恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

February 2016

無理をして抑えている気持ちや
地下深くに埋めてしまった感情は

いつかかならず
何かの形で
噴き出してくるものなのですが

それが
自分ではなく
他人を通して出てくる
ということがあります。




たとえば
苛立ちを抱えながら
会社や家ではそれを出せずに
ずっとこらえている人がいたとして

ある日
たまたま道ですれ違った誰かと
肩と肩がぶつかったとする。

苛立ちをこらえていた人は
肩がぶつかったその瞬間
思わず「ちっ」と舌打ちしてしまう。

すると
肩がぶつかった相手が
「なんだとコラァ!」と
気色ばんで睨みつけてくる。
「そっちがぶつかってきたんだろ!」と
公衆の面前で、大声で罵倒される。

苛立ちをこらえていた人は
心の中で
言い訳するかもしれない。
「舌打ちなんてしてないのに」とか
「虫のいどころが悪いんだろう」とか。

だけど
相手のその激しい怒りは
そもそも自分の怒りだったのです。

公衆の面前で
汚い言葉で大声で
誰かを怒鳴りつけたいほどの苛立ちを

その人こそが
心に溜め込んでいた。

その怒りを
自分でろくに意識もせずに
じょうずに出して解消もせずに

自分で自分をごまかしながら
苛立ちを溜め込んできたから

ある日
すれ違った誰かを通して
目の前に表れてきた。

鬼のような形相で
怒鳴りつけてくるその姿は

自分自身の
心の姿でもあったわけです。




強い悲しみに襲われて
だけど
その悲しみが出せずに
涙の一粒もこぼさずに
必死でこらえている姿を見れば

もらい泣きせずにはいられない。

そのとき

その人の
抑圧した強い悲しみは
わたしたちを通して
表現されている。

笑いをこらえている人を見れば
こちらも思わず
吹き出しそうになるし

イライラしている人といると
「イライラするのやめてよ!」と
こちらが怒り出してしまう。

抑えすぎた感情が
膨らみに膨らんで
なのに
本人が出そうとしなければ

その感情は
他人を通して立ち現れてくる。

そういうものです。




たとえば

自分発信の連絡をあまりしてくれない彼に
自分からせっせと連絡する彼女がいて

だけど彼は
自分のペースを崩そうとしない。
自分から連絡しようとしない。

そのとき
もしかしたら

「自分ばっかり連絡したくないのに」という
抑えつけていた
彼女のほんとうの気持ちが

彼を通して
表現されているのかもしれません。



たとえば

忙しくて連絡やデートがままならない彼を
けなげに気遣おうとしてる彼女がいて

だけど
彼の反応がいまいち。

そのとき
もしかしたら

「私を気遣ってほしい」とか
「気遣うより気遣われたい」という
隠していた
彼女のほんとうの気持ちが

彼によって
見せつけられているのかもしれません。



たとえば

問題を抱えていっぱいいっぱいで
それでも頑張っている彼に
よりによってそんなときに
甘えたくなってしまう彼女の姿は

「ほんとうは甘えたい」という
抑圧された彼のほんとうの気持ち
なのかもしれない。

寂しいと泣く彼女の姿も
寂しさを隠して笑う彼女の笑顔も
思い通りにしようとする彼女も

ほんとうは
彼の心の姿なのかもしれない。



恋愛に見向きもせず
目の前のやるべきことに
全力で取り組んでいる彼の姿は

「自立した人間になりたい」という
彼女の願望を

彼が
表現してくれているのかもしれない。





けなげな彼女のフリをしても
毎日満たされてるフリをしても
彼を応援してるフリをしても
彼を気遣うフリをしても
彼に感謝するフリをしても

それが
どんなに上手なフリであっても

心からの気持ちでなければ

その陰で抑圧された感情は
いつかかならず
何かの形であらわれます。

「ありがとう」も
「愛してる」も
「がんばってね」も

心からの
ほんとうに本心からの
気持ちでなければ。

見て見ぬフリをしても
気づかないフリをしても
無視し続けても

何度でも
あらわれます。

その人自身が
抑圧した自分の気持ちに
気がつくまで。




自分が
心の底に
どんな気持ちを隠しているのか

自分で気づくことができなくても

いつも彼が
教えてくれている。

だから
目をそらさずに
ちゃんと見ること。
向き合うこと。

彼に
自分の身代わりをさせないで

その寂しさに気づくこと。

そして
できることなら

心のままに生きること。

抑えつけたり
隠したり埋めたり
なかったことにしたり
見ないフリをしないで

気持ちにまっすぐに生きること。 

できるだけ。 





彼女が
心から人生をよろこび
自由に日々を楽しむことができたら

その姿を
彼に見せることができたら

彼は
「もっと人生を楽しみたい」という
自分のほんとうの気持ちを
解放できるかもしれない。



彼女が
自分と彼を深く愛し
あたたかく思いやることができたら

それを
彼に表現することができたら

彼は
「人を愛したい」という
抑えてきた自分の気持ちに
気がつくかもしれない。



そうやって

彼は
彼女の心を表現し

彼女は
彼の心を表現している。

それが
ふたりが
ふたりでいる理由。

そういう風に思います。



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たとえば
カフェやレストランで
一人でランチをとる女性がいて

始終スマホを手放さず
料理の写真を撮ったり
すぐさまSNSに投稿したり
食べているあいだもずっと
皿の脇に置いたスマホから
目も指も離さずに
料理はただ口に入れるだけで
レジで会計をするときすら
スマホ片手で済ませるような
そんな女性と

