恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

July 2016

彼に対して
「どうして?」
「なんで?」
と思っているときは

彼と自分とで
向き合うような
対立するような形に
なっているとき。

まるで
敵と味方みたいに。




大好きで
となりで手をつないで
肩越しに見上げて笑いあって
肌と肌を重ねて
くっつきあっていたはずなのに

いつのまにか
こんなにも距離があいて

真正面から
にらみ合うような形で
居合いのように向き合っている。

気を抜いたら負け
譲ったら負け
信じたら負け

要求を通したら勝ち
思い通りに動いてくれたら勝ち
心を手に入れたら勝ち

いつから
こんなことになったんだろう。

ただ
大好きで
手をつないでいたかっただけなのに。




そんなつもりはなくても
敵と味方にわかれて
対立しているような形に
ふたりがなってしまうと

彼女には
彼のすることが
すべて
攻撃に思えてきます。

返信が遅いこと
電話の折り返しがないこと
未読のままスルーなこと
既読なのにスルーなこと
黙っていること
誘ってくれないこと
別れ話をしないこと

どんな状況であろうとも
どんな理由があろうとも
ただ
仕事が忙しくて
恋愛に気が向かないだけであっても

彼のすることはすべて
しないことまでもが
彼女にとっては
攻撃に思える。

彼が
心なく自分を傷つける
加害者に思えるし

自分が
哀れな被害者に思えます。




彼にとっても
同じことで

彼女のやることはすべて
自分に対する非難や攻撃に思えます。

忙しいのに返信の催促がくること
ひとりにしてほしいのにしてくれないこと
それどころじゃないのに
イベントに会いたいとねだること

まるで
自分を加害者のように
彼女ばかりが辛いかのように
彼に傷つけられたといわんばかりに
悲しそうに不安そうにしていること。

お互いに
そんなつもりはないのに
相手のやることいちいちを
攻撃のように受け取って

ピリピリと
張りつめた空気で
油断ならぬと向き合っていたら

それこそ
ほんとうの対立になってしまいます。




敵と味方のような
この対立関係を終わらせるためには

彼のそばにいくことです。
対立をやめること。

敵ではない、味方なのだと示したいなら
自分が
自分から
動くしかありません。
自分が動いて
彼の側に回ることです。

「悪いのは彼なのになぜ私が?」
と思うなら
それはまだ
対立の真っ直中にいるということ。

「傷ついたのは私なのに」
と思うなら
それもやはり
加害者と被害者の関係にあるということ。

「だって返事しないのは彼なのに」と
彼を動かそうと思うのも
それだってやっぱり
勝ち負けにこだわっているということ。

世の中の争いごとはおしなべて
終わらせることが難しいもので

「自分から終わらせたくない」
という思いがどちらも先立ち
 
「折れた方が負けになる」
という勝ち負けへのこだわりと
「正しいのはこちらなのだから
 
 譲歩することなどありえない」
というジャッジが手放せないために

相手を屈服させ
全面降伏させるまでは
対立関係が続き、

歩み寄ることなど絶対にない。

だから
紛争地域の紛争は
何世代にもわたり
多くの犠牲を出しながらも
終わりなく続いてしまうのだけれど

それと同じ対立構造が
恋人同士のあいだでも起きているとしたら
 
その争いが
いつまでも終わらせられないのだとしたら

なんて
残念なこと。





彼と
また仲良くなりたいなら

まず何よりも
「対立」の関係を終わらせること。

対立したまま
真正面から向き合ったまま
「あなたの味方だよ」と
どんなに叫んだって

なかなか
伝わらないものです。

手を差し出したら
撃たれると思っているのに
 
「この手をつないで」と
どんなに望んだって

なかなか
勇気を出せないものです。

伝えることより
望むことより
まず
自分から動いて
彼の側に回ること。

彼のそばに
そっと寄り添って
彼の立場や気持ちを
理解しようとしてみること。
 
できれば
共感すること。

敵と味方の対立を終わらせて
加害者でも被害者でもなくなって
勝ち負けへのこだわりも
善悪のジャッジも
手放すことができれば

たとえ
背中しか見えない日々が続いても
背中越しに彼の世界を見ることができるし
頑張ってと応援することもできるし
 
ときどきは
あっかんべーってしたって
うっかり見られて
彼を落ち込ませることもない。



味方でいたいなら
まず
対立をやめること。
 

そういう風に思います。


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心の中に隠れている
