恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

September 2016

世の中の人を
二つに分けるなんて
大ざっぱすぎるけれど

「行動の動機」という点から
人を二つのタイプに分けるとしたら

報酬がほしい人と
失敗したくない人
に分けられます。




「報酬がほしい人」は
人から褒められたいとか
人に良い評価をされたいとか
人によろこばれたいとか

この行動によって
何かしらのごほうびが
手に入るのではないか、
という期待から行動を起こします。

よく言われる
「承認欲求」というのもこれ。

つまりは
アメとムチで言うところの
アメがほしい人で

飴玉の甘さを知っていて
その甘さを味わいたくて
行動する人。

もしかしたら
その飴玉は
思ったより甘くないかもしれない。

飴玉がもらえる可能性よりも
うまくいかない可能性の方が
高いのかもしれない。

それでも
「報酬がほしい」
「報酬がもらえるかも」
ということが
行動のモチベーションになり

実際に
行動を起こします。

そして
そのときは残念な結果に終わったとしても
別のチャンスが巡ってくれば
やっぱり
飴玉を手に入れたいと
行動を起こす人。

リスクよりも
リターンを期待して
行動する人。
行動せずにはいられない人。

「報酬がほしい人」は
そういうタイプです。




「失敗したくない人」は
人に失望されたくないとか
人に悪い評価をされたくないとか
人を悲しませたくないとか

自分の行動によって
何かしらネガティブな反応が
返ってくるのではないか、
という怖れから
行動に慎重になりがちです。

ある意味では
承認欲求とも言えるかもしれないけれど
その承認は
「ダメじゃないよ」という
少しばかりややこしいもの。

つまりは
アメとムチで言うところの
ムチを怖れる人で

ムチの痛さを知っていて
その苦痛から逃れたくて
行動する(あるいはしない)人。

もしかしたら
思ったほど痛くないかもしれないし

ムチで打たれる可能性よりも
うまくいく可能性の方が
高いかもしれないのに

それでも
「失敗したくない」
「うまくできないかも」
ということが
ネガティブな原動力となって

どちらかというと
行動を起こすことに慎重になります。

やって失敗するよりは
やらないでいるほうがマシ
と考える人。

どんなに甘い飴玉が
ごほうびに用意されているとしても
何度かはうまくいったとしても
やっぱり
次のチャンスのときには
ムチで打たれることを想像して
行動を躊躇する人。

リターンよりも
リスクを怖れて
行動をためらう人。
行動することをやめてしまう人。

「失敗したくない人」は
そのようなタイプです。




たとえば
SNSに投稿するかどうか迷ったとき

報酬がほしい人は
「いいね!」がたくさんもらえたら
ちょっとうれしいものだから
迷ってもやっぱり
投稿します。

結果的に
期待したほど「いいね!」がつかなくても
少しガッカリはするけれど
また次のときには
迷って
やっぱり
投稿することを選びます。

反対に
失敗したくない人は
「この投稿おもしろくない」と
誰かに思われたりしたら
ちょっと嫌だから
迷ったあげく
投稿をやめます。

思いきって投稿してみたら
思いのほかたくさんの
「いいね!」がつくかもしれないのに
次に迷ったときには
やっぱり
投稿しないことを選ぶものです。




たとえば
付き合っている関係が
ちょっとギクシャクしているというとき

報酬がほしい彼女は
「話し合えばわかりあえるかも」
と考えて
お互いの気持ちを言い合おう
とことん感情をぶつけ合おう
そうして
どんどん行動に出るけれど

失敗したくない彼は
「話し合ったら自分が負けるかもしれない」
「大きな声で言い合いになってしまうかもしれない」
「今よりもっと険悪になるかもしれない」
と考えて
正直な気持ちをぶつけ合うなんて
絶対に嫌だと
どんどん動かなくなってしまうことも
あるのです。




アメがほしいか
ムチをおそれるかは

そもそもの性質であるから
自分で意識して変えようとしても
なかなか変わらなかったり
変えることそのものを
苦痛に感じたりします。

あまり
無理に変えようとすると
ほかのところがきしみます。

そして
いざというとき
ここぞというとき
大事な選択をしようとするときほど

この
もともと持っている性質が顔を出し
期待が強くなったり
怖れが強くなったりして

自然に本能的に
どう行動するか、
あるいは行動しないでおくか
が決まります。





どちらのタイプが良くて
どちらのタイプが劣っているとか
そういうことではありません。

どちらにも
長所と短所があり
どちらにも
損得があります。
どちらのタイプで生きても
よろこびがあり
悲しみも痛みもある。

ただ
そういう傾向がある、
というだけのこと。

大切なのは
自分がそういうタイプだからといって
その考えに
相手を当てはめないこと。

もっと連絡をくれたら
もっとたくさん愛してあげるのに
なぜ彼は連絡をしてこないの?
彼は愛情がほしくないの?
なんて決めつけて
ひとりで悲しくならないこと。

仕事でストレスを抱えてるなら
話してくれれば力づけるのに
味方になるのに
なぜ彼は話してくれないの?
なぜ彼は助けを求めないの?
なんて決めつけて
勝手に孤独ぶらないこと。