料理を待つあいだ
たまにはスマホも見るけれど
ゆったりと考えごともしながら待ち
運ばれてきた料理を見て
嬉しそうに顔がほころんだり
知らない素材を店員に質問したり
熱々の香りを嗅いで
一口ずつ味わって
美味しかった美味しかったと
作った人に挨拶をして店を出る
そんな女性と

どちらが
充実していると思うか。



たとえば
オフィスでの重要な会議のときに

胸やお尻のポケットで
スマホのバイブが鳴ったとたん
机の下で画面を開き
SNSにいいね!があったのか
Twitterがリツイートされたのか
すぐさまチェックして
彼女やグループのLINEなら
さっそく反応して
面白い話題だとそれが気になって
あ〜早く会議終わんねーかなーって
身も入らず上の空で
部長や課長が顔を出したときだけ
ピシッと背筋を伸ばして
さも熱意があるように見せかけるような
そんな男性と

スマホは携帯してはいるけれど
緊急連絡以外は手にも取らず
どの人の発言にも集中して耳を傾け
出された資料をしっかり読み込み
意見はしっかり
必要があればメモを取り質問もして
上司からの要望も頭に入れつつ
自分にできることは何かを考え
今抱えている案件をどうすべきか
会社とお客さんの双方の利益のために
結果を出すにはどうしたらいいのか
現状よりベストな案はないのかと
会議が終わってからでさえも
検討したり考えたり調べたり
一心不乱に打ち込むような
そんな男性と

どちらが
信頼できると思うか。




スマホという
手のひらにおさまるほどの
この小さな通信機器の中には

インターネットという
情報の宇宙が
どこまでも広がっていて

今や
人々の生活に
欠かせないものになったということは
否定できないけれども

だからといって

スマホやインターネットが
自分の心の一部なわけでも
彼の心を代弁するものでも
ありません。

新着の赤いマークが
スマホにないからといって
心が孤独なわけではないし

彼からの連絡が
スマホに届かないからといって
気持ちがないわけじゃない。

スマホを覗くことばかりに
夢中になりすぎて
目の前のことが
おろそかになっているなら

それが
いちばん寂しいこと。

料理の写真を撮って
SNSにアップするけれど
その料理を味わってない。

会議中にスマホを触って
多くの人と交流するけれども
目の前にいる人とは
コミュニケーションが取れていない。

目の前のことに
集中せずに
スマホの通知にばかり
気をとられているのは

心ここにあらず
ということ。

気持ちを伝えたり
誰かとつながるためのツールに

魂を抜き取られてしまった
ということ。




彼から連絡がこなくて寂しい
というとき

一日じゅう、スマホが手放せず
夜は眠るギリギリまで気になって
夢の中でも
着信音が鳴った気がして
画面を開いてみたり
朝起きて真っ先にまたチェックしたり

こんなに待っているのに
連絡がこなくて寂しい
というとき

それは
彼からの連絡がなくて寂しい
というだけではなく

心を
どこかに置いてきてしまったから
寂しいのです。

心を見失って
スマホばかり覗いているから。

目の前のことに集中せず
情報ばかり探しているから。

彼からの連絡ばかり気にして
彼という人のことを見ようとしないから。




インターネットや
通信のツールは

遠く離れた人と人とを
結びつけてくれる
頼もしいものではあるけれど

新しい世界を見せてくれる
無限の可能性を持つものではあるけれど

だけど
必死で覗くそのスマホの中に
どんなに探したって
そこに彼はいない。
いるはずない。

どんなに切実な想いで
彼にLINEやメールを送っても
それが
自分の想いのすべてじゃない。
そんなわけない。

彼は
この世界のどこかに
一人の人間として確かに存在して
目の前の仕事に全力で取り組んだり
ストレスに潰されそうになったり
くたくたでひたすら眠り続けたり
している。