ほんとうの自分の姿を見ることは

こわいことです。

どんなホラー映画よりも怪談よりも
おどろおどろしく
背筋が凍りつくような恐ろしさで

どんな醜い生き物よりも
みじめったらしく情けなく
身の毛もよだつような汚らしさで

こんなものが
こんな不気味な姿が
ほんとうの自分なのかと思うと

捨て鉢のやけっぱちみたいな
自暴自棄の気持ちになります。

やけくそになったり
絶望的な気持ちにもなる。




絶望的な気持ちで
やけくそに生きていくことは
あまりにも辛いので

多くの人は
ほんとうの自分の姿を見ることを
やめます。

見ないようにするか
最初からいなかったことにするか

今までよりもっと暗い
地下牢のようなところに閉じ込めて
今までよりもっと頑丈にかんぬきをかけて
「あかずの部屋」にしてしまったりします。




見ないようにしても
いなかったことにしても
地下牢に閉じ込めても

だからといって
ほんとうの自分と
縁が切れたわけではありません。

ここに生きている自分と
ほんとうの自分とのあいだには
へその緒ですながる母と胎児のように
切っても切れないつながりがあって

ほんとうの自分を
晴れてこの世に産み落とすまでは

どんなに見て見ぬふりをしても
最初からいなかったことにしても

腹の底で
ドクドクドクドクと
脈打って生きています。

ときどき
動いて体勢を変えたり
内側から腹を蹴ったりもする。

不気味で醜い
化け物のようなあいつ。




ほんとうの自分の姿がこわくて
必死で目を背けていたって

こわいことはこわいのであって
忘れてせいせいするなんて
できないのであって

だけど
正面から向き合うのも
やっぱりおそろしいので

だから
他人を利用するのです。

他人を鏡にして
そこに
不気味なあいつを映し出して

なんて醜いんだ
なんて汚いんだ
なんて情けないんだ、と

石を投げつける。

投げたその石で
鏡が割れてしまえば
不気味なあいつはいなくなる。
ほんとうの自分の姿を消すことができる。
一時的に。

しばらくたつと
腹の底から鼓動が響いてきて
内側から腹を蹴られたりして
またこわくなって
だけどやっぱり向き合えなくて

だから
また別の他人を利用します。

その人を鏡にして
そこに
不気味なあいつを映し出して

鏡が割れて
あいつの姿がみえなくなるまで
石を投げ続ける。

そうして
何枚も何枚も鏡を割って
何度も何度も石を投げる。

腹の底の
あかずの部屋にいる
ほんとうの自分を解放するまで

その攻撃は続くのです。
ただ疲れるだけの
むなしく無意味な攻撃。




他人という鏡に映し出すのは
醜く汚いだけじゃなく

ときには
弱くて哀れな姿だったりもして

かわいそうに
さぞかし辛かったろう
なんとかして救ってやる

問題を抱えたその人のことが
どうしても見捨ててはおけず
離れて見守ることもできず

自分を犠牲にしてでも
救い出さなければと
必死になります。

つまりそのとき
他人という鏡に映っているのは

誰からも見捨てられた自分。

他人の
悲惨な状況の中に
哀れな自分の姿を見出して
なにがなんでも
救ってやりたいと思うのです。

ほんとうに救い出すべき相手は
腹の底の地下牢に閉じ込められた
自分自身であるのに。





不倫した人を
汚いおぞましいと
二度と立ち上がれないほどに
よってたかって叩くのも

恋いがうまくいかない人を見て
そんなことだから幸せになれないんだと
そんなことではいつまでも不幸のままだと
決めつけて叱咤するのも

そこに
自分の姿を見ているのです。
隠しているはずの自分の一面を
垣間見ているからです。

煮え切らない彼に
イライラするのは
そんな彼を断ち切れない自分に
イライラしているから。

ちゃんと愛してくれない彼に
悲しくなったり
怒りがこみ上げたりするのは
自分が自分を
ちゃんと愛せていないから。

苛立ったり
許せないと思ったり
何とかして救い出したかったり
悔い改めさせたかったり
謝罪を求めたり
説得して考えを変えさせようとしたり
変えないなら不幸になるに決まってると
無意識にそう願ったり

それもこれも
他人という鏡に映し出された自分に

石を投げているだけなのです。

存在しないはずの
地下牢に閉じ込めたはずの
ほんとうの自分の姿から
目を背けたいだけなのです。





要求ばかりの自分も
執着が強い自分も
すぐ不安になる自分も
依存しがちな自分も
誰かから
承認されたくて仕方ない自分も
評価されたい自分も
愛されたい自分も

プレッシャーに負けそうな彼も
すぐダンマリしてしまう彼も
気分にムラのある彼も
浮気ばかりくり返す彼も
小言ばかりの彼も
恋愛に消極的な彼も
曖昧なばっかりの彼も

