生い立ちの中で、
特に
幼い頃に経験したできごとの中で

悲しみや苦しみを
多く味わってきた人は

その後の人生が
「あべこべ」になってしまう
ということがあります。




人生のはじまりは
新しい世界への入り口。

まっさらの心で
はじめての世界の扉をノックした
赤ん坊にとって

「生まれてきてくれてありがとう!」
「私たちみんながあなたを歓迎します!」
「この世界へようこそ!」

という
ウェルカムメッセージを受け取ることは
何よりも大切なこと。

「自分という存在は歓迎されている」
と思えることで
安心してのびのびと
人生を味わい愛でることができるし

自分自身も
この世界のすべてに対して
出会った人に対して
「ようこそ!」
「ありがとう!」と
心をひらくことができるからです。





新しい世界の入り口にいたそのとき、
つまり
赤ちゃんだった頃から
子ども時代にかけて

その歓迎のメッセージを
受け取ることができないこともあります。

親の心の問題であったり
経済的な事情であったり
親を含めた家族を取り巻く環境であったり
社会情勢であったり

さまざまな理由から
小さなその子に対して
「この世界へようこそ!」と言わないまま
その子が
育ってしまうことがあります。

ときには
「お前なんか歓迎していないのに」
「この世界にはいらないのに」
「邪魔なのになぜいるんだ」
というような
残酷で否定的なメッセージばかりが
発せられてしまうこともあります。
歓迎のメッセージのかわりに。





歓迎されるべき
新しい世界への入り口で
残念にも
歓迎されなかった子どもは

「あべこべ」の世界を
生きることになってしまいます。

ようこそ!と歓迎されるかわりに
シッシッ!と追い払われたり

存在してくれてありがとうのかわりに
おまえなんかいらないと言われたり

きめ細かく世話されるかわりに
荒々しく扱われたり
無関心に放置されたり

助けが必要な場面で
叱られたりぶたれたり

無条件で肯定されるかわりに
理由もなく否定されたり

愛されるかわりに
傷つけられたり

その子にとっては
世界の入り口で経験したすべてが
本来あるべき姿とは
「あべこべ」であったために

この新しい世界は
こういうものなのだ。
こんな世界で自分は生きていくのだ。

という強い思い込みが
その子の心に刻まれてしまったのです。

あべこべの土壌に
種が蒔かれてしまった。





成長して大人になって

この世界にも
ずいぶんなじみができた頃になっても

「あべこべの世界」は
相変わらずあべこべのままです。

世界は
楽しく美しく素晴らしいものだ
とは思えず
苦しく辛く思い通りにならないものだ
と思う。

人生は
幸福と希望に満ちあふれたものだ
とは思えず
絶望の連続だと感じる。

自分の居場所は
安心できるところだ
とは思えず
居場所なんてどこにもないし
警戒心をゆるめてはいけないと思う。

他人は
自分を助けてくれる存在だ
とは思えず
自分を攻撃する存在に見える。

自分は
祝福され愛されて当然の存在だ
とは思えず
申し訳なさで
いつも肩身が狭い思いをしている。

人を信じるより
疑ってかかる方がいいと思っている。

何かしてあげたら
自分が損をするような気がする。

助けを求める人や弱い人、
落ち込でいる人や泣いている人を見ると
なぐさめたい気持ちより
批判したくなったり
お説教したくなったりする。

誰かが
傷つけられていたら
傷つけた相手より
傷づけられるその人が悪いと思う。

失敗した人を
励まし勇気づけることをせずに
間違ったところを責めたくなる。

人の愛に包まれている
とは思えず
自分はいつも孤独だと思う。

好きな人と一緒にいると
安心できず
不安ばかりが募ってしまう。

愛は
永遠なんかじゃなく
終わりがくるものだと思う。

「あべこべ」の土壌に
深く根を張った人は

人生に起きるすべてのできごとを
あべこべに捉えます。

その「あべこべ」が
その人にとっては
普通で当たり前の世界
なのです。

世界のあべこべさにも
自分の心のあべこべさにも
なかなか
気づくことができません。

だって
はじまりのときから
世界はあべこべだったのです。





あべこべになってしまった世界を
元の姿に戻すには
少し時間がかかります。

そもそも
あべこべじゃない世界を知らず
あべこべを当たり前として
育ってしまった人にとっては

土壌ごと
入れ替えなければならず

それはとても
骨の折れる作業です。
時間も長くかかります。

今まで生きてきた当たり前の世界を
「はい、今日からさかさまにしましょう」
なんて
誰にとっても難しいことです。

希望より
恐ろしさの方が先立つものです。




でも
考えてみたら

今ある幸せが
あべこべだったとなれば
それは悲しいことだけれど

今の生きづらさが
あべこべのせいだったとなれば
逆転させることはできるということ。

今ある幸せを
手放さなければならないとしたら
それは惜しいことだけれど

今感じている心細さや寂しさが
あべこべだったのだとわかれば
つながりを取り戻して
生きられるということ。

愛されない私が
愛されている私になることだって
ありえるということ。

愛をむさぼる人から
手を差し伸べる人に
なれるということ。

批判する人から
理解する人になるということ。

疑う人から
信じる人になるということ。

不安を
安心に変えられるということ。

その
可能性があるということ。

決して
怖いことではないのです。




「あべこべの世界」に
もしも思い当たることがあったら

一度
すべてをさかさまに
ひっくり返してみてください。

愛なんてない
と思ったところに
愛を探してみる。

信じられないと
決めつけていたものを
信じてみる。

否定的だったことを
いったん肯定してみる。

攻撃的な感情を
ゆるす気持ちに変えてみる。

そうして
あべこべの世界を
さかさまにしてみたとき

「そんなはずない」
「こんなのおかしい」
「愛とか信じるとか馬鹿げてる」
「自分が損する」
というような

反発や抵抗を
感じることがあったら

それこそが
自分が幼い頃から身につけた
「あべこべの土壌」です。

心の中にまだ
あべこべの名残が
あるということ。

この世界の入り口に立ったときの
歓迎されなかった怒りと悲しみに
まだ囚われているということ。





すべてを
すぐに
丸ごといっぺんに
ひっくり返さなくてもいいから

オセロの石を
指でつまんで裏返すみたいに

ひとつずつ
ひとつずつ
あべこべを直していければ

世界は
本来あるべき姿を
ちゃんと見せてくれます。

世界の入り口に立った
はじまりのあのときに
 
見るはずだった景色、
聞くはずだった音色、
受け取るはずだったメッセージを

きっと受け取ることができると

そういう風に思います。



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