自分の心は
自分のこの身体の中に
自分の意識として確かに存在して
忙しい彼を優しく思いやったり
会いたいなと焦がれたり
せつなくてチクンと痛んだり
している。

スマホに
彼の返事が届かないからって
彼の気持ちが離れたわけではないし

送ったLINEに
返信がないからって
自分という存在が
無視されたわけじゃない。





味わうこと
感じること
考えることを
スマホに預けてしまわないこと。

愛することまで
スマホに代わりをさせないこと。

彼が彼自身として
この世に存在してくれて

かけがえのない大切な人として
自分の心の中にいてくれたら

それでもうじゅうぶん。

それ以上
探すことない。

そういう風に思います。
 


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ふたりは
ふたりでひとつ。
なにごとも。

そうなるように
うまくできているものです。




仕事で忙しい彼の
恋愛に使うエネルギーが
涸れてしまいそうになると

そのぶんを補おうと
彼女の恋愛エネルギーが
強くなります。

彼が
ふたりの関係に無関心になるほど

そのぶんだけ
彼女が
ふたりの関係について考えます。

彼女が
恋愛で頭がいっぱになって
仕事が手につかなくなったぶんだけ

彼が
仕事に精を出すようになります。

彼女の依存心が
強く濃くなるほどに
彼の依存心は少なくなり

彼女の自立心が
弱く薄まるほどに
彼の自立心は強まります。

ふたりは
ふたりでひとつ。

そうやって
自然に
無意識に
バランスを取ろうとするのです。




どうしても
バランスが取れなくなると

ふたりの関係は
とても危うくなります。

たとえば
彼女がネガティブになったとき
はじめのうち彼は
ネガティブをはねのけようと
頑張ります。

彼女の不安を拭おうとしたり
彼女を不安にさせまいとしたり
ポジティブに考えようよと
彼女にはたらきかけたりして

バランスを取ろうとします。

それでも
彼女の不安が消えなくて
彼も彼で
仕事のストレスがあったりすると

彼女のネガティブに対して
彼だけでは
バランスが取りきれなくなって

ネガティブな感情だけが
ふたりのあいだに蔓延して

耐えきれなくなってしまいます。

なにごとも
ふたりでひとつで
ちょうどよかったのだから

ふたりで
ふたつのネガティブを抱えるのは
重すぎるのです。

その重さに耐えきれなくなれば
ふたりの関係がある日
ぺしゃんこに潰れてしまう、
ということもあるかもしれません。




だからといって
ネガティブになってはいけない、
というわけではないのです。

ネガティブな感情を
持ってはいけないとか
抑圧しなければいけないとか
そういうことではなく

自分がネガティブになったら
それは
ふたりのものだということ。

ネガティブになったとき
その沼から自分で這い上がれなければ
そのぶんだけ
彼が頑張らなければならなくなる。

彼が潰れてしまえば
ふたりの関係も潰れてしまいかねない。

ネガティブな感情に
溺れてしまいそうになったときには
ふたりのものだ
ということを思い出すこと。

ほんの少しでもいいから
自分も頑張る力を出さないと
えいやって踏ん張る力を出さないと

自分が引き受けられないぶんは
彼が背負うことになる。





自分の不安も
彼の忙しさも

自分の依存心も
彼のストレスも

なにごとも
ふたりでひとつ。

こんな関係では
耐えられないと苦しいのなら

それだって
彼とふたりで分け合うのです。

こんな関係で
わたしほんとうに幸せかしらと
不満や不信でいっぱいなら

それだって。

自分だけが
辛く苦しいわけじゃなく

なにごとも
どんな気持ちも
いつだって

彼とふたり、
一緒に抱えているのです。




忙しい彼と
なかなか会えないことが
不満なら

自分も忙しくすること。

彼の仕事を手伝えなくても
彼のお世話が直接できなくても

自分が忙しくすることで
ふたりのバランスが整う、
ということはあるのです。

彼にもっと
恋愛に向き合ってほしいなら

自分が
恋愛に向き合うエネルギーを
少し弱めること。

彼にもっと
将来を考えてほしいなら

自分が将来について
あれこれ悩む時間を
減らすこと。

すると自然に
彼の気持ちがまた恋愛に向いたり
将来のことを考えてくれたり
するものです。

なにごとも
ふたりのバランス。




もしも
彼女の中から
幸せな気持ちが
あふれ出してきて

彼女ひとりでは
抱えきれないほどに
いっぱいの幸せが生まれたら

もちろんそれだって
彼が抱えてくれるのです。

ふたりで一緒に
分かち合えるのです。

出会えたことのよろこびも
相手への感謝の気持ちも
楽しさもうれしさも

いつだって
ふたりでひとつ。



自分が
どんな気持ちで過ごしているか
ということは

大切な人と
どんな気持ちを分かちあうか
ということにつながります。

自分の気分がネガティブなら
彼がそれを背負う。

自分がいつも幸せなら
彼がそれを抱える。

彼に
どんな気持ちでいてほしいか
ふたりでひとつ、
何を分かちあいたいか。

彼の気持ちを
考えれば考えるほど
自分の気持ちを
もっともっと
大事にしたくなるのではないかと

そういう風に思います。


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メールとかLINEとか
FacebookとかTwitterとか