彼が
仕事ばかり優先して
なかなかデートしようとしないのは
アメがほしくないからじゃない、
ムチが怖いだけかもしれないと
想像してみること。

自分が期待しすぎているなら
期待を少し減らしてみること。

彼の怖れが強すぎるなら
安心させるように手を貸すこと。

彼の怖れが
自分にはどうにもできないものなら
これ以上
彼の怖れを大きくしないこと。

怖がる彼を
しずかにそっと見守ること。




人は皆
期待と怖れのはざまで
揺れ動きながら

愛されると期待を抱き
愛されないと怖れながら

行動したり
行動しなかったり

ただひとつだけ
どちらにも共通していることは

行動するのもしないのも

「相手がどうか」
ということではなく

すべては
あくまでも
どこまでいっても 
本人の心の揺らぎであるのだと

そういう風に思います。


にほんブログ村 恋愛ブログ 恋愛アドバイスへ

たとえば
自然災害に見舞われたり
事故や事件に巻き込まれたり
病気になったり
体調を崩したり
会社が倒産したり
リストラの憂き目にあったり
不祥事で大会に出られなかったり

辛い経験をして
どん底の苦しみや悲しみに襲われ
打ちひしがれている人を前にしたとき

どう思うだろう。

どんな言葉で
どんな風に声をかけるだろう。




たとえば

大災害のその夜
また明くる朝
着の身着のままで逃げ出して
配られた毛布にくるまって
不安げに座りこむ人に向けて

備えが足りなかったのだ
想定が範囲が狭かったのだ
自己責任だと
厳しく指さす人もいるかもしれないし

誰が悪かったのかと
責任のなすりつけあいに
終始する人もいるかもしれないし

前世の業やら因果やらで
バチがあたったのだと
ひそかに思う人もいるかもしれないけれど

でもきっと
多くの人は

そのときの自分として
できるかぎりの共感を寄せ
持てるかぎりの
やさしさと思いやりでもって

どうか
その苦しみが
時間と共に薄らいでいきますように

今すぐには無理でも
小さな希望を見つけて
また歩き出すことができますようにと

祈らずにはいられないものです。

たとえそれが
見知らぬ人であっても
テレビにたまたま映っただけの
どこかの誰かであっても
同じように思うものです。

仏教でいうところの
「慈悲」にも近い気持ち。

苦しみが取り除かれ
おだやかな日々が戻るようにと

あたたかい気持ちを
向けるものです。






同じように
自分が辛い目にあったとき
悲しみの底に落ちてしまったときに

その自分に対して
あたたかい思いやりの心を
向けられるかといえば

それは
なかなかむずかしいことでもあります。




何もかも失った人を見て
「なんてみじめな人生だろう」と
蔑むことなんて絶対しないのに

わけもなく音信不通になって
彼から拒絶されてしまった自分のことを
「なんてみじめな女だろう」と思う。

苦しむ人たち、悲しむ人たちを見て
「きっとまたいいこともある」と
信じたい気持ちになったり
「いつか幸せになって」と
強く願う気持ちになったりするのに

自分自身が
苦しく悲しいときには
「誰からも愛されないのだ」と信じ
「存在する意味があるのだろうか」と疑い
「価値のない女なのだ」と決めつける。

そうして
自分が自分を蔑むたびに
自分が自分を責めるたびに

自分が何度も傷ついてしまう。

この自分が
辛く悲しく苦しく
どん底の気分のそのときに

よりによって
自分が自分を傷つける。

打ちひしがれた自分を
さらに踏みつけるようなことをする。

わずかな希望の灯を
自分で吹き消してしまう。

他の誰かが
悲しんでいるときには
決してしないことなのに
ちゃんと慈悲の心を持てるのに

よりによって
なぜ自分にだけ
あたたかい気持ちが持てないのだろう。





愛する人に
愛する気持ちを
受け入れてもらえないことは
ほんとうに苦しいことであるし

愛してほしい人に
愛されないことは
どうしようもなく悲しいことであるけれど

それでも

自分だけは
自分を見捨てずにいられたら

どん底の自分に
やさしさと思いやりをもてたら

この
孤独と
不安と
情けなさと
絶望とに

自分だけは
寄り添い続けていられたら

他の誰かに向ける
慈悲の心よりも
もっともっとあたたかな気持ちを
傷ついた自分に
向けることができたら

それが
小さな希望の灯になる。

音信不通でも
ふられても
距離を置かれても
結婚話が進まなくても
なかなか彼ができなくても
愛されてる自信が持てなくても

みじめじゃないし
情けなくも恥ずかしくもない。

生きる意味はあるし
存在する価値もある。

誰かと愛し合うことだって
またきっとある。




病めるときも
健やかなるときも

喜びのときも悲しみのときも
富めるときも貧しきときも

どんなときも
何があっても

理想の姿じゃなくても
ほんとうの姿をさらけ出しても

心から愛し敬い
なぐさめ助け

命あるかぎり
真心を尽くすこと

「あなたを愛し続ける」と誓うのは
他の誰でもない、

この自分なのだと

そういう風に思います。


にほんブログ村 恋愛ブログ 恋愛アドバイスへ

このページのトップヘ