自己満足、というと

そこで成長が止まってしまうような
前向きの努力が足りないような
あまり良くないイメージで
使われることも多いけれど

でも
何はともあれ
まず自分自身が満足するということは
とても大切なことです。




仕事を頑張るとき

なんとか成果を出して
上司に褒められたい
会社に評価されたい
同僚から羨ましがられたい
お客さんから感謝されたい
ということを目当てに頑張ってしまうと

いくら成果を出したとしても
目当てのものが得られなければ
満足感より
不満ばかりが残ります。



子どもが作文を書くとき

上手に書いて
お母さんに褒められたい
先生に評価されたい
お友だちにすごいと言われたい
ということを目当てに書いてしまうと

たとえ
素晴らしい作文が書き上がったとしても
目当てのものが得られなければ
やっぱり
不満ばかりが残るものです。



「目当てのもの」とはつまり
他人からの評価のこと。

頑張って成果を出せても
心に添った作文が書けても

他人からの評価がなければ
プロセスにも結果にも満足できず

「やらなきゃよかった」
「頑張っただけ損した」
「もう二度と頑張るもんか」と
行き場のない怒りさえ
感じてしまったりするけれど

他人というのはそもそも
気まぐれで
移り気で
頼りなく
当てにならないものなのです。

その
当てにならないものを目当てに
頑張ったり
張り切ったりするのだから

そんなことで得られる満足感もまた
はかなく頼りないものです。

他人なんて
そもそも当てにならないのだから。




たとえば
思いやりや気づかいや
やさしさや尊敬や尊重も
同じこと。

「誰かを愛する」というとき
感謝されたい評価されたい
もっと大きな愛情を返してもらいたいと

相手から
何かが返ってくることを目当てに
愛することをしてしまうと

その愛が
どんなに深く豊かなものでも
目当てのものが得られないかぎり
いつまでたっても
自分は満足できません。

やさしくすればするほど
不満が積もり
尊重しようとすればするほど
うっぷんが溜まっていく。

そうして
あげくのはてに
「やさしくしただけ損した」
「愛さなきゃよかった」
「もう二度と愛するもんか」と
彼が憎くてたまらなくなったり
どうしようもなく虚しくなったり

満足とはほど遠いところに
心が行き着いてしまいます。

だから
いつまでも「もっともっと」と
求め続けてしまいます。

自分が
満足できないでいるから。

 




仕事にしても
愛することでも

できれば
社会に貢献したいと思うし
相手をよろこばせたいと思うし

そう望むことは
間違いではありません。

ただ
社会に貢献できたか
ちゃんと愛することができたかは

他人の評価で決まるのではなく
自分が決めればいいのです。
自分で決めることなのです。

今夜の残業が
社会貢献へのささやかな第一歩だと
自分がそう思えること。

今日の思いやりが
彼を愛することの小さな礎になると
自分がそう思えること。

自分だけが
自分のしていることを知っている。
自分こそが
自分の人生の意義を認めている。

そこには
誰の評価も必要ないし
何の証明もいらない。

それが
ふさわしいやり方なのかどうか
成果に結びつくのかどうかは

自己満足の、
そのあとのこと。

自己満足を飛び越えて
どんな成果を出したって
どんなに評価されたって
どんなに愛されたって
満足感とは何の関係もない。

何の意味もないことです。

 




自己満足とはつまり

自分のしていることに自信を持つこと。
自分の気持ちの向かう方向を知っていること。

それでいいんだと
自分で自分に言えること。

何かを目当てに愛するのではなく

愛する行動の
ささやかなひとつひとつに
ただ
満足することができればと

そういう風に思います。



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