言葉を
通信という電波に乗せて
やりとりできるようになって

それが
こんなにも多くの人に
使われているのは

みんなどこかで
「つながりたい」と
そう思っているからです。




「ひとりでも幸せ」が
自立して生きることの基本
とは言っても

だからといって
無人島でひとりきり、
ロビンソン・クルーソーみたいに
自給自足の生活をすることで
満たされるわけではありません。

誰だって
つながりたい。

そう思うのは
ごく自然なことです。

誰かとつながっていると
そう感じたときの
心から安心できる感じ。

誰かとつながれた
その瞬間の
ふわっとあたたかい感じ。

自分以外の他者の存在を
ぬくもりとして感じることほど

人を
幸せにするものはない。

どんなに自立した人でも
ひとりで幸せな人でも

誰だって
誰かとつながりたいものです。




けれど
人と人とのつながりは
目に見えるものではありません。

LINEの件数が数百あって
やりとりがずらりと並ぶからといって
その絆が強いわけではないし

Twitterのフォロワー数が
万単位だからといって
その全員とつながっているわけでもない。

つながりは
数えられるものでもないし
強度を確かめられるわけでもない。

朝から晩まで
ひっきりなしに連絡する人ほど
複数の浮気相手がいることもあれば

ついさっきまで抱き合っていたのに
解散したとたんに
寂しくてたまらなくなる人もいて

人と人とのつながりというものは

どんな科学をもってしても
観察することも
計測することも
分析することもできない、

ただ
その人が
心で感じているというだけの
 
人と人とが
心で感じ合うというだけの

はかなく頼りなく
けれど
強くて揺るぎない

つながりとは
実に不思議なものなのです。




つながっていたはずの大切な人と
つながりが切れていると感じたときは

とてもさびしいものです。
悲しくもなります。
強い孤独に襲われることも
あるかもしれません。

そんなときは
自分からつながることです。

つながりが切れていて
つながりたいのなら
自分からつながりにいけばいい。

シンプルで簡単なこと。




つながりたいから
「連絡がほしい」と彼に言ったけど
彼は返事をくれない。
既読スルーしている。

自分からつながりにいったって
ダメだったじゃないかと
そう思う人もいるかもしれないけれど

だけどそれは
「つながってと彼に求めに行った」のであって

自分からつながりにいった
ということではありません。

ややこしいけれどほんとうのこと。




つながりの
そのはじまりは
「共感」です。

「そうなんだね」と
心で感じること。

つながりたい相手に
心を近づけることです。




つながりたいのなら

彼の心を
こちらに近づけるのではなく

彼の心に
近づいてと求めるのではなく

自分の心を
彼に近づけること。

彼の心を引き寄せるのではなく
自分の心を寄せること。

彼の心をほしがるのではなく
自分の心を与えること。

共感してもらうのではなく
自分から共感すること。

愛してもらうためとか
見返りを期待するのではなく

ただ心を寄せるだけ、
共感するだけ。

それだけで
心はつながりを感じ
満たされることができます。




忙しくて
連絡もままならない彼に
「お仕事大変だね」と心を寄せれば
そのとき

自分の心が
彼の心につながります。

なかなか会えない彼や
ストレスに潰されそうな彼に
「彼だって寂しいのかな」
「彼だって辛いのかな」と思えば
そのとき

ふたりの心はつながります。

共感というはじまりの糸で
心と心を結ぶこと。

自分の心を近づけようとせずに
ただそこに立ち尽くしたまま
早くその糸を結んでと
どれだけ訴えても

彼からつながってくれないかぎり
さびしさは消えません。

もしかしたら
彼からつながってくれても
さびしいままかもしれない。

自分の心が
つながろうとしなければ
つながれないのです。
 
どんなに好きでも。




とにかく
やってみればわかる。

つながってと求めるのではなく
大切な人に
心から共感を寄せようとした
そのとき

どれだけ心があたたまるか
どれだけ満たされるか。

どんな言葉を集めても
言い尽くすことはできないような

心が
じんわりと熱く
小さく震えるのを
感じることができたら
それこそが

つながっているということ。

そのときたしかに
ふたりの心はつながっている。

そういう風に思います。



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意識の中で
彼と自分の立つ位置を
どう考えるか、というときに