どんなであっても
それは

自分の
その人の
そのときその状況での
せいいっぱいの生き方。
愛し方のすべて。

そんな自分でもいいじゃない
と許すことができれば
そのぶんだけ
彼をゆるせるかもしれない。

そんな気持ちになることだってあるよ
と共感することができれば
そのぶんだけ
彼に寄り添えるかもしれない。

どんな自分でも
この自分こそが
まぎれもなく
この世にたったひとりの
かけがえのない自分なのだと

そっと肩に手を置くように
しずかに抱きしめるように

愛することができれば
愛そうと努力することができれば

鏡なんていらなくなる。
不気味なあいつだって
もうこわくなくなる。

彼のことも
もっとあたたかく
もっと優しく
もっともっと広い心で
愛することができるのではないかと

そういう風に思います。


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会いたいときは
会いたいなって言えばいいし

寂しいときは
声が聴きたいって言っていいし

こまめに連絡を取り合いたいなら
そう言ってもいいのです。

大好きで
特別で
大切な人なのだから

会いたいと思うのは
自然なこと。

寂しいときや落ち込んでいるときには
誰よりも力をくれるのは
彼なのだから

他の誰でもない、
彼がいいんだから

声が聴きたいと思うのも
連絡を取り合いたいと思うのも
当たり前のこと。

だから
素直な気持ちのままに
彼に伝えればいいんです。

伝えてはいけない、なんてことはない
伝えていいのです。





ただしそれを
「愛する条件」にはしないこと。

自分が
会いたい
声が聴きたい
連絡を取りたい
と思うときに

彼もそう思っているかどうかは
わからないし
彼には彼の事情があります。

彼には彼の
置かれた状況があり
時間のやりくりがあり
自然な感情や気持ちがあります。

たとえば
自分は
会いたいと思ったけれど
そのタイミングでは
彼は会いたいと思っていないかもしれない。

そのときに
「会いたいときに会おうとしてくれる」
ということを

彼を愛する条件にしないこと。

「会いたいのに会ってくれない」
「会いたいのに会おうとしてくれない」
ということを

彼を愛さない条件にしないこと。




自分には
自然な感情があって

会いたいと思ったり
寂しいと感じたり
連絡したいなと思ったり

その
あるがままの自然な感情は
何よりも
尊重されるべきものです。
大切にしたいもの。

同じように

彼にも彼の
自然な感情があって

いま会うのはしんどいと思ったり
面倒だと感じたり
連絡する時間があったら寝たいと思ったり

そうした彼の感情も
また
尊重され
大切にしたいもの。

私は今とても会いたい。
俺は今あまり会いたくない。

同じとき同じタイミングで
まったく正反対の感情があったとしても

どちらも大切。
どちらも尊い。
そして
どちらも重んじたいもの。

その上で
今は会うのか
今は会わないでおくのか

歩み寄りながら
そのときどきの事情や状況によって
ふたりで決めればいいことです。




いつなんどきでも
ぴたりと同じ気持ちでいなければ、
なんてことはないし

自然な感情が
それぞれにあるのは当たり前のことなのに

受け入れられなくて
悲しくなってしまったり
不満に感じたりするのは

愛すること
愛されることに
条件を付けているからです。

会うことや
連絡することや
寂しいときに世話してくれることや
いつでも気持ちに応えてくれることを

愛すること、愛されることの
「条件」だと思っていて

その条件が満たされなければ
悲しくなってしまうし
不満を溜めてしまう。

