恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

カテゴリ: 回避依存

支配権を握りたい
相手をコントロールしたい
思い通りにしたい

という欲求を
実現させようとすると

コントロールされた相手は
「無価値感」
を味わわされることになります。

この
「相手を無価値化する」
という支配の仕方は

DVやモラハラ、セクハラなどの
身体的・精神的暴力の
加害者と被害者の関係の中に
よく見られるもので

たとえばDVなら
圧倒的な暴力でねじふせられた女性が
まったく抵抗できないのだと
無力感・無価値感に深く沈み込み
誰かに相談することや逃げ出すことを
自らあきらめてしまうことになります。

たとえばモラハラなら
「そんなこともできないのか」
「おまえは人間のくずだ」
と繰り返し罵られることで
やはり底なしの無価値感に沈み
抵抗する気力を失います。

たとえば社内でのセクハラにしてみても
有無を言わさぬ力を持つ上司が
その権力を楯に性的虐待を行うもので
無力な被害者の女性は
告発できないままに
長い期間、被害に遭い続けてしまう
ということもあります。




「自分が無価値な人間である」という

このとんでもない思い込みは
多くの人の苦しみの種でもあって

DVやモラハラに陥ることはもちろん
不倫関係に身を投げ出したり
ブラック企業で働き続けたり

自分を苦しめるその状況から
自分を救い出そうとしない

ということが起きてしまいます。

 