距離感ではなく
高低差で考えてしまうことが
あるかもしれません。

つまり
上下関係で当てはめている
ということ。





たとえば

仕事で忙しい彼は
ストレスでいっぱいだから
支えて待ってあげようと
そう思う一方で

どうして私ばっかり
なぜ女ばっかりと
抗議したい気持ちが出てくるとき。

彼女の意識の中で

仕事に潰されて
落ち込んでいる彼は
いつもより、普通の人より
少し低い位置にいて

その低い位置にいる彼を
支えなければならない
ということは

じゃあ
自分はもっと低いところに
立たなくちゃいけないのかと

怒りが湧いてくるわけです。




たとえば

付き合う前や
付き合ってすぐ
彼から熱烈に
愛情表現をされていたとき

彼から
女神か女王のように
崇め奉られていたときには

自分をうっとりと見上げる
彼の視線によって

まるで自分自身が
高いところに立っているように
思えてきます。

まんざらでもない。
なかなか悪くない気分です。

そしてそこから
ある日ガクンと連絡が減ったり
音信不通になったりすると

今度は
深い奈落の底に落とされたような
みじめな気持ちもなります。





彼の気持ちひとつで

自分という人間の価値が
高くなったり
どん底まで落ちたりする
というのは
つまり

自尊心が不安定だ
ということです。

もともとの自尊心が
あまり高くない
ということでもあります。

彼がとても素敵な人で
そんな人から熱烈に求められる自分は
少し高いところにいられたけれど

心が折れて情けない彼に
全然大事にされていないのに
そんな人を支えて待つ自分は
彼より低いところにいる。

ふつうの人より
低いところにいる彼はいて
その彼より
低いところにいる自分が

みじめで仕方なく思えるのです。




自尊心や
自分が感じる自分の価値というものは
ただ高ければいいというものではなく

自分も
彼も
世の中のあらゆる人が皆、
等しく同じ地平に立っているのだと

どんなときでも変わらずに
そう思えるものです。

自分が落ち込んだときも
彼の心が折れたときも

人がどうであろうとも
変わることなく

わたしもあなたも
同じ大地の上に立っているのだと
フラットな気持ちでそう思えること。

それが自尊心です。




自信過剰で
他人を貶めることで
優位に立とうとするような人は
「自尊心が高い」のではなく

心の奥底では
実は自尊心がとても低いので

自分よりも低いところに
人を突き落とすことによって

その人よりも
自分は高いところにいると
感じたいだけなのです。

ろくでなしで人でなしの男から
不倫やDVの被害に遭っても
別れを決意できないのは

その人を愛しているのはなく
自尊心が低すぎるために

「こんなろくでなしを愛せるのは
 もっとろくでなしの私だけだ」と
どこかでそう思っているからです。




女は男を立てるとうまくいくとか
忙しい彼を支えようとか

そう言われたときに
「なぜ女ばっかり」
「どうして私ばっかり」と
反抗心や憤慨する気持ちを感じるなら
それは

「支える」ということで
自分が低い位置に置かれると
警戒しているのかもしれません。

だけど
誰かを支えたからといって

自分という人間が
その人より下になったり
その人より低い場所に立ったり
するわけではありません。

反対に
誰かを支えるからといって

自分という人間が
いつもより上になったり
価値が高まったりする
というわけでもありません。




男を立てようと立てまいと
誰かを支えようと支えまいと

自分の立つ位置は変わらない。

彼に愛されようと
彼に愛されまいと

自分の価値は変わらない。

人が生きるこの大地はひとつだけ。
どの人もみんな
等しく同じ地平に立って生きてる。

水平線の向こう、
そのもっと向こうまで行っても
どこまでも果てしなく
この地平が変わらず続くように

人は
目の前に広がるその道を歩き続ける。
そうやって人生は続いていく。



その歩く道のりで
となりにいる大切な人が
もう歩けないと
くじけて
崩れ落ちてしまったとき

手を差し出すかどうか。



誰かを「支える」ということは

へりくだって下手に出るとか
奴隷のように仕えるとか
女中のように都合よく使われるとか

彼より低い場所から
想いつかまつるということではなく

同じ目線で見守る
ということ。

彼が求めるなら
手を差し出す準備をしておく
ということ。

いつでも
手を差し出せる自分でいる
ということ。

もちろん
その人を助けずに
先へ進みたいと思うなら

きっぱり前だけを向いて
また歩き出せばいいだけのこと。




大切なことは
支えるか支えないかではなく

支えても支えなくても
自分の価値は変わらないのだと
いつも知っていること。

その自尊心があって
はじめて

誰かを支えること、
彼に手を差し出すことが
できるのではないかと

そういう風に思います。


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恋愛初期の
熱病のような高まりが過ぎると

彼がぱたりと
愛情表現をしなくなる
ということはよくあります。

徐々に…ということもあれば
ある日突然、ということもあり
どちらにしても
彼女が不安なことに変わりなく

嫌われたのか
冷められたのか
フェードアウトなのか
別れたいと思ってるのかと

不安や疑いが
どんどん膨らんでいきます。




彼の愛情表現が減った
その理由のひとつに

言わなくてもわかるだろうと
思っている

というのがあります。

付き合う前と
付き合ってからの数ヶ月、
あれだけせっせとマメに
愛情を伝えてきたのだから

もうそろそろ
やめてもいい頃だろう。
伝えなくても大丈夫だろう。
言わなくてもわかるだろう。

愛情表現をしないからって
気持ちが変わったわけじゃないし

付き合ってるという
事実があるのだから
わざわざ確認しなくたってと

そう思うわけです。
彼としては。

「釣った魚にエサをやらない」
という言葉もあるように
愛情表現をサボることは
男性にはよくあることなのだけれど

女性にしてみれば
今まで好きだったからって
今日から嫌いになることもあるし

愛情表現がないということは
表現するだけの愛情がないのだろうと
つまり
「言ってくれなきゃわからない」と

そう思うわけです。
彼女としては。




しかし

「言ってくれなきゃわからない」と
彼に詰め寄る彼女にだって

「言わなくてもわかるだろう」と
ついつい
伝えることを怠けることは
あるものです。

長い付き合いで
何でも言い合える友達と
ごはんを食べるとき
いちいち
「何でも言える関係だよね」と
伝えているだろうか。

「心から大切な友達だと思ってるよ」と
顔を合わせるたびに