「会いたいのに会ってくれない」
彼は条件を満たしてない。
だから
彼を愛するのはもうやめよう。

「連絡がほしいのにしてくれない」
彼は条件を満たしてない。
だから
彼は自分にふさわしくない。
彼は心の冷たい、ひどい男だ。

だから
彼は愛するに値しない。

そのときそのタイミングで
お互いの自然な感情が
ぴったり重ならなかった、
というだけのことなのに

そこに
のっぴきならない状況があったり
いかんともしがたい事情があった
というだけのことなのに

条件を満たしていないから、という
ただそれだけの理由で

愛することを
やめたり
あきらめようとしたり
してしまうのです。

愛することに
条件を付けているばっかりに。




わたしたちの社会は
何をするにも
まず条件ありき、

ほんとうにさまざまな
条件に溢れていて

残念なことに
小さな子どもが受け取る愛情でさえも
条件付きであることが
当たり前になっています。

親の言うことを素直に聞いたら、
お手伝いができたら、
お友だちと仲良くやれたら、
学校の勉強ができたら、
一番になれたら、
いたずらや悪さをしなかったら、

そしたら
褒めてあげる。
エライねって言ってあげる。
かわいいねって頭を撫でてあげる。
愛情をたっぷり注いであげる。

そうやって
条件と交換に
愛情を与えたり
愛情を受け取ったりすることが

知らず知らず
ごく普通のことになっていて

与えるほうも
受け取るほうも
疑問に思わないままでいて

だから
人と付き合うにも
人を信頼するにも
人を許すにも
人を愛することにも
条件を付けてしまうのです。




なぜ
愛することに条件をつけるのかと
そう聞かれたとしても
ちゃんとこたえられる人はいません。

無条件で愛したって
時間がムダになることも
損することもありません。

条件を付けずに
まっすぐ誰かを愛したって
自分の中の愛情が増えるだけで
奪われるわけではありません。

なのに
いつも条件を付けてしまうのは

「条件を付けるのが当たり前だから」。

当たり前すぎて
そんなものだと思い込んできただけだから
そもそもなぜ条件が必要なのか
誰もこたえられはしないのです。





「愛するための条件」を付ければ
それは
自分にも適用されます。

自分に対して
「愛されるための条件」があって

それをちゃんと満たしていなければ
彼から愛されないのではないかと
不安になってしまったり

愛されるための条件が気になるせいで
言いたいことが言えなかったり
我慢しすぎてしまったりします。

条件付きの愛情が
当たり前になっているから

何の条件もなしに
自分が誰かに愛されるなんて
信じられない。

自分も
条件を満たさなければ
人に愛されることはないのだ、と
思ってしまう。

だから
会いたいときに会いたいと言えない。
連絡を取りたいのにそう言えない。

会いたいと言って
彼がこたえてくれなかったら
失敗したとものすごく後悔する。

自分がつくった条件に
いつのまにか
がんじがらめになって

締め付けられた愛情は
どんどん小さく
シワシワにしぼんでしまうのです。

せっかくの
大切な気持ちだったのに。
何よりも
尊重したい気持ちだったのに。





会いたいなら
会いたいと伝えよう。

会いたい気持ちは
自然のそのままのかたちで
大切にしよう。

彼だからこそ会いたい、
その気持ちは
特別に大事にしよう。

そのかわり
彼の気持ちも受けとめよう。

会いたい気持ちに
こたえられない彼がいても
それもそれで
彼の大切な気持ち。

できるだけ尊重しよう。
そうなんだねと共感しよう。

私は会いたいよ。
あなたはそうでもないんだね。
私は会いたいよ。
あなたはどう?