不倫関係にある若い女性がいるとして

絶対に妻とは別れないだろうし
家庭を捨てるはずないし
友人から忠告を受けて
自分も頭ではわかっているのに 
どうしてもその男と別れられないのは

自分が無価値であると
無意識に信じ込んでいて

無価値な人間なのだから
そういう扱いで当然だ
むしろじゅうぶん過ぎるほどだと

だから
どれだけ理不尽な目にあっても
苦しい思いをしようとも
不倫関係を清算できない、

ということもあります。





自分自身のこと、
そして自分の人生を
どうしても大切にできない

というその心理の裏側には

「どうせ無価値な人間なのだから」
という思い込みがあります。

この恐ろしい
呪いのような思い込みがあるかぎり

どんな恋愛マニュアルを駆使しても
別れて別の相手を探そうとも

悩みは解決しません。

無価値だと思い込んでいるものを
大切に扱うことなどできるはずもなく

また
大切に扱ってくれる相手を
探すこともできません。

自分と同じように
自分をひどく扱う相手を
わざわざ選んでしまうこともあります。 

「どうせ無価値な自分なのだから」
という無意識の思い込みのせいで

いつまでも
自分を傷つけるようなことを
選び続けてしまうのです。





「無価値感」というのは
人とのかかわりのなかで
生まれるものです。

無人島でひとりきりで生まれ育てば
頼りになるのは自分の力だけなのだから
無価値感など感じることはないわけですが

社会の中で
なんて自分は無価値なんだろうとか
 
会社の中で
友達の中で
恋人に対して
自分はどうしようもなく無価値だとか

そうやって
人とかかわることで
生まれてくる感情です。

だからといって
その無価値感が
かかわった相手のせいだ
ということではありません。

無価値感の種そのものは
もともと本人の
心の土壌の深いところに 
そっと埋まっていたものだけれど

誰かとかかわることによって
 
その誰かが
無意識でか意識的にか
その種に水を与えてしまい

眠っていた無価値感が芽を出す
ということです。

そして
水を与えてしまったその誰かも
やはり
 
無価値感の種を
心にひっそりと埋めている
ということが多いものです。 

無価値感というものはそれだけ
多くの人の心の中に
すでに種があるものであって

しかも
 
共鳴しやすく
連鎖しやすいものだ
ということです。





つまりこういうことです。

音信不通になった彼がいる。

それによって彼女は
今までに味わったことのない
絶望的な無価値感の中に突き落とされる。

連絡が来ないということは
「彼にとって自分はもう
 必要のない人間なのだ」
と思えてくる。

彼との思い出のすべて、
そして自分の価値のすべてが
消滅してしまうような
「無価値感」の苦しみを強く味わいます。

そのとき彼は
してやったりと嘲笑してるのでも
こらしめたつもりでも 
せいせいしてるのでもなく

たぶん彼自身も
無価値感の沼にずぶずぶと沈んで
出られなくなっているのです。 

仕事がうまく回せない
時間配分がうまくできない
そんな中で
不安な彼女から
寂しい会いたい連絡してと詰め寄られる。

仕事も人生も恋愛も
なにもかもすべて中途半端。
役に立てない、何もできない自分。
 
そんな自分に
無価値感を感じずに
平気でいられるはずがない。

彼女の無価値感は
彼の音信不通が生み出し、

その彼の無価値感は
彼女の不安が生み出したもの。

どちらが先かはわからないけれど
お互いの心に
もともと
その種はあった。

無意識に
本人がそのことを感づいていて
その種がいつ芽を出すのかと
恐れるあまりに泣き出せば

相手の種に
水を与えることになる。

無価値感とはそうやって
お互いに刺激し合ってしまう、
増幅させ合ってしまうことがある、
 
ということです。





だから

自分を愛すること

なのです。

自分を愛するということは
相手に無価値感を与えないための
最も確実な
そして力強い方法です。 

自分の心の弱さは
相手の弱さを浮かび上がらせる。

自分の不安は
相手の不安を呼び起こす。

自分の無価値感が
相手に無価値感を味わわせる。 




自分に何が起きているのか

現実をよく見つめた後に
心の中へと視線を移してみれば

そっくりそのまま
自分の心に
同じ景色が見えてきます。

スピリチュアルの人が
「世界はあなたの心を反映しているのだ」
と言うのもあながち間違いではなく

自分自身の心のあり方は
かかわりを持った人のあり方として
まざまざと
目の前に立ち表れてくるものです。


 


だから
自分を愛すること。

無価値感から
彼を救い出したいと思うのなら

まず
自分自身の無価値感をなくすこと。
かわりに愛で満たすこと。

心を愛で満たすことで
目の前の世界にもきっと
愛が満ち満ちてくる。

その愛で
大切な人を満たすことができるように

いちばん愛する人に
あの無価値感を
味わわせることがないように

すべては
自分を愛することから。


そういう風に思います。



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回避依存は
男性に多いと言われていますが
女性にももちろん当てはまります。

ただし
回避依存の女性が

自分より強い支配力を持つ
回避依存の男性と付き合えば

その女性の
回避依存的な性質が弱まる
ということもあります。

どんな人間関係でも
押したり引いたり
シーソーゲームのように
力関係が変化するもので

恋人同士の関係においても
パワーバランスは
変化し続けるのだと思います。 



男性に比べて女性は
力が弱く
体も声も小さいので

回避依存者といっても
目立ちにくいけれど

男性とそっくり同じではなくても
それぞれのタイプに
当てはめてみれば

立派な回避依存者に見えてきます。 



たとえば
〈独裁者タイプ〉で考えるならこうです。

□なんでも自分の
 思い通りにいかないと、気がすまない。
□「ああしろ、こうしろ」と命令口調が多い
この特徴は
「連絡して」「電話したい」
「デートらしいデートがしたい」と
女性がわがままや不満を漏らすことと
同じです。
 

□あなたが相手の意見や行動を
 少しでも否定するようなことを言うと、
 急に怒ったり黙りこんだりする
「いつ会えるの?」という問いに
まだわからないとこたえた彼に
不機嫌になる彼女もいます。


□「お前はダメな人間だ」との
 ニュアンスを漂わせる発言が多い
彼女が自分の不安や自信のなさから
彼の愛情を受け取れていない場合、
彼からしてみれば
「あなたはダメな彼氏だ」という
メッセージになります。


□あなたの行動に
 つねに監視の目を光らせている
□何をするにも彼の「許可」が必要だ
GWや連休に彼が何をしているのか、
仕事がないなら会いたいと
目を光らせている彼女もいます。


□身体的暴力または精神的暴力に
 訴えようとすることがある
女性が
暴力という手段をとることは少ないけれど
「泣く」という行為は
男性にとって暴力に匹敵するくらいの
ダメージがあるかもしれません。