表現しているだろうか。

「昨日も今日も変わらずに
 あなたはわたしの親友だよ」と
毎日きちんと言葉で
友情を更新しているだろうか。

上司や同僚に
取り引き先の関係者に
両親や祖父母やきょうだいに
通っているサロンの担当者に
パン屋のレジ係に

そのつどいちいち
「私にとってあなたは
 こんなにも必要な存在だ」と
伝えているだろうか。

「言わなくてもわかるだろう」と
勝手にそう思って
感謝や尊敬を表現することを
サボってはいないだろうか。

彼みたいに。




一般的に
男性は
好きという気持ちがあって
付き合っている事実があれば

毎日
愛情確認しなくても
関係は変わらないのだと
大らかに考えているものです。

「信頼」を
何よりも重んじるから。

それに対して
女性は
好きという気持ちも
付き合っているという事実も

日々
愛情を更新していかなければ
すぐに変わりうる儚いものだと
切羽詰まって考えているものです。

「共感」を
何よりも求めているから。




付き合いが落ち着いてきた頃や
彼の仕事が忙しくなったとき

愛情表現がなくなって
不安
寂しい
どうして
とそう思うのなら

まず
自分のことを
振り返ってみることです。

彼以外の人に
きちんと愛情を伝えている
自分であるかどうか。

「言わなくてもわかるだろう」と
伝えることを
はしょっていないかどうか。

できているようで
意外と
できていないものです。

身近な人に
愛情を伝えること、
伝え続けるということは。




もしも
思い当たることがあるのなら

「言わなきゃわからない」と
彼を責めたい気持ちは
ひとまず置いといて

まず自分が
愛情を表現できる人になることです。

大切な人に
大切だよと伝えること。

お世話になっている人に
感謝の気持ちを伝えること。

ずっと仲良しの友達に
これからもよろしくと伝えること。




「愛情表現できる人になろう」と
そう聞くと
さっそく

彼に対して
愛情を伝えたくなるかもしれないけれど

それはまだ
気持ちだけでおさめておくこと。

愛情表現することで
彼もしてくれるんじゃないか
彼から連絡がくるんじゃないかと
期待したり
見返りを求めてしまうと

せっかくの愛情も
伝わるものも
伝わらなくなってしまうことが
あるからです。




彼に毎日
愛情表現してほしいなら

自分も毎日
誰かに愛情を伝えること。

彼が
愛情表現をサボっていると
非難したくなるなら

自分は
愛情表現をサボらないこと。

そうして
「愛情を伝えること」を
丁寧に続けていたら

どこかから
誰かから
ブーメランみたいに
また愛情が還ってくる。

循環するその愛情で
心がたっぷり満たされたら

そのとき

大好きな彼に
大好きだよと
まっすぐ伝えられるのではないかと

そういう風に思います。


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たとえば
回避性のある人は

親密になりそうになると
少し距離を取ったり
そうかと思えばまた近づいたり

自分なりに
警戒しなくていい距離と

もっと
親密になりたいという気持ちとで

いったりきたり
揺れ動きます。



たとえば
依存性が強い人は

相手がこちらを向けば
嬉しくて天にも昇る気持ちだし

相手がほかごとに気を取られると
真っ暗な奈落の底に
突き落とされたような気がするし

自分なりの
軸というものがないために

相手次第になってしまって
相手のちょっとした気まぐれに
いちいち振り回されて

ぐらぐらぐらぐら
揺れ動きます。



心が
安定と不安定のあいだとを
いったりきたり
ぐらぐらと
揺れてしまうのには

さまざまな理由があるのだけれども

だからといって
相手も自分も
いったりきたりになれば

すれ違うことばかりで
なかなか
穏やかな時間が持てなくなります。

相手が揺れるものだから
自分もつられてゆらゆらと揺れる。

自分が揺れるものだから
相手もそれに合わせて揺れる。

いつまでも揺らぎが止まずに
不安定な関係が続いてしまいます。



だから
お互いに揺れ動いている二人なら

とにかく
自分自身が立ち止まること。

立ち止まろうとしても
めまいがしたり
足元がおぼつかなくて
立ち止まることができないのなら

少しでも
揺れ幅を少なくすること。

つまり
気持ちのムラをなくすことです。




心を安定させて
揺らぎをおさめるためには

不安を減らす
ということも大切なことですが

「気分を高めすぎない」ことも
意外と大事なことです。

不安が消えて
もう少し頑張れそうなときに

100%で愛そうとか
完璧な優しさでなければとか
一点の曇りもない思いやりで
彼を包み込もうとか
極端に思い込みすぎてしまうと

そのときは
いい気分に浸れても

不安になったときとの
落差が激しすぎて
かえって落ち込む
ということもあります。

「ずっと応援してるよ!」と
メールしたかと思ったら
「なんで私ばっかり…」と
恨みがましくなったり。

彼からメールが来て
「何があっても信じ続けよう」と
固く誓ったと思ったら
「私なんて必要ないのかも…」と
不安になったり。

恨みがましく思ったり
不安になったりが
悪いことではないし

応援したい気持ちも
信じ続けようと誓うことも
嘘ではないだろうけれど

その揺れ幅が大きすぎると
彼も戸惑うし
自分も疲れてしまいます。




ずっと揺れていたものが
いきなりピタリと静止するのは
なかなか難しいことだから

ゆっくり
少しずつ
まずは
揺れ幅を小さくしていくこと。

気分がいいときと
落ち込んだときの
その「差」を縮めていくこと。

ムラッ気を
なるべくなくしていくことです。




彼を愛したい
信じ続けたい
ずっと応援したい
自分だけは味方でいたいと
そう思うときには

「そうは言っても折れるよね−」って
「やっぱり連絡ほしいよね−」って

肩の力を抜いて
リラックスして愛せばいい。



どうして彼は
どうして私ばっかり
もう辛い苦しいあきらめたいと
そう思うときには

「そう言いながら待っちゃうよねー」って
「だけど好きなんだよね−」って

小さく舌を出して
一歩だけ外側から見てみればいい。




二人の関係が
不安定になったときに
大切なことは

不安を消し去ることでも
100%の純愛を手に入れることでもなく

安定すること。
できるだけ揺らぎを減らすこと。

自分の揺らぎがおさまれば
いつのまにか自然に

彼の揺らぎも
少しだけ
おさまるのではないかと

そういう風に思います。

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この
心と身体のどこかに
生きる力が
まだ
眠っている。



