恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

September 2015

自分自身の
恋愛に依存する性質を
あれこれ考えていくと

彼だって
立派なワーカホリックなのだから
仕事に依存しているわけだし

きちんと向き合わずに
二人の関係から逃げている
ということを考えれば
彼は回避依存じゃないか…と

いろいろ考え込んでしまう
ということもあるかもしれません。



依存とか中毒というのは
「それがなければ
 どうしようもなく不安で不安で
 落ち着いていられない」
という状態です。

恋愛に依存する人は
いつもいつも
恋愛関係を感じていなければ
不安で仕方がないわけです。

だから
連絡で繋がっていないと不安、
LINEが既読無視だと不安、
彼のテンションが低いと不安。

返信がきたときや
会っているときだけは
不安が消えて安心できるけれど

それはその一時だけのことで
またすぐに不安になってしまいます。

それこそ
一日中べったり抱き合っていたいくらい
朝から晩まで愛してるよって
耳元でささやいててもらいたいくらい

彼からの愛情表現がないと
もうどうしようもなく不安になるのです。

アルコールにしてもギャンブルにしても
依存の心理は似たようなもので

それが得られたときだけは
束の間の幸福感で満たされて
でも飲んでないと不安、
今度いつ飲めるかと不安、
パチンコに行けないとイライラする、
落ち着かないし不機嫌になります。