□なんでも、どんなときでも
 自分が正しいと思っているようだ
「愛してるなら○○すべき」
という自分の常識をふりかざして
彼の愛情を疑う女性は多いものです。




また、
〈搾取者タイプ〉の男性は
女性に金銭を要求したり
身体の関係を強要しますが

彼の事情は考慮せず
連絡したい会いたいと迫る彼女は
彼にとって貴重な
時間や体力を搾取しているのだ
とも言えます。

相手の罪悪感に訴えたり
要求が通るまでネチネチと責め続けたり
子どもっぽいわがままさを
いつまでも捨てきれずにいたりするのも

女性側に大いに当てはまることです。




〈ナルシシストタイプ〉も
女性に当てはめることはできます。

少女のようにナイーブで
ちょっとしたことで傷つく一方で、
相手が傷ついていることには
あまり気がつかない。

理想の関係を相手に押しつけ
そこからはずれると
不機嫌になったり不満を言ったりする。

相手はいつでも
自分の好みに合わせなければならない、
それが恋人であり、愛情であるのだと

相手に強迫観念を背負わせる女性も
少なくありません。




〈脱走者タイプ〉の女性もやはりいて
共依存的な男性を相手にすると
その特徴が顕れてきます。

人に心を開こうとせず頑なで
自分のことを聞かれると
詮索や束縛のように感じ

それでいて
彼はわかってくれない
彼は察してくれないと
相手に不満を募らせて 

「やっぱり無理」と
一方的に別れを告げたりします。 

本人が
胸の内をさらけ出そうとしなければ
そもそも察しの悪い男性が
察してくれるわけもないのだけれど

〈脱走者タイプ〉というのは
そういうもので

遠く距離を置きながら
わかってほしいと切望するという
自己矛盾を抱えている女性です。






恋愛依存における回避依存者とは

自分に自信がなく
いつも欠乏感があるために
強い不安を抱えていて

しかし
自信のなさを認めることが辛いために
「自分が正しいのだ」
「自分は愛されて当然なのだ」と
歪んだ形で自己愛が大きくなり

恋人に
そのことを証明させようとします。

自分が正しいこと、
愛される人間であることを
いつも感じているためには
(不安のない状態でいるためには)