シンプルに
ただそれだけのこと。

こたえられないときもあれば
こたえられるときもある。

モヤモヤするなら
そこにきっと
余計な条件がくっついてるはずだから

ひとつずつ
その条件をはずしていこう。

愛することにも
愛されることにも
条件なんてなくていいんだと
自分に言ってあげよう。 

自分の愛を
もっと自由にしてあげよう。




そして
はじまりの気持ちを思い出そう。

ただ
好きだと思うだけで
世界がキラキラと輝いて見えた
あのときの気持ちを思い出そう。

いつも
笑顔しかなくて
スキップしたくなるほど
心が弾んだ気持ちを思い出そう。

条件なんてひとつもなかった、
ただ
彼に出会えたことが
奇跡みたいに思えて感動した
あのときの気持ちを思い出そう。

彼が好き。

シンプルなその気持ちに
何度でも戻って
またはじめることができればと

そういう風に思います。


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心って
ほんとうに
どうなっているのだろう。

どこにあるのか
どんな形をしているのか
誰もこたえられないけれど
きっと心臓の近くあたりに
たしかにあって

小さく
あたたかく
光っている。




心ひとつで

この世界のすべてが
恐ろしく思えて
足がすくんで動けなくなったり

この世界の何もかもが
バラ色に輝いて
どんな困難だって乗り越えられたり

心ほど
わたしたちを支配するものは
他にない。

心が閉じて
内側から鍵をかけてしまえば
外から何を言っても
伝わらない。

心の内側から
みなぎる力が湧き出せば
外からどんなに攻撃しても
びくともしない。

なにごとも
心ひとつのこと。

世界のすべてを
変えてしまうほどの力が
心にはある。




不安や怖れのせいで
心にもやがかかってしまえば

相手の心も
見えなくなる。

光っていたはずの彼の心が
消えているように見えたり

彼の心のあたたかさが
感じられなくなったりする。

傷だらけで
今もその傷が痛む心なら

うれしいことも
切ないことも
いちいち傷に染みて
ろくに味わえなくなる。

彼の何気ないひとことや仕草に
傷がえぐられるような気がする。

いつもシクシクと痛くて
いつも泣きたい気持ちになる。

心が健康でいれば
たいていのことは
その弾力で跳ね返すことができるし
やわらかく包み込むこともできる。

よろこびも
かなしみも
心ひとつのこと。

すべての感情は
心が作り出している。
心が生み出している。

理性や思考では
よろこびは作り出せない。

理性や思考で
行動を変えることはできても
目標を達成することはできても

胸いっぱいに
溢れるほどのよろこびは
心で感じるもの。

よろこびも
幸せも
心の内側で感じるもの。

外側にあるものじゃない。




ほんとうに
心って
なんてすごいものだろう。

どこにあるのかも
どんな形をしているのかも

どんなに優秀な科学者を持ってしても
確かなことなど何もわからないのに

ひとりひとりの中に
たしかに存在して

世界を変えるほどの
エネルギーをたたえ

限りなく強く
驚くほどやわらかく
どこまでもしなやかに

小さく
あたたかく
光っている。




悩んだとき
迷ったときは

その光を
よく見ること。

目をこらして
見ようとしてみること。

彼の心の光
自分の心の光。

光が消えている人なんていない。
あたたかくない人なんていない。

しずかに目を閉じて
心臓のあたりに
そっと手をあてて

心が
内側から
あたたかい光を放つのを
感じてみる。

この
小さくあたたかな光に
どれほどの力があるのか
想像してみる。

どんなに傷ついていても
どんなにぺちゃんこでも
またちゃんと再生する。

傷を癒し
弾力を取り戻し
そのあたたかな光で
誰かを愛することを
願ってみる。

そうしたら
きっと
彼の光も感じられる。
彼のあたたかさも思い出せる。

心と心で
たしかなつながりを
感じることができるのではないかと 

そういう風に思います。


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ごきげんでいること
リラックスしていること
いい気分でいること は

