナが
たまたま地球の方を向けば
その電波を受信することができる。

いろいろな条件がぴたりと合う
その確率がどれくらいのものなのか

とにかく技術者たちは
修復のためのコマンドを送り続けた。

届くかどうかわからない
「はやぶさ」に向かって。

いつか必ず返事はくる。

小さなサインも見逃すまいと
ずっと信じて画面の前で待っていた。




「はやぶさ」から
やっと届いたメッセージは

ほんのかすかな
ノイズのような電波。

臼田局の担当の方が
ずっと画面を見ていました。

すると
ノイズにまぎれるかのような
小さなピークが、
ぴっと立ったんです。

「これかな」「これだよね」
といった会話をしたのを
今も良く覚えています。

(地上システム設計担当 NEC航空宇宙システム 杉浦 正典)

いつかは太陽電池に光が当たって
絶対に返事を返してくると
私も思っていました。

(軌道計画担当 NEC航空宇宙システム 松岡 正敏)


交信が復活して
故障したエンジンの対処も終えて

これでようやく戻ってこれる
あともうひといきと思ってから

「はやぶさ」が帰ってきたのは
それからさらに3年後のこと。

出かけるのが大変なしごとは
戻ってくるにも大変で

小惑星と地球の軌道のことやら
イオンエンジンのことやら 
いろいろ事情があるわけで

もしもここで
焦る気持ちが先走って
無理に帰らせようとしたら

「はやぶさ」は帰りの軌道を逸れて
地球の引力の届かない
ほんとうの暗黒の中に
永遠に消えてしまったかもしれない。


通信が復活したといっても、
 
最初は30分ほどの周期の間で 
ほんの数分だけ通信が出来る
といった状況だったので、

色々苦労をしました。 

(地上システム設計担当 NEC航空宇宙システム 杉浦 正典)


もうどうしようもないけれど
でもまだあきらめられない

そんな彼がいるのなら

あきらめないで
やってみればいいと思う。

何度ダメになっても
次から次へと問題が起きても

苦難を乗り切る覚悟を持って
あらんかぎりの知恵と努力で
きっといつか必ずと信じて

トライしてみたらいいと思う。

「絶対に返事をしてくる」
と考える一方で、

心の中のどこかには、
「もう通信が途切れて
 終わりになっちゃうのかな」
という思いも正直ありました。

相模原の運用チームの
みんなが諦めなかった、というのが
大きいと思いますよ。

諦めない姿勢が
「はやぶさ」の復活を
呼び込んだんです。

(軌道計画担当 NEC航空宇宙システム 松岡 正敏)


どうしてなんでと泣くのじゃなく
一方的な連絡をし続けるのじゃなく

やれること
やるべきことを
辛抱強く最後までやりきること。

人生という宇宙の中で
彼は今、どんな状態でいるのか

何に悩み 何に苦しみ
どんな毎日で
どんなストレスを抱えているのか

彼のミッションとは何なのか。

ノイズにまぎれた
小さなサインを見逃さないで
しっかりキャッチすること。

彼が必要とするコマンドを
送り続けること。

くりかえし問題が起きても
乗り越えようとする
タフさを持つこと。

タイミングを合わせること。
タイミングが合うまで待つこと。




どうすればいいかなんて
他の誰にもわからない。
わかるはずない。

広い宇宙のことなんて。
彼と自分に起きてることなんて。 

科学的に絶望的でも
恋愛マニュアル的にはNGでも

やってみたらいいと思う。

前例のあることを
奇跡とは呼ばないし
 
簡単に成功したら
感動は呼ばない。



人を想う気持ちはきっと
「はやぶさ」が彷徨った
広大な宇宙空間より

ずっとずっと果てしない。 

その限りなく漆黒の
ラズベリーの香り漂う闇の中に

たったひとりを探すこと。
たったひとりを想うこと。



信じる気持ちも
幸運も奇跡もぜんぶ
自分の気持ちの中にある。


アンテナの先には
「はやぶさ」が必ずいる。

返事がないだけだ、と、
あまり悲観はしていませんでした。

(運用担当 NECネッツエスアイ 川田淳)