恋人は
私の思い通りに動かなくてはならない。
恋人なら
私の要求に応えるべきだ。
すべてを私のために捧げるべきだ。
どこまでも限りなく。
私の不安が消えるまで。

そう考えているのです。 

「私を愛しているなら」
という決まり文句を楯にして。

そうやって潜在的に
「恋人をコントロールしたい」、

つまり
「常に自分が恋人より優位に立ちたい」 
という強い願望を

回避依存者は持っています。





回避依存的な彼女が
やはり回避依存的な彼と付き合うと

最初のうちは
彼の方が努力して
できるだけ
彼女の要求に応えようとします。

彼女は
「愛してるなら不安を消して」
と際限なく要求し

彼は
「愛してるから応えなければ」
と努力します。
 
けれど
多くの男性には元々
回避依存的な性質があるものだし
 
さらに
回避依存的な彼であるならば
「他人からコントロールされる」
ということを
何よりも屈辱的に感じ、
恐れ、忌み嫌うものなので、

最初は
彼女の要求に従っていた彼でも 
ある時点で
「コントロールなんかされるものか」と
強く抵抗し始めます。
それはきっぱりとした決意です。

彼女にとっては唐突に思えるけれど
彼の中では確実に臨界点に達した
ということです。

そして
絶対に、もう二度と
コントロールされないために
彼女には手も足も出せない行動に出ます。

音信不通
です。





彼と彼女の関係を
「回避依存者と回避依存者の関係」
だとして見るならば

そこにあるのは
「支配権の奪い合い」、

つまり
コントロール戦争です。

連絡して。
>連絡できない。

会う時間を作って。
>時間は作れない。

もっともっと。まだ足りない。
>じゅうぶんすぎる。いい加減にしてくれ。

互いに
相手を思い通りにしようとして

互いに
相手の思い通りになるまいとして 

相手の回避依存の性質を
どんどん引き出し合ってしまう。

回避依存的な彼女が
「距離を近づけて思い通りにしよう」と
じりじりとにじり寄れば

回避依存的な彼は
「距離を離せば思い通りにはなるまい」と
じりじりと後ずさる。 

支配権の奪い合い。
時間の奪い合い。
思いやりの奪い合い。 
愛情の奪い合い。

目的はコントロール。 

そのとき二人は
もはや恋人同士ではなく

張りつめた緊張感の中で
一対一で対決するような敵同士、

そんな関係にも思えます。





だからといって
彼が悪いとか
彼女が悪いとか
二人の関係は間違っているとか
そういうことではなく

先にどちらが悪いとか
加害者が誰で被害者が誰かとか

意識的には悪くないけど
無意識的には悪いのだとか
その反対とか
 
そういう話ではありません。 

恋人同士の関係に
裁判官はお呼びじゃないし 
ジャッジなんてものは不要です。





たしかに
回避依存の恋人同士は
健全とは言い難い関係に
陥ってしまうことは、あります。

だからといって
100%健全じゃないからといって

その関係が偽物だとか
それは恋愛じゃないとか

そんなこと
誰に言えるというのだろう。

二人にとって
その関係が恋愛であるならば
相手が恋人であるならば

紛れもなくそれは恋愛関係であり
二人は恋人です。

ただ
苦しいばかりならば
ちょっと考えてみましょうということ。

近づけばお互いに
傷つけ合ってしまうばかりならば
少し距離を置いて
見つめ直してみましょうというだけのこと。

「彼はもしかして回避依存では?」
と思うのならば

その同じ構図が
自分にも当てはまっていないか
視点を変えてみたらどうでしょう
ということです。

そして
自分が欠陥人間だとか
彼に申し訳ないとか
そんな風には考えないことも大事です。
 
もともと依存的な性質の人が
自己嫌悪や罪悪感によって
自己肯定感が低くなっても
 
いいことはひとつもないからです。





不安が募って

彼に連絡してしまう
会いたい寂しいと言ってしまう
不満をぶつけてしまう
別れ際に粘ってしまう
ついに泣き出してしまう
というとき

必死な自分のその心の中に
「彼を思い通りにしたい」
「彼は私の不安をおさめるべきだ」
という無意識の欲求が
うず巻いていないかどうか

考えてみることです。

女の涙は武器になる、
その通りだけれど
別に意識して泣くわけじゃないし
敵を支配下に置くための作戦でもない。

それでも
コントロールしたいという欲求が
自分の中に
わずかでもないかどうか

よくよく心を見つめてみることです。







ギリギリに切羽詰まって
強い不安に襲われたとき

女は泣くし
男は連絡を絶つ。

そうやって
支配権を取り戻そうとする。
相手を思い通りにしようとする。

女の涙が
意識した武器ではないように

彼の音信不通だって
意図的な仕打ちではなく

そこにはただ
小さな子どもがいて

思い通りにならないと
手足をジタバタさせて
泣き叫んでいるか

あるいは
薄暗い部屋の片隅で
背中を丸めてうずくまって
じっとうつむいて黙り込んでいる。

ただそれだけのことなのです。





大切なことは

その小さな子どもを
厳しく叱りつけて嫌うのではなく
部屋の隅から引っ張り出すのではなく

もう大丈夫だからと

そんなに泣かなくても
背中を向けて拗ねなくても

思い通りにならなくても

ちゃんと愛されているから大丈夫と
声をかけてあげることじゃないかと


そういう風に思います。



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和尚さんから
栗を拾ってこいと言いつけられて
山へ入った小僧がいて