たぶん
女性のほうが得意です。

まわりの空気まで緩むような
いい香りが漂うような
ふわっとした挨拶とか

頬から口元にかけて
しずかにたたえたような微笑みとか

キラキラしたものが
こぼれ落ちてくるような笑顔とか

うふふふと
こんぺいとうが転がるような笑い声とか

そうした機嫌の良さは
女性の特権です。




もちろん
男性にだってあることはあります。

だけど
男性というのは
いい気分で微笑んでなんていたら

タックルされて
ボールを奪われたり
振り向きざまに
ストレートパンチをくらったり
出し抜かれて
獲物を奪われてしまわれたり
マンモスに
踏みつけられてしまったり

油断したばかりに
とんでもないことになるんじゃないか
そんなことになったら
男として失格じゃないかと

勝手に想像して
怖れていたりもするので

なかなか
ごきげんでばかりも
いられないものなのです。

そうそう
女の子みたいに
ふわっと微笑んでばかりも
いられない。

男って
なかなか大変。





だからこそ

彼女には笑っていてほしい。
彼女の笑顔で癒されたい。

その口元の
たたえるような微笑みを

キラキラと
こぼれ落ちるような微笑みを

うなだれて
顔も上げられないときには
思い出したい。

思い出して
また立ち上がる力にしたい。

何もできないとき
そんな自分に嫌気がさして
恥ずかしくて情けなくて
穴でも掘って
その穴に隠れてしまいたいときでも

どんなときでも
笑っていてほしい。
どんな自分にも
笑いかけてほしい。

彼の望みは
とてもシンプル。
そして
あまりにささやかなものです。






ごきげんでいること
リラックスしていること
いい気分でいることで

自分が損することなんて
何ひとつありません。

ごきげんでいれば
ごきげんだし
いい気分でいれば
いい気分なのだから

それが
女の特権なのだから

しかも
彼もそれを望んでいるのだから

そうしない手はないのです。

あえてわざわざ
ふきげんでいることもないし
身構えてからだを硬くすることもないし
嫌な気分でいることを選ばなくたって。

なのに
そうできないでいるのは

自分だけが耐えてるから。
自分ばっかり辛いような気がするから。
いつも自分が折れている気がするから。
不公平だから。
理不尽だから。
みじめと思うから。

彼は何もしてくれないのに
彼が愛情を与えてくれないのに
彼はやりたいようにやっているのに
自分ばかりが
損したような気になるのは

ごきげんでいることに
何かの見返りを期待するからかも。

微笑みで
取引しようとするからかも。

自分の気持ちを
後回しにしすぎているからかも。

彼の愛情と引き換えに
無理して
いい気分に見せかけようと
頑張りすぎているから

だから
出し惜しみしたくなってしまうのかも。





彼女がごきげんで
リラックスした笑顔を見せることほど
彼を癒すものはないけれど

だけど
「彼を癒すために笑わなければ」と
作り笑いをするのは

それはちがいます。

ごきげんでいるのは
自分がごきげんでいるため。

リラックスしてるのは
自分がリラックスするため。

いい気分でいるのは
自分がいい気分に浸るため。

ぜんぶ
自分の心が
すこやかでいられるためのこと。

決して
彼のためではないのです。





誰にも愛されない自分なんだ
と寂しくなったときほど

彼の心が遠くなった気がして
むなしさに襲われたときほど

笑って。

心の内側から
砂糖菓子のようなほほえみが
こぼれてくるのを
感じて。

いつもより
ちょっとだけ顔をあげるだけで
口元を少し緩めるだけで

自分の心と
大切な人の心を
やさしくあたためることができると

信じて
笑ってみて。

できないなんてことはない、
女の子なら
誰だって
きっとできる。

そういう風に思います。


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「~すべきなのに」
と決めつける気持ちを手放せば

とても自由になります。

自由で
たのしくて
感謝にあふれて
心がくつろぎます。




たとえば
彼に対して

「連絡すべきなのに」
「返信すべきなのに」
「記念日は祝うべきなのに」
「クリスマスはデートすべきなのに」
「彼女が辛いときは力になるべきなのに」
という気持ちがあっても