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このショートフィルム。



“Blind Devotion”  by Jubilee Project Short Film




問題を抱える前、

彼女の愛し方は
当たり前の日常の中にあった。

彼好みのオムレツを焼き
シャツを真っ白に洗い上げる。

そのことに
心から喜びを感じる、
 
それが彼女の愛し方だった。


I'm going blind.
目が見えなくなった


闇に落ちてしまった彼女は
それまでの愛し方で
彼を愛せなくなってしまったことに
呆然とする。

卵がうまく割れない。
オムレツが作れない。
シャツが白いかどうか見えない。
 
彼のためにできることが
何もなくなってしまった。

and I will probably lose my whole career over it.
私はもう すべてなくしてしまうのだろう


愛することができなくなって
自分ひとりの面倒も見られなくなって

彼女は
強い恐れに囚われてしまう。

愛されないかもしれないとか
愛を失ってしまうという恐れではなく

「愛せなくなってしまった」
という恐れ。

愛する資格がなくなってしまった
という恐れ。 


How do you tell the person you love 
that you're going blind?
愛する人にどう伝えればいい?

I can't help but think that 
I'm becoming his patient not his partner. 
これではパートナーというより
患者だとしか思えない


愛することができない自分は
もはや重荷でしかない。

愛する人に
喜びを与えられない自分。

愛する人の求めるものを
与えられない自分。

以前のように愛することは
できなくなってしまった。

Maybe he'd be happier with someone else.
他の誰かとなら彼も幸せなのに

Someone who won't be a burden.
誰か負担にならない人となら

彼女は心を閉ざしてしまう。

失明しただけじゃなく
本当の闇の中に
みずから落ちてしまう。

愛してる人が
差し伸べてくれた手を振り払い

愛情を受け取ることを拒絶して
心を閉ざしてしまう。

そして
以前の自分に固執する。
 
以前のような愛し方で
愛さなければ
愛せるようにならなければと

ひとりよがりに思い込む。




置き去りにされた
彼の孤独には気づかない。




自分の問題を抱えて
心を閉ざしてしまった人を
愛し続けることは苦しい。

愛したい相手から
拒絶されることほど
傷つくことはないし

閉ざした心の前では
どんな愛し方も無意味に思えて

愛するこの自分こそが
消えてなくなってしまいたい

そんな風にまで思えてくる。

問題を抱えた張本人は
自分の無力さに
心を閉じてしまうけれど

置き去りにされた方だって
寂しくて
情けなくて

目の前で苦しんでいる愛する人を
救うことができないなんてと
自分の無力さに
ただただ打ちのめされるもの。


My wife is going blind…
妻は目が見えなくなった

and she doesn't want my help
僕の助けはいらないようだ

I want to wake up every morning 
and tell her that I love her.
毎朝、愛してると言いたくなる

That it's all going to be OK
言ったっていいんだ

But she doesn't want to hear any of it.
でも彼女は聞きたくないみたいだ

心を閉じてしまった愛する人は
自分の問題しか見えなくなって
こちらの孤独に気づこうともしない。

「それでも愛してる」と伝えれば
愛する人は
もっと大きな無力感に
押し潰されてしまうかもしれない。

「力になりたい」と手を差し出せば
愛する人の
わずかに残された自尊心を
打ち砕いてしまうかもしれない。

抱きしめることも
肩を抱くことも
言葉をかけることも
一緒に涙を流すことも
許されない。

そういうとき
どんな愛し方ができるだろう。


I follow her everyday without her knowing.
彼女には気づかれないように
毎日ついて行っている

Because that's true love is ,right?
真実の愛とはそういうものだ、そうだろう?