夢中で栗を拾っているうちに
気がついたら
とっぷりと日は暮れていて

真っ暗な山の中で
帰り道がわからなくなった小僧は

民家の灯りを見つける。

訪ねると
優しそうな老婆が出てきて
「やぁやぁ小僧さん、
 もう夜も更けて危ないから
 今夜はうちに泊まりなさい」と

囲炉裏の火で暖めてくれて
温かい味噌汁を出してくれて
栗拾いをねぎらってくれて

からだもぽかぽかと暖かく
安心した小僧は
栗拾いと山歩きの疲れもあって

老婆が敷いてくれた布団で
ぐっすりと眠る。

真夜中、
ふと目覚めると
しゃりーん
しゃりーん
と何やら物音がする。

そっと老婆の部屋を覗いてみると
そこには
世にも恐ろしい姿をしたやまんばが
小僧を料理して食べるための
包丁を研いでいた……





これは『三枚のお札』という昔話。

地方によって
設定や細部が少しずつ違いますが
似たような昔話はたくさんあって

山に入った小僧が道に迷って
泊めてくれた老婆が
実はやまんば、鬼婆だった

という設定は
どの地方であっても、ほぼ同じです。



このあと
小僧はもちろん逃げ出します。

恐くなって腰を抜かし
やまんばに捕まってしまうとか

やまんばの納屋に隠れて
朝になるのを待つとか

やまんばと交渉したり
話し合ったり
事情を説明してわかってもらうとか 

そういう展開は一切なく

小僧はひたすら山道を逃げます。

なぜ逃げるのかといえば
考えるまでもなく
 
「食べられるのが嫌だから」です。




昔話を
心理学的な読み方で読めば

その老婆(やまんば)は
母親のイメージを象徴するもので

小僧は
人生の深い山に分け入って
今まさに大人の男として
自立を成し遂げんとする青年です。

道に迷い日も暮れて
山は気味悪く恐ろしい場所となります。
 
けものが襲ってくるかもしれない、
化け物が出るかもしれない、
山賊に殺されるかもしれない、
茂みがガサガサと風に揺れただけで
小僧はちぢみあがるほどの恐さ。

一日じゅう栗拾いをして
山歩きもして
体はもうくたびれてクタクタ。

そんなときに
老婆の家の灯りは
恐怖から小僧を救い

老婆が用意してくれた
暖かい囲炉裏と食事が
疲れ切った小僧を癒してくれます。

それは
慈愛に満ちた母の
かつて優しく抱いてくれたあの母の
懐かしいぬくもりに
とてもよく似たものです。

しかし
そのぬくもりに甘え
心を許しすぎていたら

いつのまにか
老婆がやまんばに変わっている。

逃げる小僧を
恐ろしい形相で
どこまでも追いかけてくるやまんば。

それは
自由を奪って束縛し
行動をすべて管理し
ガミガミと口うるさい
かーちゃんの姿と重なります。

遠くへ行ってはいけません
いつも私のそばに
目の届くところにいなさい
離れてはいけません

そう言って
男の子の冒険や自立を阻もうとする

母親のもうひとつの姿です。




『恋愛依存症』(伊東明著)の
回避依存症・脱走者タイプの部分には
次のように書かれています。

強い求愛、
「あなたにもっと近づきたいわ」
というサインは、

束縛だけでなく、
さらに
「飲み込まれるような恐怖感」へとつながる。


やまんばに食べられることは
母親に飲み込まれてしまうこと。

男の子にとって
母に飲み込まれるということは

その腹にまた戻るということ、

胎内に引き戻されて
無力な赤ん坊に戻ってしまう

という恐怖に
無意識で
繋がるのかもしれません。

ヒトの赤ちゃんは
母親が世話をしてくれなければ
あっけなく死んでしまうほど
まったく無力な存在で

油断したら
あっという間に飲み込まれて
 
あの赤ん坊に戻ってしまう
無力な自分に戻ってしまう

だから
小僧は逃げるのです。

何としてでも逃げる。
 
もう
夜の山が恐いとか
茂みのざわめきが恐いとか
そんなことは言ってられない、

何が何でも逃げる。
 
やまんばに喰われることだけは
絶対に嫌だと
必死の思いで逃げるわけです。




小僧が分け入った山は「人生」、
栗拾いは「仕事」。

夢中になりすぎて
うっかり日が暮れて道に迷い
闇夜の恐怖に脅えていたところに

民家の小さな灯りと
優しく出迎えてくれた老婆は
「彼女」そして「恋愛」。

ひととき暖められて癒されて
ハッと目が覚めたら
鬼のようなやまんばに
飲み込まれそうになっていた。

このまま喰われたら
自分がいなくなってしまう。

栗拾いは中途半端なまま
山から無事に戻ることもできず
一人前の男になりきれぬまま
 
このまま飲み込まれて
無力な存在に戻ってしまう。

恋愛の
母の胸元の匂いのようなその甘さに
気を許しすぎたのだと

彼は自分を戒め
そして逃げる。

ここで
恋愛に喰われるわけにはいかない。 

彼女の甘い匂いに
飲み込まれるわけにはいかない。




「親密さ」を避けるということ、
感情のやりとりから逃げるということ、

それが
人として
問題になる行為なのかどうか

それはわからないけれども

男の子が
自立して
立派な男になるというそのときに

飲み込まれる恐怖に負けまいと
母なるあたたかさから
逃げようとすることは

一人前の男として
彼が自己を確立するために
必要なプロセスではなかろうかと

この昔話からは
そういう風に感じられます。




栗拾いにうっかり夢中になって
日が暮れてしまったことも
山道に迷い込んでしまったことも

小僧が
まだまだ半人前である証でもあり

半人前な自分だと
どこかで自覚しているからこそ
小僧は逃げなくてはならないのです。

まだ未熟で
母のあたたかさに甘えたくなる依存心が
自分の中に今もなお残っていることを

彼はたぶん知っています。

柔らかくいい匂いがする彼女が
あまりにも気持ちよくて
うっかり浸りすぎた。 

そんな未熟な自分だからこそ、
 
簡単に飲み込まれて
無力な赤ん坊に戻ってしまう、
このままでは 
一人前になれないかもしれないと

底知れぬ恐怖を
彼はいつも抱えているのです。