それは
誰が決めたことでもなく
常識でも法律でもなく
ただ単に
「恋人とはそういうものだ」と
自分自身が決めつけたことなのだから

手放してしまえば
ずいぶんラクになります。

連絡がなくたって
返信がなくたって

忙しいのかな
返信する気分じゃないのかなと
相手の事情を汲み取れるかもしれないし

不安になったり
悲しくなったりすることも
なくなります。

したいときに連絡すればいいし
そんな気分なら返信すればいいしと
そう思えるようになります。

彼に対して
とても自由な気持ちでいられます。





「~すべき」という
決めつけを手放したのに

全然ラクにならない、
むしろ
彼への怒りが強くなる
ということもあります。

どうして私ばっかり
彼を理解しなきゃいけないのか、
我慢しなきゃいけないのか、

どんなに気づかったって
思いやりを持ったって

彼ばかりが
したいようにして
しかも愛されて
不公平じゃないかと

不満が募ってきます。

決めつけを手放すことで
彼ばかりが得をして
自分は辛いばっかりじゃないかと

憎々しくなってくるのです。

そういうときは
自分に対する決めつけが
残っているときです。

「連絡すべき」という
彼への決めつけは手放したけれど

「忙しい彼に連絡すべきじゃない」
「わがまま言うべきじゃない」という
自分への決めつけが残っていると

自分は苦しくなるばかりなのに
彼だけがラクになっているような気がするから

だから
全然ラクにならないのです。

彼を思いやるべき
彼をいたわるべき
彼に優しくすべき
いつも笑顔でいるべき
ずっと好きでいるべき

「~すべき」という決めつけは
彼に対しても
自分に対してもあるものだから

手放すなら
そのどちらも
同時に
手放すことです。

彼への決めつけだけを手放せば
自分ばかりが苦しいし

自分の決めつけだけを手放せば
彼が追い詰められてしまう。





決めつけは
つまり

条件なのです。
愛されるための条件であり
愛するための条件でもある。

連絡を返してくれない彼は
思いやる価値などない男のように思えるし

誕生日におめでとうと言ってもらえなければ
愛されていないのだと思えてくる。

ほんとうは
愛することに
条件などないのだけれど

愛するということは
なかなか見えにくいものだから
つかみどころのないものだから
だけど
すごく欲しいものだから
ずっと求めてきたものだから

愛するため
愛されるための
条件をつけて

愛することを
わかりやすくしようとする。

そうして
愛が形になって
見えてきたような気になって

安心しようとするのです。





だけど
決めつけた条件にあてはめて
愛することをジャッジしても

いつまでたっても
安心はできません。

いつまでもずっと
不安がまとわりつくのです。

これは愛かどうか
これは愛じゃないのではないかと

いつもいつも
不満や不安でいっぱいで
いつもいつも
愛がほしいと飢えていて

たとえそこに
愛があったとしても

条件に合わないからと
ふるいにかけて
気づきもしないでいるから

彼には
愛のない男というレッテルを貼り
自分は
愛されない女だと思い込む。

いつまでたっても
満たされないし
いつも
いつまでも
ずっと寂しい。

愛が愛だとわかるように
条件をつけたのに

条件をつければつけるほど
愛は
見えなくなってしまいます。





彼とのつきあいの中で

悲しくなったり
寂しくなったり
どうして?と思ったり
許せなくなったり
不安になったり
不満が積もったり

何か
割り切れない気持ちになったときは

「~すべきなのに」と
決めつける気持ちを
一度
手放してみることです。

誰かに聞いてたしかめたり
ネットで検索したりせずに

自分の心の目で