There's more than just a feeling.
気持ち以上のものなんだ

Cecilia will never know 
how much I do for her
セシリアが
僕に気づくことはないだろう

and I don't ever need her to know.
気づかれなくていい

That's how I still love her
それが僕の愛し方だ

ever though she doesn't want me to.
そうすることを
彼女が望まなくても


この夫のような愛し方だけが
正解だというわけじゃなく
 
最善だとか
唯一だというわけでもなく

大切なことは
ただ
「それが自分の愛し方だ」と
行動し続けること。

愛する人が落ちた深い闇に
自分まで落ちてしまわずに
相手には届かないと恐れずに

愛する自分を信じること。

自分の愛し方を信じること。

自分にとっての真実を信じること。





病気で失明する
ということじゃなくても

愛する人が
何か問題を抱えて
二人の関係がこじれる、
ということはある。

たとえば
仕事でストレスや問題を抱えて
「もうオレは終わりだ」と
彼自身がそう思うのならそれは
闇に落ちたのと同じこと。

もう自分の愛し方で
かつての愛し方で
愛せなくなってしまった

だからそばにいてはいけないと

自分勝手にそう決めて
ひとりきり
闇の中に身を隠してしまう
ということもある。




そんなとき
それでも
彼を愛したいと思うのなら

愛し方を見つけること。

彼に届くかどうか
彼が望んでいるかどうか
彼が受け取ってくれるかどうか
そんなことは関係ない。

愛したいなら
愛し方は必ず見つかる。 

自分の愛し方を
思い出すことができる。 




タイトルの “Blind Devotion” は
そのまま訳せば
「盲目の献身」
ということだけれど

Blindは
失明した妻であり
闇に落ちた誰かの彼でもあり
取り残された側の孤独でもあり

だからこのタイトルには

「相手には気づかれなくても
 愛情を捧げ続ける」

という意味もある気がする。

「見えない献身」という意味。

夫は妻に気づかれないように
無償の愛を捧げたし

妻もまた
見えなくなった闇の中で
手探りで
なんとか愛し続けようとした。

やり方はそれぞれに違っても、
愛そうとしたことに変わりない。

たとえそれが
相手の望む愛し方ではなくても。

彼のBlind Devotionと
彼女のBlind Devotionと。




その暗闇に怯えずに

「これが私の愛し方だ」と
静かにそっと
心の中で
宣言することができれば

恐れと孤独に震えずに
誇りを持って
喜びを感じて
相手に向かってまっすぐに
ブレずに迷いなく
気持ち以上の行動で

愛し続けることができれば 

それはきっと
いつかの二人の光になる。

だから
どんなに真っ暗闇でも
自分まで
心を閉じてしまわないで。 


Louie likes everything in them
ルイは色々混ぜたのがいいらしい
but that's how he loves them.
それが彼の愛し方だ

彼のために
オムレツを作る妻は
本当は知っていた。

he likes everything in them

彼はすべてをまるごと愛する。
野菜もマッシュルームもベーコンも。
混ぜこぜに、あれもこれも愛する。

それが彼の愛し方。

健やかなるときも
病めるときも。

はつらつと美しい妻も
無表情で白杖をつく妻も。

心を閉ざし
自分を拒絶する妻でさえも。

ずっと前から
妻が知っていたとおり

彼はずっと
そんな風に愛してきた。

その愛し方で
いつものやり方で
妻が知ってる愛し方で
ずっとそうしてきたやり方で

彼は妻を
変わらず愛し続けた。

愛する行動をし続けた。

たとえ彼女が
それを望まないとしても。



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恋愛でなにか悩んでいるとき
「自信を持つ」
ということがよく言われます。