『三枚のお札』のラストは

小僧はなんとか寺まで逃げ帰り
和尚さんに助けを求めます。
「今後は心を入れかえて
 修行に励みます」と約束して。

小僧を追いかけてきたやまんばに
和尚さんはとんちをきかせて
術比べをしようじゃないかと持ちかける。

和尚さんは
「山ほどに大きくなれるか」と言い
やまんばはぐんぐんと大きくなり

次に
「豆粒ほどに小さくなれるか」と言うと
やまんばは本当に豆になった。

和尚さんはその豆をつまみ
火鉢で焼いた餅にはさんで
ぱくりと食べてしまった。

類似する多くの昔話は
やまんばや鬼婆を殺したり
小さくして食べてしまったり
という終わり方をしますが

つまりは
「母なるあたたかさへの依存心を
 自分で克服しなければならない」
ということです。

怖がるのでも逃げるのでもなく
とんちをきかせる余裕を持って
涼しい顔で
和尚さんのように
 
その恐怖をぱくんと飲み込めて
はじめて

「母なるものから自立した」と
と胸を張って言えるのだと

男たちの無意識には
そんな物語が
刻まれているのかもしれません。




彼女としては
 
やまんばなんかじゃないし
飲み込んでやろうだなんて
そんなこと思いもしないのに

勝手に恐れて
逃げ出す彼の後ろ姿は

あまりに不誠実で情けなく
裏切られた思いがするものですが

「逃げる」という行為の裏側には

彼自身の人生の問題、
「男として自立する」という
大命題がかかっている
ということもあるのです。

そしてそれは
たとえば回避依存者というような 
一部の人にだけ当てはまる
例外的なストーリーではなく、

この国で
ずっとずっと昔から
口伝えに受け継がれてきた
普遍的な物語であるということ。

その冒険譚、成長物語を
彼も今まさに
生き抜こうとしているのだとしたら

それこそ
母のようなあたたかさをもって
見守ってみてもいいのじゃないかと



そういう風に思います。
 


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音信不通の彼が
〈回避依存の脱走者タイプ〉なのかどうか
ということについて

そうかもしれないし
そうじゃないかもしれない。

回避依存の傾向は
多くの男性に見られるものでもあり

彼が「音信不通」という
回避行動に出たからといって
それだけで
回避依存者であると言い切ることは
できないのではないかと思います。




一度
大きな怒鳴り声をあげたからといって
その彼がDVの常習者だと
断定することはできません。

親しくなるにつれ
もう少しこうした方がいい
服装や髪型はこれがいいと
あれこれ口うるさく言うからといって
モラハラだと決めつけるのも性急です。

仕事で問題を抱え
ギリギリまで追い詰められた彼が
連絡を欲しがる彼女を
一時的にシャットアウトしたとしても

だからといって
〈回避依存の脱走者タイプ〉だと
決めつけることもできないのです。

怒鳴るには怒鳴るだけの
小言を言うには
口うるさく言いたくなるだけの

音信不通にするにはそれなりの
正当な理由が
あったかもしれません。

もちろんその「正当な理由」は

あくまでも
彼にとっては正当である
というだけのことで

彼女の側から見たとき、
世間一般の常識に照らしてみたときに

彼なりの理由というものが
正当なのかどうかどうか
ということは別の問題です。

彼にとって
回避行動に出たくなるだけの
どうしようもない理由があるのなら

彼にとって
そうすることが必要だったのだ
ということになります。

たった一度の
回避行動のような彼のふるまいが

回避依存によるものなのか
そうなる気質によるものなのか
たまたま
あまりにも激昂したせいなのか
あまりにも忙しいせいなのか 

それとも
この音信不通は
彼が回避依存者であるからなのか

安易に断じることはできない
と思います。

(ただし、女性の中には
 たった一度の怒鳴り声でも
 「この男はDV気質なのだ」と
 即刻、決めつける人もいて

 実際に被害に遭った女性であれば
 DVやモラハラに対する恐怖心は
 他人には計り知れないものがあり

 それを過剰反応だと
 とがめることはできません。

 そして今、
 彼の回避行動によって
 実被害が出てているのであれば

 彼が回避依存かどうかを考えるより前に
 行政や警察やNPOなど
 しかるべき機関や組織に
 ただちに相談に行くべきです。)




追い詰められて
ギリギリで
余裕が全くなくなってしまったとき

「生き残らなければ」と
脳のアラームが
けたたましく鳴り響いたとき

より本能的な行動に出てしまい、
それが普段のその人とは全然違う
極端な形で現れる、
ということは

誰にだってあることです。

「自分がダメになってしまう」
という強い不安をおさめようと
ものごとを思い通りにしようとして

強硬手段に出る。

そうしなければ
生き延びることができない。
のみ込まれてしまう。
失ってしまう。

もともと
「自分という存在」を実感することが
難しい男性の性質を考えても

ブラックホールが迫ってくるような
その恐怖を前にして
「逃げなければ」と思ったとしても

果たしてそれを
依存と言えるのかどうか。

どんな理由であれ
音信不通になった彼を
「回避依存者ではないだろうか」
と思ったのなら

じゃあ
自分なら同じ状況でどうするのかと
自身に置き換えて想像してみれば

やっぱり自分だって
不安からは逃げたいに決まってるし

のみ込まれることがわかっていて
恐れずに立ち向かうなんて
そんなこと
 
普通の人間には無理なことなのです。





女性からしてみれば

恋人同士が向き合うことを
なぜそこまで恐れるのか
理解に苦しむかもしれませんが

何を恐いと思うかは
男と女で大きく違うのであって

自分が恐くないことは
彼だって恐くないだろうと
片付けてしまうこともまた早計です。

 