よく見てみることです。

そこに
ほんとうに
愛がないのかどうか。



そしてもしも
「これも愛かもしれない」と
思うものを見つけたら

それが
愛です。

骨董の目利きみたいに
宝石の鑑定士みたいに

愛について
これが真実
これは嘘だと
ジャッジできる人なんて
いないのだから

これも愛だと自分が思えば
それこそが
まぎれもなく愛なのです。

誰が何と言おうとも
心で感じたなら
それが
そうなのです。

人とちがっても
前例がなくとも
世界中でそれしかなくても

それが
あたりまえのこと。

決めつけた条件に
ぴったり合わないからと
イライラもやもやするよりは

「〜すべきなのに」という
決めつけを手放して 

ひとつでも多く
できるだけたくさん
自由にたのしく
感謝とよろこびをもって

自分だけが知る愛を
見つけることができればと

そういう風に思います。




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求めずに与えよう
と思っているのに
与えるより求めてしまうと

「また求めてしまった」
「また与えられなかった」と
自分が嫌になります。

決めつけずにおこう
と思っているのに
決めつけてしまうと

「また決めつけてしまった」と
自分を責めたくなります。

信じ抜こう
と思っているのに
心が揺らぐと

「どうして信じられないのだろう」と
自分が情けなくなります。

穏やかに
あたたかく
思いやりを持ち
深い理解と共感でもって

彼を愛そう
と思っているのに
不安ばかりが募ると

「なぜいつも不安に負けるのだろう」と
自分が無力に思えます。

彼を
大切にしたい
心から愛したい
信じたい
寄り添いたい

そう思えば思うほど
思ったようにはできない自分を
つくづくと思い知って

自分が大嫌いになります。
自分を愛せなくなります。

こんな自分では
愛されるわけないと絶望します。

そうして
もっともっと
求めるようになってしまいます。

「求めずに与えよう」と
思っていたはずなのに。





求めてはいけないわけではなく
決めつけてはいけないわけでもなく

心が揺らぐことが
恥ずかしいのではなく

うまく愛せないからといって
愛される資格がないわけではなく

求めることも
決めつけることも
心が揺らぐことも
上手に愛せないことも

あっていいのです。

誰だって
そんなことのくり返しで
日々を生きているんです。

みんな
そんなものです。

ただ
そのとき

選び直すことができるかどうか。

与えることを忘れて
求めてばかりになってしまった、
そんな自分に気がついたとき

もう一度
「与えよう」と選べるかどうか。
「信じよう」と思えるかどうか。

大切な人を
大切に愛そうと

何度でも
スタート地点に戻って
選び直せるかどうか。




求めてしまう自分も
決めつけてしまう自分も
揺らぎっぱなしの自分も
愛することに迷っている自分も

どんな自分であってもいいと
ゆるして
そして

もう一度
自分で決めればいいのです。

「求めるよりも与えよう」
「決めつけるのはやめよう」
「信じてみよう」
「心からの愛を贈ろう」

何度でも
何度でも
自分の気持ちひとつで
思い直せばいいのです。

今日も明日も
そのまた明日も

一日の中でも
この瞬間、
また次の瞬間にも

ゆるして
選び直すことの
そのくり返し。



 

ほころびを縫うように
つくろいものをするように
丹念に手入れするように

愛するということは
そうやって
大事に丁寧に根気よく
続けていくものなのではないかと

そういう風に思います。


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