彼がしてくれないことに
モヤモヤしたり
不安になったりしてしまうとき

もっと自分に自信を持てれば
「ないもの」に嘆くより
「あるもの」を探すことができる、
ということはあります。

たとえば
「忙しくてしばらく会えない」
と言われたときに

「彼は愛情が冷めたんだ」
「私には会いたくないんだ」
と不安になるのか。

「不安にならないように
 忙しいことを伝えてくれたんだ」
と感謝できるのか。

あるできごと、
ひとつの言葉に
どんな意味があるのか、

意味づけをするのは受け取り側です。

ネガティブな意味づけをするのも
感謝して愛情を受け取るのも
受け取る側それぞれのこと。

言葉を発した側の意図とは
全然違う受け取り方をすることもあるし

もしかしたら
発した側には深い意味なんてなくて

そもそも意味づけなんて
しなくていいのかもしれないし。




自信がない人ほど、
ネガティブな意味づけをしがち。

その自信のなさが
生い立ちや過去の失恋経験にあるのなら
その傷を自分で癒して
「私はそのままで愛される存在だ」
と肯定することはとても大事なことです。




今まさに音信不通になっていたり
忙しい彼と連絡も取れず
会うこともままならない、
というような状況だとすると

「私は愛されてる」

なんて
とても思えない。思えるわけない。

思い込ませようとすると
頭のどこかから
「だけど音信不通じゃないか」
と囁く声がしてくる。

不安になる。

その不安な心で
できごとを受けとめれば
やっぱり
ネガティブな意味づけに
なってしまいます。

愛されていないかもしれない、
愛されてないとしか思えない、
というような現実が
目の前に立ちはだかっているときには

「自信を持つ」ことほど難しいものもなく。

どう見ても愛されてないのに
愛されてると思い込もうとしている自分は
滑稽で憐れで、
どうしようもなくみじめで
やっぱり
愛されてない可哀想な女に思えて
泣けてきたりもするものです。




だけど
「自信を持つ」って本当は
そういうことじゃない。

彼から愛されてる自信じゃなく
他の誰かから愛される自信でもなく

自分自身の
愛する気持ちに
自信が持てるかどうか。





岡本太郎のエッセイに
こんな文章があります。


大切なのは、
他に対してプライドをもつことでなく、
自分自身に対してプライドをもつことなんだ。

他に対して、
プライドを見せるということは、
他人に基準を置いて自分を考えていることだ。

そんなものは本物のプライドじゃない。

たとえ、
他人にバカにされようが、
けなされようが、
笑われようが、

自分がほんとうに生きている
手ごたえをもつことが、
プライドなんだ。

相対的なプライドではなくて、
絶対感をもつこと、
それがほんとうのプライドだ。

このことを貫けなかったら、
人間として純粋に生きてはいけない。



連絡がなくて不安になるのは
愛されてる自信がなくなってるのではなく
愛する気持ちが揺らいでいるから。

フェードアウトかも…と思うのは
愛してる人の
人間性を信用できないから。

苦しくてたまらない音信不通に
いつまでも耐えてしまうのは
愛するか
愛さないかを
自分で決めていないから。



一般的な恋愛がどうであろうと
恋愛マニュアルにどう書いてあろうと
お友達がどんなに心配しようと

誰が何と言おうとも

「彼が好き。」

と言い切れるかどうか。
胸を張ってきっぱりと
静かに宣言できるかどうか。

「自信を持つ」ってそういうこと。



悩んで苦しくてどうしようもないとき
自分を救ってくれるのは

自分自身の
彼を想う気持ちに対する自信です。

彼に愛されてる
盲目的な自信ではなく。

もちろん
自分はどうなってもいいという
自己犠牲の強い依存心でもなく。

今はもう
優しいだけの彼ではなくなって
連絡もままならない
次に会う約束もできない、
逃げてるようにしか見えない彼、

そんな彼でも
彼という人の存在そのものが
今も自分を幸福にしてくれてると
心から感じられること。

いつも笑っていられる自分でいるために
周りの人に
愛情を発信できる自分でいるために
彼の存在が必要だと感じられること。



いつだって彼は
みなぎるパワーを与えてくれる。
幸せにしてくれてる。
 
その幸せな自分が
また誰かを幸せにできる。

幸せを感じて満ち足りる、
自分のその気持ちが
彼を幸せにする。



不安で悩んで苦しいときほど
自信を持つことです。

彼を愛する気持ちに。
 
愛する価値のある彼だと
信じる気持ちに。

「自信を持つ」って
そういうことだと思うんです。
 



自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか
青春出版社
2002-01-01



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彼との関係がこじれると、ちょっと依存気味になってしまったり、重たくなってしまったりすることがあります。そうなるとますます彼の気持ちもさらに冷めてしまいます。彼は引く、彼女はすがる、彼はどんどん引いていく、彼女はどんどん重たくなって依存する…というドロドロな状態になってしまうことも。