恋愛にしても
その他の依存にしても

「それがないと不安になる」という心理の
その根本にあるものは

「自分は愛されてない」
「自分は愛されない」

という愛情への渇望です。

愛されているという安心感が欲しくて
でも
こんな自分は愛されるはずない
という思い込みが
心の奥底にこびりついているから

いつも不安で
不安が消えることがない。
安心感が長く続かない。





だとしたら

彼にだって
同じ不安があるはずです。

仕事依存に見える彼にも
回避依存かもしれない彼にも。

忙しく仕事をしてれば
彼の不安は和らぐのかもしれないし

親密さを避けることで
彼は不安を感じずに済むのかもしれない。

彼女が恋愛に依存する理由が
「愛されたいのに愛されない自分だ」
という不安であるならば

彼を仕事に駆り立てるものもまた
「愛されたいけど愛されない自分だ」
という不安なのです。

彼が強迫的に親密さを避けるのも
「愛されたいけど愛されない自分だ」
という不安です。

安心感が足りなくて
何かに依存することで
心の平安を保っている人は

依存対象と
ちょっと離れただけで
たちまち不安に襲われるものです。

恋愛に依存する彼女が
彼からのLINEが一日ないだけで
不安で不安で夜も眠れないし
仕事が手につかなくなるように

仕事に依存する彼は
少しでも仕事で何かあると
不安で不安で夜も眠れなくなって
他のことは一切考えられなくなるのです。

間に合わないんじゃないか
遅れを取ったんじゃないか
結果を出せないんじゃないか
すべてこなしきれないんじゃないか

「仕事がダメになったら
 愛される資格がなくなる」
という強い不安に襲われるから

だから
もっともっと仕事に打ち込むのです。

相手ときちんと向き合って
親密な関係を持つとなったら
不安で落ち着かなくなるから

だから
もっと避けようとするのです。





恋愛に依存しがちな女性も
ワーカホリックな彼も
回避依存の疑いがある彼も

その心に根を張る「不安」を
取り除かなければ

依存をやめることはできません。

不安な心はそのままに
行動だけを変えるというのは
難しいことです。

一時的に変えられたように見えても
別のものに依存しただけだったり
後で強烈な反動がきたりします。

「愛されたいけど愛されない自分だ」
という不安を和らげるためには

愛される自分であると
安心するしかありません。

愛されたいと望んでいい
愛される自分でいていい

そういう気持ちで
心を満たすことでしか
本当の安心は得られません。




自分に恋愛依存の性質があって
 
彼がワーカホリック気味だったり
回避依存の性質がありそうだというとき

だけどもう少し
関係を繋げていたいと思うなら

自分の不安の解消と
彼の不安の解消とを

両輪で
やっていかなくてはならない
ということになります。

ものすごく骨の折れるしごとです。

それでもやっぱり
できることはやってみたいと思うなら

まずは
自分の不安を解消すること。
それに取り組むのが先決です。

不安な人が
相手の不安を和らげるなんて
できるわけないからです。

老老介護みたいに
高齢者が高齢者を介護して疲れ切って
あげくの果ては心中しかない、
というような
悲しい結末に行き着いてしまいます。

「愛されたいけど愛されない自分だ」
という不安を抱えて
駆り立てられるように仕事をしたり
強迫的に親密さを避け続ける彼に

愛情を伝え続けたいと思うなら

まず自分の不安と向き合って
健やかな心を取り戻さなければ

不安なままで
彼の不安に触れようとすれば
行き着く先はやっぱり
悲しい結末しかないのです。




「彼がいなくても私は私で幸せ」
「一人でいてもいつも安心感がある」

いつも完璧に
そうじゃなくてもいいから

なるべくそれに近づけた状態に
心をキープしておくことが

愛する人を
不安から救い出すために
最も大切なことじゃないかと

そんな風に思うんです。


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医療行為は行っておりません。
 



人との関係において
「依存的になってしまう」というのは

自分の意思ではなく
相手を中心に生きてしまう

ということ。



そう聞くと
見るからに主体性のなさそうな
よよよとしなだれかかるような
弱々しい女性を思い浮かべそうだけれど

それはあくまで表面的なことで

仕事はバリバリこなして
経済的には立派に自立していて
一見タフそうな女性の中にも
依存的な心の人もいれば

専業主婦で子育て中で
夫の稼ぎに依存しているように
見えるような女性でも
心は立派に自立している
という人もいます。




「依存的である」というのは

どう行動するかではなく
その行動の元になる心が
自分ではなく他人にあるということです。

何かを決断するとき、
何かを選ぶとき判断するとき、
何かを断るとき諦めるとき、

生きることのあらゆる場面において
自分の意思よりも
誰か他の人の気持ちを主軸に置いて
決断や選択をしようとする。

しかもその
「他の人の気持ち」は
その他人が口に出して
主張したわけではないことも多く、

想像だけのことで
「きっとあの人はこうしてほしいはず」と
勝手によかれと配慮して

あの人のために
あの人がよろこぶから
あの人に気に入られるために
あの人に愛されるためにと

その「想像上の他人の意思」を尊重して
自分の行動を決めてしまう、

それが
「依存的である」
ということだろうと思います。

つまりは
「自分」というものが
かぎりなく薄められた状態で

かわりに
「他人の意思」というイメージばかりが
大きく膨らんでいるような

そういう心の在り方です。



たとえば

お母さんが二人の娘のために
いちごゼリーとみかんゼリーを買ってきて

お姉ちゃんは
いちごゼリーが好きなのだから
「いちごゼリーが食べたい」と
お母さんにそう言えばいいのだけれど

お姉ちゃんは
(…妹もいちごゼリーがいいかも)
(…取り合いになったらケンカになる)
(…ケンカになったらお母さんが怒る)
と勝手に想像して

(…私がみかんゼリーを選べば
 妹もよろこんでごきげんになるし
 お母さんもきっとよろこぶから)

