何もできない
というのはとても辛いもので
音信不通だったり
彼と距離を置いていたり
失恋したり
電話もメールもLINEも
なんなら手紙だって電報だって
連絡したかったら
嫌がられてもウザがられても
ブロックされて
着信拒否されるまで
続けることはできるけど
そこまではできないのが普通です。
だからとても辛い。
何もできないということが。
でも考えかたを変えてみれば
「何もできない」というその状況が
素晴らしいギフトをもたらしてくれる
ということだって、あります。
私は、すべての人が成人してからの2~3日、全く目が見えなくなり、口がきけなくなったらいいのにと思うことがよくありました。暗闇は光のありがたさを、静寂は音の寂しさを教えてくれると思うからです。『三日間の見える日』ヘレン・ケラー
見えない聞こえない話せないという三重苦から
自分なりの言葉を手に入れたヘレン・ケラーは
「奇跡の人」と呼ばれています。
見える聞こえる話せる私たちからすれば
三重苦のその苦しみは想像もつかないし
そこから
コミュニケーションのための言葉を
彼女が手に入れたことは
まさに奇跡としか言いようがないけれど
しかし
彼女にとってほんとうの奇跡とは
「言葉を手に入れた」ことではなく
見えないことがもたらす喜びに
気づけたこと
見えることのありがたさに
気がつけたこと
なのかもしれません。
目の見えない私には、手で触れるだけで何百という面白い物を発見することができます。一枚の葉っぱが対照的な形をしていることを
感じます。白樺のなめらかな木の肌や、松のゴロゴロした感じを手のひらで感じます。春になると木の枝を触って、冬の眠りから覚める最初の兆しである新しい芽が出ていないかどうかを探り当てることができます。時として、本当に幸運な時には、木を触っていると、さえずる小鳥の振動を感じたりもします。これらすべてのことを目で見たくて、私の心は時々張り裂けそうになります。触れるだけでこれだけの喜びを感じるのですから、本当に見ることができたらどんなにか美しいだろうと思うのです。
見えないことによって
「触って感じる」ということを
彼女は知っていた。
聞こえないことによって
「振動を感じる」ということを
彼女は身につけていた。
光があることのよろこびは
見える人には当たり前すぎて
気づくことすらできない。
「ある」ことのありがたさに気づき
感謝することを忘れてしまいます。
時折、私は、目の見える友人が何を見ているか知りたくてテストすることがあります。この間も森の中の長い徒歩旅行から帰ってきたばかりの友人に、何か珍しいものでも見たかどうか尋ねてみました。彼女の答えは「別に何も。」1時間も森の中を歩き回って何も見ないでいられるなんてできるのだろうかと私は自問しました。
ヘレン・ケラーは
世界を感じられるよろこびを
誰よりも知ることができた。
三重苦だからこそ。
葉っぱや木の肌に手で触れるとき、
小鳥の振動を全身で感じるとき、
誰よりも敏感に
深く静かな感動とともに
素晴らしい世界が彼女を取り囲む。
見える人聞こえる人には
知りようもない
それこそが
ヘレン・ケラーにもたらされた
何よりの贈り物です。
たとえば
音信不通だって失恋だって
音信不通だって失恋だって
見えない聞こえない話せない
という状況に変わりはなく
不安と恐怖しかない
真っ暗闇の世界に
たったひとりぼっちで
こんな苦しみはないって
そう思うかもしれないけれど
そのときこそ
貴重なギフトを受け取る
チャンスが訪れているのです。
見えて聞こえて話せるときには
気づけなかったよろこびに
今こそ気づくときなのです。
そっけないけど
気づかいの言葉が入ってたこと
メールは苦手なのに
遅れてでも返信してくれてたこと
忙しいのに
会う時間を作ってくれてたこと
最後まで
彼女の心を守ろうとしてくれたこと
最後まで
彼女の心を守ろうとしてくれたこと
うっかり見逃してしまうほどに
ささやかでさりげない
彼の愛情を感じること。
通信機器に頼っていて
鈍感になっていた
フィーリングを感じること。
愛したい相手がいる、
ただそのことへの感謝の気持ち。
普通に連絡が取れて
普通に会えていたら
気づくことすらなかった
彼の優しさ。
男らしさ。
愛情と気づかいと思いやり。
彼という存在の大きさ。
そして、私に3日間の見える日が与えられたら、何を見たいだろうかと想像してみました。まず森の中を歩き回って、自然の世界に我が目を凝らすことでしょう。色鮮やかな日の入りを見て祈りましょう。そうしたら、その夜はきっと眠れないことでしょう。日の出と共に起きて、夜が日に変わる心躍る奇跡の時を見てみましょう。眠っている大地を覚ます太陽の光の織り成す壮大なパノラマを、畏敬と共に眺めるでしょう。
たとえば今
彼と連絡が取れない
会うことができない状況なら
好きな人に会えるということを
想像してみてください。
ヘレン・ケラーが
見える日を想像するように。
彼と言葉を交わせるよろこびや
彼と会える楽しさと嬉しさを
全身で感じたい。
出会えてよかった
いてくれてありがとうと
感謝の気持ちを伝えたい。
愛したい人がいる幸せに
心から浸りたい。
もしもまた彼に会えたら
そのときは
全身全霊で愛し抜きたい。
もしもまた彼に会えたら
そのときは
全身全霊で愛し抜きたい。
当たり前だと思っていたことを
ある日突然、失ってしまうことは
耐え難い苦しみです。
今まであった光が
すべて消えてしまうことは
とても恐ろしいことです。
だけど
もたらされる奇跡も必ずある。
当たり前の幸せに感謝すること。
愛することの素晴らしさに気づくこと。
愛することの素晴らしさに気づくこと。
その小さな光こそが
真っ暗なトンネルを抜け出して
新しい世界に出会う道しるべに
きっとなります。
きっとなります。
あなたは自分の目に入るすべての物に触れ抱き抱えるでしょう。その時初めて
あなたの目前に新しい美の世界が現れるのです。