そういう状況から抜け出すには、やっぱり「自立」がキーワードになります。彼の態度が変わってくれることじゃなく、自分自身が自分の足で立つこと。イメージとしてはなんとなくわかるけど、実際のところ、じゃあ自立ってなんだろう。そういうことを考えていました。

先日15年ぶりに『最後の家族(村上龍著)』という小説を読み返しました。依存しあう家族の話です。

リストラに怯えてローン返済ばかり気になる父親、ひきこもりで暴力をふるう長男、カウンセリングに通ううちに若い男と不倫しそうになる母親、援助交際に走る長女の4人家族。

ある日、隣家の主婦が夫から暴力をふるわれているのを窓から目撃したひきこもりの長男。その主婦をDV被害から救い出そうと動き始めます。

一方、息子の暴力に悩む母親はカウンセリングに通い始めました。短大を出てすぐ結婚し出産した母親は、家族に依存していた自分に気づきます

〈自分が何を実現したいのかを考えることから逃げるためじゃなかっただろうか〉

だから安易に結婚に逃げたのではなかったかと。夫のため子供のためと言い訳しながら、自分の人生と向き合うことから逃げてきた。夫や子供の人生を、自分のものとすり替えてきた。「私は私の人生を生きなければいけない」と母親は気づき、決意します。

仕事をはじめた母親は、子供たちから心理的に自立しはじめます。経済的な自立も少しずつ。母親に必要だったのはまず自分自身の生活や人生を立て直していくことでした。「子供をどうにかしなければ」と考えることではなく。



DV被害の主婦を救い出すことができなかった長男は、万策尽きて最後に頼った弁護士からこう言われます。

DVは救うとか救われる、といったことでは解決しないんです。他人の指示ではなく、自分は家を出るのだという自覚が必要なのです。

主婦を救いたいというのはDVの第一歩なんです。救いたいという思いは、案外簡単に暴力につながります。彼女は可愛そうな人だ。だからぼくは救わなければならない。ぼくがいなければ彼女は生きていけない。そういう風に思うのは、他人を支配したいという欲求があるからなんです。そういう欲求が、ぼくがいなければ生きていけないくせに、あの態度はなんだ、と言う風に変わるのは時間の問題なんですよ。

他人を救いたいという欲求と、支配したいと言う欲求は、実は同じです。そうしてそういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついている場合が多いんです。

自分の傷を、人を救うことによって癒すことはできない。自分の心を向き合うことから逃げるために、他者を利用してはいけない。「誰かの支えになりたい」と思うことは、その誰かをつっかえ棒にして自分が立つのと同じこと。

落胆する長男に弁護士が聞きます。「あなたも誰かに救われたことがあるはず」。そこで長男はようやく気づきます。自分の顔色ばかり伺っていた母親が自立の道を見つけて歩き始めたとき、自分も心が楽になり外に出ようと思えたこと。

親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。



つまり自立とは

●他人と自分の境界線を引くこと。

●他人をコントロールしたいという欲求を持たないこと。



自分は自分、他人は他人だと認めること。心理的に一人で生きられる自分でいること。

そのためにはもちろん経済的な自立も必要です。恋人や家族や友達、誰かと繋がっていなければ寂しくて仕方がないなら自立できてないということ。誰かの庇護下にいなければ将来が不安だというならそれも自立してるとは言えません。援助を受けて生活しているならそれも。

他人に手を差し伸べることで自分の価値を感じたい人は、見返りを期待しています。あなたのためだからと言いながら、自分の考えを押しつけようとします。他人を支配したい人は、相手が思い通りに反応しなければ腹を立て、自分と違う意見を受け入れることができず怒りの感情を持ちます。