女性は何よりも「沈黙」が恐い。

できるだけ互いの距離を近づけて
相手をいつも身近に感じて
互いに繋がっていることが大事で

それによって不安を消し
安心を得るのが女性です。

沈黙が恐いから連絡がほしい。
相手から沈黙されると
耐えがたい苦痛を感じるし
精神的に大きなダメージを受けます。

一方で
男性は何よりも「感情的であること」が恐い。

理性的で冷静で合理的な自分を保つために
負けない自分であり続けるために

相手とは少し距離を置いて
感情のやりとりをなるべく避け
そうやって心の安定を保つのが男性です。

あまりに距離が近づいて
剥き出しの感情に触れることを嫌がり
それによって
抑えている自分の感情が
呼び覚まされてしまうことも恐いのです。

彼女が感情的になったり
自分が感情を爆発させたりすれば
立ち直れないほどの
精神的なダメージを受けます。




沈黙は恐いけれども
感情のやりとりは日常茶飯事で
ちっとも恐くない女性からすれば

音信不通にする彼の回避行動は
まったく病的なものであり

手の打ちようがない
回避依存なのではないかと
絶望的な気分になるし

感情のやりとりに脅えるけれども
沈黙はさして恐くない、
むしろ普通のことである男性からすれば

寂しい会いたい連絡ちょうだいと
涙をためて顔を歪める彼女の行動は

自分にはもう無理だと
すべて投げ出してしまいたくなるほど
やはり絶望的な気分にさせられるのです。






大切なことは

「音信不通の彼が
 回避依存の脱走者タイプかどうか」
ということではなく

「なぜ今こうなっているのか」
ということです。

彼と彼女と
二人のあいだに起きたできごとは

彼ひとりだけの問題でもなく
彼女だけが悪いのでもなく

二人の「関係性」の中で
起きているということです。

たとえば
忙しい彼から連絡が途絶えたときに
忙しいのだと思わずに
回避依存ではないかと考えるのは
なぜなのか。

たとえば
「連絡しないけど
 忙しいから待っていて」
と彼が言わなかったのはなぜなのか。

お互いが
もっとも恐れを抱くことを
相手にしてしまうのはなぜなのか。

そこに
信頼関係はあったのか
なかったのか。

二人のあいだのできごとは
二人でつくり出したもの。

音信不通も
二人の関係性の中で
起きたできごとです。 

どちらが悪いとか
どちらが被害者だとか
そういうことでは決してなく。





大切なことは

自分の恐れを知り
彼の恐れを知ること。

その上で
自分はどうするのか決めること。




彼の恐れを知るにも
自分がどうするかを決めるにも

まず自分の恐れを手放すことです。

自分に強い恐れがある状態で
他人の恐れを見極めることはできません。

自分自身の不安と向き合って
強い恐れを手放して

愛に飢えた状態から
自分を救い出すこと。

そうして
少し離れた場所から
もう一度彼を見つめてみたときに

彼がその回避行動によって
何を避けようとしたのか、
もう少しわかってくるだろうと思います。

自分はどうしたいのか
どうすべきなのかも
はっきりしてくるだろうと思います。




彼が
回避依存であろうとなかろうと

彼を変えることはできません。

それなら
さっさと見切りをつけて
回避依存じゃない人を探す、
というのもひとつの考え方です。

ただ
自分に心の問題があるかぎり
相手を取り替えても
また同じことの繰り返しです。

たまたま
次の恋愛がうまくいったとしても
家族やその他の人間関係で
いずれ破綻を迎えます。

彼を変えることはできない。
彼は変わらない。

だからといって
絶望することはありません。

仮に彼が回避依存者であるとしても

自分自身が変わることによって
彼とのあいだに
二人の「新しい関係性」
をつくることはできます。

その
新しい関係性の中に

希望を見出すことはできるのではないか。



そういう風に思います。




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恋愛関係において
親密さを強迫的に避けようとする人を
〈回避依存〉と呼びますが

