「祈り」というのは
誰かのためにするもので

健康を祈る
無事を祈る
健闘を祈る
成功を祈る
幸福を祈る
というように

誰かのために
その人が幸せであるようにと
心から願う、

それが「祈り」です。




「祈願」というのも
同じようなことで

合格祈願にしても
安産祈願にしても

家族や友人や支援者や
神職にある人が
本人に代わって祈祷するのが
本来であるし

あるいは
豊作祈願とか国家安泰とか
共同体の人々が
皆で一緒に祈願することもあるけれど

決して
当の本人が
ただ私欲のためだけに
「私の願いを叶えてください」と
お願いをすることではないのです。





「祈り」は

神仏やご先祖様など
自分の信じる何かに願うこともあれば

特別な信仰や信心を持たないなら
巨木や空や月や星といった
自然に向けて願いを放つこともあるし

どちらにしても
人智を超えた大いなる存在に対して
捧げられます。

祈ると同時に
感謝の気持ちも捧げます。

たとえば
大切な人の無事を祈るとき

祈っているまさにそのときには
大切な人はまだ無事でいるわけで
無事ではなくなったら
祈ることも必要なくなるわけで

「あの人が無事でいますように」と祈れば
同時に
自然に
「今まで無事でいてくれてありがとう」
「お守りくださってありがとうございます」 
と感謝の気持ちが湧いてきます。

そしてまた
「これからも無事でいてください」と
祈りたい気持ちが生まれます。

そうやって
心からの祈りにはいつも
感謝の気持ちが含まれるものです。





誰かの幸せを願うことが「祈り」なら
どんなに祈ったって
いつまでたっても
自分は幸せにならないんじゃないか

と思うかもしれないけれど

大切な人が幸せでいてくれて
自分が幸せにならないはずがありません。

娘の出産が安産であれば親は幸せ
子どもが健康に育てば親は幸せ
息子が合格すれば親は幸せ
危険な任務から夫が生還すれば妻は幸せ
病気の友人が治癒すれば自分は幸せ
大漁、豊作なら村人が皆幸せ
天災がおさまれば皆が幸せ

世界が平和であれば
世界中の人が幸せで
もちろん自分も幸せ。

誰かの幸せを祈って
それが叶えられたなら

自分の心が
満たされないわけがない。

誰かの幸せを願う「祈り」は
巡り巡ってかならず
自分にも
幸せをもたらすもの。

ましてそれが
たったひとりの大切な人であるなら
なおのこと、
愛する人の幸せを祈ることが
自分の幸せに
つながらないはずがないのです。

「祈り」とはそういうもの。





どうしても
どうしても
彼の幸せを祈ることが
自分の幸せだと思えないのなら

人の幸せを願うには
少し早いのかもしれません。
疲れすぎているのかもしれません。
傷つきすぎているのかもしれません。
 
祈りを捧げるほどのエネルギーが
足りていないのかもしれません。 

そういうときは
祈りを捧げるより前に

自分の心を癒すこと。
毎日を丁寧に暮らすこと。
 
祈るより前に
まずは
自分自身の心を
たっぷりの愛情で満たすことです。






たとえば
 
彼の幸せが
仕事で成功することなら

彼のその幸せを
心から祈りたい。

健康を祈り
健闘を祈り
成功を祈り
そして
無事を祈りたい。

たとえばそれが
 
今すぐ会えないとか
めったに連絡がこないとか
小さな痛みと
せつなさを含むものであっても

それでも

彼の幸せを願い
彼の望みが叶うことを
そっと祈りたい。
ずっと祈り続けたい。 

いつか
彼が
体を壊さずに
心が潰れずに
成し遂げたいと望んだことを
成し遂げられたとき

よろこびに満たされ
誇らしく輝いた
健やかな笑顔を見て

一緒によろこべる自分であるように
心から幸せに思える自分であるように

祈ることができればと

そういう風に思います。
 

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