恋愛でも同じこと。自立できてない女性が彼に思いやりを向けても、重くなります。彼の喜びも悩みもすべて共有したいと思うのは、境界線がきちんと引けていない証拠です。尽くしたぶんだけ愛情が返ってこないと不満に思うのは、コントロールしたい欲求の裏返しです。



小説の最後、家族はばらばらになります。リストラされた父親は一人生まれ故郷に戻り、母親は仕事を持ちつつ新しい恋人との関係を始め、長男は目標を見つけて学校に通い、長女も自分の道を探して動き始めます。

離れたからといって支え合えないわけじゃない。自分の自立はきっと誰かの力になる。崩壊してしまったかのように見える家族は、それぞれの再生に向かって歩き出したのだと思います。

ちなみに一番の問題は、実は父親です。すべてを会社と仕事に依存して生きてきたからリストラされて呆然とする。自覚がないから自立できない。家族が旅立った後、彼らの自立に促されるようにようやく自分も本当の人生を歩き出そうとします。遅ればせの自立。こういう父親は今でも多いだろうなと思います。もちろん社会構造にも問題はあります。




最初にこの小説を読んだとき、私は25歳。もちろん自立なんて全然できてませんでした。だから「自立することは身近な誰かを救う」という言葉にギクリとしました。共依存になる素質は私にもじゅうぶんあったと思います。「人のため」とか「役に立つ」とか大好きだったし、自分の価値を他人に依存しがちでした。

いろいろあってそのうち「自分の望みに正直に生きよう」と意識が変わり、経済的な自立の意志も持ちました。役に立つとか評価されたいとか世間の目とか、家族のためとか人のためとか彼のためとか、そういうものに逃げないようにしようと思ったし、他人のものさしは捨てようと思いました。

自分と他人の境界線をきちんと引けるようになると、霧が晴れて目の前の世界が明るくクリアになります。「人は人」だと思えます。その上で優しくしようと思えるし、見返りはそれほど期待しなくなります。恋愛や人間関係の不安も減るし、感情的な言動もたぶん減ります。人生を楽しめるようになります。もちろん今だって軸がぐらつくことはあるにしても。

「自立した人間同士が支え合うことと、依存しあって生きていくこととは全く別のことだ」と村上龍は言います。「自立」はそれぞれが身勝手に生きるということではなく、人を救えるだけのじゅうぶんな力を持って生きるということ。

誰かを救いたいのならまず自分のために生きろ。それがこの小説の主題です。

〈一人で生きていけるようになること。それが、親しい人を結果的に救うことになる〉



※恋愛依存についてのまとめはこちらから



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前回の記事
忙しい彼からの愛の言葉
で書いたように

気づかいの言葉が
愛の言葉だと気がつくと

そういえば
あれもそうだった
これもそうだと
思い当たることがいくつも出てきます。

そのひとつ、
これから書くことは
とても悲しい話なのですが

日本の男にとって
気づかいの言葉が
どれだけ深い愛を込めたものかということ、
もう少しつづけます。




アメリカNYで
同時多発テロがあったとき
機内から家族に
電話した方々がありました。

繋がった方もいれば
繋がらないまま
留守電にメッセージが
録音されていたという方も。

「愛している。また天国で会おう」
「愛している」
「どんなに家族を愛しているか知ってほしい」 




約30年前の日航機墜落事故でも
多くの乗客が
家族宛てのメモを残していました。

会社の封筒や胸ポケットの手帳、
急降下する機内で
走り書きのように書き付けたもの。

「みんな元気でくらして下さい」
「どうか仲良く がんばって」
「しっかり生きてくれ」
「しっかり生きろ 立派になれ」
「しっかりたのんだぞ」
「子供達の事をよろしくたのむ」


 