「嫌なことを避ける」とか
「問題を避ける」いう意味での回避行動は

多くの人に、ごく当たり前に
見られることではないかと思います。

仕事や生活の中で
やらなければならないことは
仕方なくこなすけれど

嫌な気分になることや面倒なこと、
恐れを感じることに対しては

できればやりたくないと思う、
「回避しよう」と思うのが
人として普通の反応だからです。

そして
「嫌なことを避ける」というのは
決して悪い面ばかりではなく

無駄に不快な思いをしないために
心地よく生きるために
無用のトラブルに遭わないために
 
必要なことでもあります。





考えてみれば
「何かに依存する」ということは
すべて回避行動である、
と言えるかもしれません。

自分自身の問題と向き合わずに
とことん回避しようとする。

そのための手段が
アルコールなのかドラッグなのか
ギャンブルなのか仕事なのか
それは人によってさまざまですが

心の問題を避けるために
何かに依存することに
逃げているのです。

依存しているあいだは
そのことを感じずに済むから。

それだって
「嫌なことを避ける」という
回避行動ではないかと思います。





じゃあ
その心の問題とは何かと言えば

「愛に飢えているために
 不安や心細さや孤独を感じている」

ということです。

そうした心の問題を
感じることから逃れたくて
 
真正面から向き合うことができなくて
向き合うことがどうしても嫌で
向き合うことを避けるために
その問題を一瞬でも忘れるために

強迫的に
何かに依存してしまうのです。

依存しなければ
激しい不安に襲われて
どうにも自分を保てないないので

依存せずにはいられないのです。




たとえば
家族とも疎遠になり
孤独に暮らしている老人が

ゴミをしこたま溜め込んで
自宅をゴミ屋敷にしてしまう、
ということがあります。

本当の問題は
心にある強い寂しさであるのに
そのことに本人は気づかず
気づこうともせずにいて

人との関わりで愛情を得るかわりに
ゴミを拾い集めようとする。
寂しさをゴミで埋めようとする。  
ゴミ集めに依存している。
集めたゴミに執着する。

どれだけゴミを溜め込んでも
まだ足りない。
 
心の寂しさが埋まらないかぎり
満たされることはないわけです。

 

たとえば
いじめやパワハラを繰り返す人は

強烈な劣等感を心に抱えている
ということがあります。

自己肯定感が低すぎるがために
それを認めることに脅えて
自分より立場の弱い者をいじめるのです。

誰かを自分より低い立場に置いていれば
そのあいだだけは
自分の劣等感を感じずにいられるから

いじめることに依存する。
ハラスメントをせずにはいられない。

他人をいじめることで
自分の劣等感という穴が埋まるような
錯覚に囚われて。
 



恋愛に依存する人も同じです。

「愛に飢えているために
 不安や心細さや孤独を感じている」

そういう人は
恋愛をしているあいだは
その不安と向き合わずに済みます。

LINEをしているときだけ
恋人と会っている間だけ
抱き合っている間だけは

自分の不安や孤独を
忘れることができる。

だけど
恋人と離れた途端
壮絶な不安に襲われる。

だから
すぐに会いたくて仕方ない。
連絡ないと不安でたまらない。

執着した相手と別れた途端、
別の相手探しに執着する。
「彼氏」がいないと
不安で不安でたまらない。

でもその不安は
連絡が来てもデートしても抱き合っても
別の誰かと出会ってまた恋を始めても

決して消えることはありません。

ゴミを溜め込む老人と同じです。

心の問題と向き合わなければ
いくらゴミを溜め込んでも
恋人とどれだけ連絡を取っても
どんな男に抱かれようとも 

満ち足りることはありません。





依存する人は

いつも
愛に飢えて
愛が足りないと感じて

その不安から逃れるために
何かに依存する。

そうして
その場しのぎの
愛に似た何かを手に入れれば

ひとときの安心を
得ることはできます。
不安を忘れることはできます。

だけどその一方で
自分自身を傷め続けてもいます。

アルコールや薬物に依存すれば
脳も臓器も破壊します。

ギャンブルに依存すれば
経済的に破綻します。

ゴミに依存すれば
地域社会と断絶します。

恋愛に依存すれば
心が何度も深く傷ついて
眠れない食べられない日々を送ったり
仕事に行けなくなったり
友人との仲が壊れたりします。
大切な時間を無為に過ごします。

自分には愛が足りない
不安だ寂しいと叫びながら

他の誰でもない、
自分こそが
自分自身を痛めつけているのです。

自分こそが
「自分を愛する」ということを
しようとしていないのです。




「嫌なことを避ける」
「面倒な問題を回避する」
ということも
ときにはあってもいいけれど

だけど
「自分を愛する」ということを
回避してはいけません。

自分の
自分に対する愛情が足りないのに
他のことで埋めようとしたって
うまくいくわけない。
 
その不安は
連絡が取れないからでも
彼の気持ちがわからないからでもない。

自分自身を認めること、
自分を大切にすること、

自分を愛することを
ずっと避け続けてきたから

いいかげん堪えきれずに
心が叫んでいるのです。

「愛してほしい」
「不安で仕方ない」
「寂しい」
「心細い」
という心の声は

他の誰でもない、
自分自身に向けた心の叫びです。




そんなに難しいことじゃない。

この自分を誰よりも大切に扱う。
心の声を聴く。
大丈夫だよと言ってあげる。
心がよろこぶことをする。
ありがとうと感謝する。 

「愛すること」を回避せずに
まず自分自身にすることができたら

そのときはじめて
隣の人を愛することができる。

そして
人からの愛を受け取ることも
ようやくできるのではないかと

そういう風に思います。



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