苦しくて
胸が締めつけられるようで
心蔵が鷲づかみにされるようで
肩で浅く息をして
血の気が引いていくようで
喉元にせり上がるような涙があって

それでもまだ
この心と身体に
生きる力が眠っている。

愛する力も
まだきっと残っている。




好かれている自信も
愛されてる自信も
また彼が戻ってくる自信も
次の恋に出会える自信も
結婚できる自信もなく

なにひとつ
前向きには考えられなくても

沈黙した彼を
信じることができなくても

それでもまだ
心の底に
身体の奥深くに
生きる力は眠っている。

ただ
まだ目覚めていないだけで。





生きるための力は

皆に等しく
誰もが持っていて

もうほんとうに
ほんとうにどうしようもない
だけどどうにかと

心から
からだじゅうで
強く強く願いを放ったそのときに

目を覚まし
思いがけない形となって
立ちあらわれてくる。

求めても求めても
まだ足りないと求め続けたのに
与えたいと思う力。

わかってほしいと泣いていたのに
理解したいと歩み寄る力。

もう誰も愛せないと思ったのに
また誰かを愛したいと望む力。

誰も幸せにしてくれないと
絶望していたのに
誰かを幸せにしたいと
希望を持つ力。

カラ元気でも
ごまかしでもなく

芯から
湧き上がるようにみなぎる
生きるための力。
愛するための力。




竜巻のような
大きな渦に巻き込まれて

その悩みから
抜け出せずにもがきすぎて

考えることにも
泣くことにも
期待することにも
疲れ果ててしまったとき

その人に必要なものは

客観的な分析でも
科学的な根拠でも
合理的な現実認識でも
冷静なアドバイスでも
駆け引きのテクニックでも
叱咤激励でも
気休めでもなぐさめでもなく

ただ
自分の力を信じること。

自分の中に眠る
生きるための強い力を
信じること。

もっともふさわしいタイミングで
もっともふさわしい形で

みなぎるその力が
弾けるようにあらわれることを
信じて待つこと。




今がどんなに苦しくても

いつか必ず
自分の力で
乗り越えられる日は来る。 

乗り越えたそのあとは
新しい力を手にしている。 

愛する力を
取り戻すことができる。
 
誰かの愛を
受け取ることができるようになる。

それが
生きるための力。

あなたの中にもきっとある。
 
 

そういう風に思います。


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あたたかく優しい気持ちで
頑張ってくれてたらいいなと
彼を待つことと

辛く苦しい毎日でしかなく
彼を信じられもしないけれど
手放せなくて待つことと

不満や責めたい気持ちもあるけれど
我慢して待てばいつか戻ってくるかもと
期待して待つことと

どれも
「彼を待っている」ことには違いなく
表面的には同じことなので
はたから見て区別することは
難しいけれど

しかし
自分は知っています。

待っている自分が
待ちたくて待っているのか
それとも
別の何かを期待しながら
待ちたくない気持ちを抑えて
無理に待っているのか

自分だけは
ほんとうのことを知っています。




今の自分は
ほんとうの自分ではないと
心で感じることは

とても
苦しいものです。

ほんとうの自分じゃないと
感じながら生きることほど
寂しいことはありません。

信じられない彼を
信じてるフリをして待っても
責めたい気持ちを抑えて
応援しているフリをして待っても

たとえ彼が
そのことに心から感謝して
戻ってきてくれたとしても

その寂しさは
満たされないものです。

自分が自分で
自分の心をあざむき続けたことを

心はずっと覚えていて

いつか
いずれ
あるとき
大きく爆発します。

抑えていた怒りや不満を
彼にぶつけたり
寂しさを償ってほしくて
わがままが止められなくなったり

彼に対しての
抑えきれない激情となって
爆発します。

どんなに意志が強く
感情をコントロールできる人であっても
自分の心だけは
その一部始終をずっと見ているのであって

自分の心を偽り続けて
何かを成し遂げようとしても
どだい
無理なことなのです。




彼にしても
それは同じで

彼女を笑顔にしたくて
よろこんでくれたらいいなと
自分がしたくてメールすることと

寝る暇もないほどの忙しさで
頭の中は仕事でいっぱいだけど
なんとか無理してメールすることと

好きかどうかもわからないけど
話し合いとか泣かれるのが面倒だから
いやいやメールすることと

「彼発信のメールがある」ということでは
表面的にはどれも同じだけど

しかし
彼は知っています。

無理してメールしている自分
いやいやメールしている自分
本当は仕事に集中したい自分
恋愛はいったんお休みしたい自分
彼女を重く感じている自分
ひとりの方が楽だと感じる自分。