不慮の事故に遭遇し
自らの最期を覚悟した人たちが
最愛の家族に伝えたかったこと。

その思いの深さに
どちらも変わりなく、
また比べるものでもありません。

ただ表現の仕方が違うだけ。
思いの方向が違うだけのこと。




日本の男たちはついに
「愛してる」
とは言いませんでした。

硫黄島の栗林中将も、
30年前の墜落事故の犠牲者の方たちも。

守るべき存在を
守れなくなったと悟ったとき、

彼らは
「愛してることを知っていてほしい」
とは思わなかったのです。

残されたわずかな時間、
無念をこらえてただただ
家族の無事を祈るだけ。

妻に両親と子供達のことを頼み、
そして高校生の長男には
「母を助けるように」と託す、
それが日本の男たちの愛。

父は祖父を見て育ち、
その父を見て少年たちは育ちました。
それが今の彼たち。

グローバルだなんだと
時代は変わったように
言われているけれど、

男たちの愛の言葉が
たった数十年で変わるわけがない。

文化とはそういうもの。
精神性とはそういうもの。

日本の男たちの愛を伝えるのは、
気づかいの言葉に違いありません。
今も変わらず。


 

戦争は終わったけれど、
男たちが
愛する人のそばにいられない
という状況は
現代の日本でも多くあります。

その生き方の是非はともかくとして

勤勉で粘り強く、
忠誠心と責任感で
激務に耐える男たちがいる。

それを非難しても仕方ない。

それだって、
父や祖父から彼らが受け継ぎ
この国を支えてきた精神性です。
 



だとしたら、
女の私たちが
受け継いだ愛し方はなんだろう。

LINEだ記念日だサプライズだって、
無責任な誰かに煽られて
大切なことを見逃してるのかもしれない。

愛されてないと泣くだけ泣いたら
待つことも放棄して
「I love you」と
毎日囁いてくれる男を探す女たち。

祖母たちから
母たちから
受け継いだはずのものを
どこかに置き忘れてきた私たち。

自分の不安を持てあまし、
戦いを放り出して会いに来い
さもなくば
と身勝手に返事を迫る。

武骨な彼らの
愛の言葉にも気づかずに。




たとえば
仕事が忙しくて
会えない日々が続いたとき、

彼から届いたメールに
気づかいの言葉があったら。

そばにいられなくてすまない、
だけどどうか元気でいてと、
それが彼らの愛の言葉です。

過酷な状況にあるときほど、
愛する人の無事を祈る。

最期の瞬間までも。

自分の気持ちを
知ってほしい伝えようとは思わない。



与えることができないとき、
自分が不在のとき、

それでも
愛する人の人生を
守らなければと黙って引き受ける愛。

そっけない気づかいの言葉は、
日本の男たちの愛が
深く深く込められているものなんだと、

そういう風に思います。


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正直なところ、
愛について書いたり話したりするのは
ちょっと気恥ずかしいことです。

「愛ってなにサ」
「そもそも愛されてるの?」
と言われたらちゃんと答えられない。

だから堂々と
「愛」と口に出すことを
ためらってしまう。

不安なときは特に、
愛なんて信じられなくなります。

 
 

そういうときに読み直す本が
『それでもなお、人を愛しなさい』です。

作者は1968年、大学生のときに
〈リーダーシップの逆説10ヵ条〉という
小冊子を書いて配りました。

若き日の彼が、狂った世界に向けて
「anyway(それでも)」
と書いた挑戦の言葉。

25年後、マザーテレサの伝記の中で
自分が書いたものと同じ言葉を見つけます。

〈逆説の10ヵ条〉は海を渡り
カルカッタの「孤児の家」の壁に書かれ、
25年たって彼の元に戻ってきたのです。


※※※(内容まとめ)※※※

この世界は狂っている。
まずはそれを認めなさい。

戦争も略奪も環境破壊も
だからなくならない。

すべては相対的で主観的だと
あきらめる人がいて

不平を言いう人もいれば
希望を捨てる人もいる。

冷笑的な人、悲観的な人、
人生は虚しく意味がないという人もいる。
 

たしかに世界は意味をなさない。
 
あなたが意味をなさないと思うなら。
 

ある面で愛する価値があるとか
ある面では愛する価値がないというなら

あなただって
愛される価値がなくなることになる。

そしてあなたが心から愛したとしても
人は時に感謝を忘れ拍手を忘れ
評価を忘れる。

人は不合理でわからず屋で
わがままな存在だ。



それでもなお、人を愛しなさい。
Love people anyway.