彼女と別れるなんて
そこまで考えているわけではないし
嫌いになったわけではないけれど

彼女の前で
ほんとうの自分ではいられない
無理をしているということに

彼の心は
ちゃんと気づいていて

そして
やっぱりいずれ
爆発するのです。

たとえば
突然の音信不通という形で。




彼女が
抑えていた感情を爆発させるとき
彼が
自分を演じることをやめたとき

そこに
恋人への愛情があるかどうかは
二の次三の次の話であって

要は
「自分の心に忠実であったかどうか」
ということが問題なのです。



彼女は
自分自身の心をあざむいて
待ち続けた。

彼は
自分自身の心を偽って
連絡を続けた。

そこに
恋人への愛情があったかどうかと
問われれば
なかったはずがないのだけれど

それ以上に
自分の心を裏切り続けたということが

どうしようもなく
自分を追い込んでしまった。

自爆を止められなかった彼女も
連絡を絶ってしまった彼も
恋人を傷つけてしまったことには
違いないけれど

やっと
自分の心に正直になれた
ということでもある。

ほんとうの自分に
ようやく戻ることができた
ということでもあるわけです。




恋人を責めてしまった
恋人を不安にさせている
ということは

もちろん
心苦しいことです。

だけど
自分の心をあざむき続ける方が

もっとずっと苦しい。

こんな自分は
ほんとうの自分じゃないと思いながら
恋人とつながろうとすることの方が

きっと寂しい。

自爆しても
音信不通になっても
その人にとって
そのときそうすることが
自分の心を取り戻すために
必要なことだったのなら

誰にも責められない。

その人が
その人の心のままにいることは
ほかのどんなことにも
何よりも優先するほどに
大切なことです。





待つか待たないか
悩んでいるとき
選択しようとしているときには

その選択に
心をむりやり合わせるのではなく

できるだけ心に沿うように
心を裏切らずに
あざむかずに済むように
選ぶことです。

待つことに
心が追いつかなかったり

待つことで
彼を責めたくなったり
自分に我慢を強いるようなら

待つか待たないか
まだ決めないでおく。

待たないと決めることで
心がちぎれそうな気持ちになるなら

待つか待たないか
まだ選ばないでおく。

どうするか決めることよりも
まず
心が定まるように
心が安らぐように

心が
自分のペースで
結論を出せるように

時間を与えてあげること。



そしてきっと
音信不通の彼にも
まだもう少し
心のための時間が必要なのだろうと

そういう風に思います。



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人にはそれぞれ
その人なりの事情があるものです。



たとえば
仕事が忙しすぎる彼は

一点集中型で切り替えが苦手な
男性脳の影響も手伝って

たわいもない連絡が
なかなかできない。

そのとき
彼には彼の事情があるのだと
理解できない人は

「本気じゃないのだ」とか
「そんなに愛していないのだ」と
決めつけて、そう言います。



たとえば
自分の怒りの強さで
人を傷つけてしまうことを
恐れている彼は

行き違いやすれ違いがあると
ひたすら貝のように沈黙したまま
返信しなくなる。

そのときもやっぱり
彼には彼の事情があるのだと
理解しようとしない人は

「話し合いもできない男なんて」とか
「話せばわかり合えるはずなのに」とか
失望したように、そう言います。



ストレスが強いときほど
一人でいることを望むとか

同僚や友人との付き合いは
どうしても外せないとか

メールやLINEのような
言葉の表現は苦手なのだとか

親密な愛情の関係を
心のどこかで恐れているとか

身内だと思えば思うほど
安心して後回しにするとか

実は自分に自信がないからこそ
言葉がキツくなってしまうのだとか

彼女にとっては
愛情が足りないと感じるような
彼の言動であっても

無責任なアカの他人からすれば
そんな男はさっさと見切るべしと
思うような彼であっても

そこには必ず
彼なりの事情があります。

どんなことにも
誰にも理解できなくても

人には人の
彼には彼の
事情というものがあるのです。




彼には彼の事情がある
ということを理解せずに
「そういう男は愛がない」と
決めつける人にも
勝手にガッカリする人にも

やっぱり
その人なりの事情があります。

ちょっとしたことにも
不安を感じてしまう彼女にも

浮気してるんじゃないかと
つねに疑ってしまう彼女にも

「してくれること」でしか
他人を判断できない人にも

女は男から求められてナンボだと
そこにしか価値をおけない人にも

かつての手痛い失恋を
誰かの彼に投影して
「そんな男は最低だ」と
こきおろす人にも

かつてのわがままな自分を
恋愛に悩む女性に投影して
「彼に逃げられて当然だ」と
指さして糾弾する人にも

大丈夫きっとうまくいくよと
やさしく励ましてくれる人にも

どの人にも
その人なりの事情があるのであって

それぞれが
自分の事情によって
 
ものごとを判断したり
意見を言ったり
行動したりしているのです。



他人について
他人が自分をどう思うかについて
強く意識しはじめるのは
思春期の頃です。

自分とは何者なのかと
悩みはじめるのと同時に

他人は自分をどう見ているのか
ということが
とても気になりはじめるのが
思春期なわけですが

その時期の子どもたちにとっては
自分の事情も
他人の事情も
そう変わりないものです。

朝登校して
授業を受けて
給食やお弁当を食べ
昼休みを過ごし
また授業を受けて
部活動をして塾に行って
帰宅して夕ご飯を食べて
寝る。

家庭内の事情は
それぞれにあるとしても

学校にいる時間は
皆がほとんど同じ生活をしています。

好きな男の子と廊下で話してても
チャイムが鳴れば
お互いの教室に戻る。
もちろん
授業中にLINEなんてしない。

一日の行動が管理されていて
その限られた中で
「他人は自分をどう思うか」と
あれこれ悩んでいるだけで

「人には人の事情がある」なんて
理解できないどころか
考えもしないものです。

まだまだ精神的に未熟な
思春期のこと。




彼と付き合っていく中で

ぎくしゃくしたり
すれ違いがあったり
不安や不満を感じたり

「好き」という気持ちだけでは
乗り越えられなくなったとき、

「彼には彼の事情があるのだ」と考えて
その事情を理解してみようと
歩み寄ることは
とても大切なことです。

だってもう
思春期の少女じゃない。

ひとりの大人の女として
ひとりの大人である彼を
愛したい
愛してると
そう言うのなら

彼を愛するように
彼の事情も思いやりたいもの。

どんな彼にも
彼なりの事情があるのだと
そういう視点で彼を見たいものです。

それは別に
自分ばかりが妥協してるとか
自分ばかりが我慢させられるとか
そういうことでは決してなく

彼には彼の事情があるように
自分にも自分の事情があるのだと
認めることでもあります。

不安になるだけの事情
寂しく思うだけの事情
自分ばっかり不公平だと思う事情が
自分にはあって

あるけれども
それはそれで悪いことはない
あっていいことなのだと

自分を肯定するということです。




大好きでも
すごく好きでも
彼しかいないと思うほどでも

お互いに抱える事情が違う
ということは
よくあることです。

その違いを
すぐには受けとめられなくても
 
ただ
理解してみようと思うだけでも

その歩み寄る一歩が
ふたりの心を近づけるのではないかと

そういう風に思います。


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