今すぐ見返りがないからといって
相手が扱いにくいからといって
愛することをやめるには
 
愛はあまりにも大切すぎるものだ。

 

正直で素直でいれば無防備になり
助けを差し伸べると
攻撃されることもある。

大きな考えを持てば
小さな心の人々に撃ち落とされ
最善を尽くしたその見返りに
ひどい仕打ちを受けるかもしれない。

すべてはエゴだと言う人もいる。

このおかしな世界で
人はみんな自分勝手なものだと言う。

小さな心、小さな考え、
小さな目しか持たない多くの人が
自分以外の新しい視点をおそれ
このおかしな世界が
このまま変わってほしくないと考えている。



それでも
 
自分が信じて行動すれば
少しずつ人は変わり
世界も変わっていく。

そうでなければ
こんなおかしな世界で
人が生きていく意味はない。

真の満足、深い幸せは
そこからしか得られない。

 

「それでも(anyway)」
と言える力を持つこと。
自分の価値観で生きること。
それは個人の独立宣言である。

愛を制限するのは
人生を制限するのと同じこと。

自分にとって意味がある、
ただそれだけの理由で
人を愛する自由が、誰にもある。
 

※※※(まとめおわり)※※※※※




読むたびに
「それでも愛する」と
堂々と言えることの大切さを痛感します。




私がすれただけじゃなく、
世界は前よりひどくなった。

価値観は多様化したけれど、
人は前より
小さな心で生きているように見える。




恋愛もきっと同じ。

「それでも愛する」と書くことを
恥ずかしいと感じる私。

「その彼からは愛されてないですよ」
と小さな心で意見する人。

それで愛することをやめてしまう人。

愛なんて錯覚だと言う人。
愛より生活だと言う人。
自分の知る愛だけを元に話す人。
結婚以外は愛ではないと考える人。

愛されている自信がなくて
不安になり自爆してしまう女性に
「愛してもいい」と言うことを
ためらってしまう私。

まったくどうかしています。



 

〈逆説の10カ条〉は
いつも大切な場所に戻らせてくれます。

贈りもののようにそっと届きます。

そして
「それでも(anyway)」
と言うことの大切さをあらためて知り、
心がひろびろと自由になります。


 

だから堂々と言います。
恥ずかしがらずためらわず。

自爆しても破壊行動をしても
不安で感情的な行動が抑えられなくても
それで大切な恋を失っても
今はもう離れてしまっても
愛し方が上手じゃなくても
愛されている自信がなくても
やめておけと忠告があっても、

 
 

それでも人を愛しましょう。
彼を愛しましょう。
Love people anyway.
Love him anyway.



その愛は循環して必ずあなたに返ってくる。


〈逆説の10カ条〉が
作者の元に戻ってきたように。


 

愛されるから救われるのじゃなく
愛する自分の気持ちに救われる。

愛し方、愛され方は人それぞれ。
自由になった心で、
新しく見える景色がきっとあります。



【逆説の10ヵ条 (The Paradoxical Commandments)】

人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。
People are illogical, unreasonable, and self-centered. Love them anyway.

何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives. Do good anyway.

成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。
If you are successful, you will win false friends and true enemies. Succeed anyway.

今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
The good you do today will be forgotten tomorrow. Do good anyway.

正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
Honesty and frankness make you vulnerable. Be honest and frank anyway.

最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。
The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds. Think big anyway.

人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。
People favor underdogs but follow only top dogs. Fight for a few underdogs anyway.

何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。
What you spend years building may be destroyed overnight. Build anyway.

人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。
People really need help but may attack you if you do help them. Help people anyway.

世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
Give the world the best you have and you'll get kicked in the teeth. Give the world the best you have anyway.
 



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