「私はみかんゼリーにするね」
と言ってしまう。
頼まれてもいないのに
自分からそう言ってしまう。

自分はいちごゼリーが食べたいのに
「お母さんと妹のために」と
自分で勝手に想像して
みかんゼリーを食べたいと言ってしまう。

もしかしたらお母さんは

お姉ちゃんがいちごゼリーを選ぶなら
それでいいと思っていたかもしれないし

たしかに妹もいちごゼリーが好きだけど
いつもお姉ちゃんが我慢ばかりだから
たまには妹に我慢させようって
そう思ってたのかもしれないし

いちごゼリーをめぐって
姉妹がケンカしたって
それも成長の過程だって
優しく見守ったかもしれないし

まずお姉ちゃんが
「いちごゼリーが食べたい」という意思を
お母さんに伝えてみないことには

お母さんの気持ちはわからないのに。




たとえば

引き受けた仕事が
思いのほか手間取って
どうやら残業になってしまいそう…
締切は明日なのに間に合うかな…
というときに

上司か先輩か同僚か後輩が
帰り際に気がついてくれて
「手伝おうか?」
「お手伝いしましょうか?」
と声をかけてくれたにもかかわらず

「大丈夫です」
「平気です」
「ひとりでやれます」
と言ってしまう。

自分の本当の気持ちは
(…誰かに手伝ってもらって
 少しでも早く終わらせたい)
であるのに

自分のその気持ちは無視して
(…手伝わせるなんて申し訳ない)
(…無能だと思われたくない)
(…人に迷惑はかけたくない)
というような

相手は手伝いたくないだろうに
相手にダメだと思われたくないと
相手の気持ちを中心に考えてしまうと

せっかくの好意も素直に受け取れない。

声をかけてくれたときに
「ありがとう。すごく助かります」と
頼ることができたら

力になれたことで
相手だってすごく嬉しいかもしれないし

まずは
「仕事を手伝ってほしい」という意思を
まわりの人に伝えてみないことには

人の気持ちはわからないのに。





もちろん
しんじつ気高く無私の心を持った人が

どんなときも
自分以外の誰かのためにと
そんな生き方を貫くことができるなら

それはそれで
ひとつの人生であるだろうと思います。

ただ
依存的である場合には

心の奥底に
「愛されたい」という強い願望を
抑圧して隠し持っていることがあり

依存的な態度で
相手の気持ちを尊重していると見せかけて
「そうすれば愛される」と
期待ばかりが膨らんでしまうと

どんどん辛くなってきます。

想像上の相手の気持ちを中心にして
自分の意思は無視してしまうその生き方が

自分自身を苦しめるのです。




そうして
ずっと無視し続けてきた自分の意思は

「彼なら受けとめてくれる」
という相手に出会って
心を開いたそのときに

濁流のような強い力で
溢れ出してしまいます。

自分にも彼にも
堰き止めることはできない。

彼を傷つけ
彼に嫌われても
その関係が破綻しそうになっても
理性などものともせず

構わず溢れ出してしまいます。

心は
抑えれば抑えるほど
強いエネルギーを溜め込んで

いずれ必ず爆発します。

心を開いた相手に対して
依存心を抑えるということは
とても難しいことです。




もしも今
依存的な性質を自覚しているのなら

彼とのあいだだけじゃなく
ふだんの生活の中でまずは意識してみる
ということが
大事じゃないかと思います。

同僚とランチを食べに行って
みんながAランチなのに
自分だけBランチだと
待たせて悪いだろうから
やっぱり私もAランチにしようとか

早く帰りたいときに
そう言えず最後まで付き合ってしまうとか

もう少し飲みたいのに
二次会行こうよと切り出せないとか。

自分の意思を無視する
ということが
もはや習慣になっていないかどうか。

人の気持ちを勝手に想像して
それに合わせて行動する
クセがついていないかどうか。

「今日は私はBランチにする」
と思い切って言ってみれば

誰か他の人もBランチに変えることもあるし
料理が運ばれてくる時間が
多少遅くなったとしても
そこまでみんな気にしないものだし

「私はこうしたい」
という意思を素直に自然に出すということに
嫌悪感を持つ人など普通はいません。

むしろ快く受けとめてくれるものです。

嫌な顔をする人がいたら
その人もおそらく
マグマのような依存心を
意識の奥底に閉じ込めているのです。



クセや習慣は
なかなかに手強いものだけれど

身近なところからひとつずつ

「自分の意思」で
選択してみること。
決めてみること。
行動してみること。

怖くても勇気を出してみれば

前よりもっと
思った以上に

生きることが楽しくなる

そんな風に思います。


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中国の伝説によれば

月には
光り輝く大きな桂の木があって

その木の根元を
斧で伐り続ける男がいるそうな。

その桂の木は
日本にある桂ではなく
香りの高い「丹桂」、つまり金木犀のこと。

男はかつて
罪を犯して仙人の怒りを買い
月に追放され
「桂の木を伐り倒す」
という罰を科せられた。

男が重たい斧をふりかぶって
エイヤと思いきり伐り込んでも
巨大な桂の木は
一日にほんの少ししか伐れない。

何日も何日も伐り続けるけれど
なかなか終わらず

しかも
伐ったはずの根元が
あくる日には元通りになっているので

男の罰は
いつまでたっても終わらない。
永遠に桂の木を伐り続ける。

男が桂の木を伐るたびに
月は欠けるし
伐り口が元通りになるにつれ
月はまた満ちる。

男は今もまだ
たったひとりで
月の桂を伐り続けている。

香り高い月の桂は
今夜はいっそう光り輝いて
闇夜を明るく照らしている。




日本でもこの伝説は
万葉集の昔からよく知られていて

月の桂を題材に
恋しい人への想いを重ねた歌がある。

〈目には見て手には取らえぬ月の内の
 桂のごとき妹をいかにせむ 湯原王〉

目には見えるのに
手には届かない
月に生えるという桂の木。

その月の桂と同じように
手に取って引き寄せることができない
恋しい君のことを
いったいどうしたらいいのだろう。


月を見て

うさぎが餅をついてると思うのか
男が桂の木を伐っていると思うのか

かぐや姫は
満ちてゆく月を見てさめざめと泣き

アームストロング船長は
月面着陸の名誉を思い出し

湯原王は
叶わぬ恋を月に重ねて歌を詠み

ザトウクジラは
波のリズムに合わせて月に歌い 

インターネットには
十五夜のきのうの月と
スーパームーンだという今夜の月が
次々にアップされて

月を見て
何を想うか
誰を想うか

人の数だけ想いがあって
みんなそれぞれに
自分の想いで月を見る。




どこまでも澄み渡った青い空を見て

なんて清々しい空だろうと感じるなら
そのとき
清々しいのは空ではなく
その人の心が清々しい。

空が青すぎて悲しくなるなら
そのとき
悲しいのは空ではなく
その人の心が悲しい。

 

たっぷりと長い雨が続いて

鬱陶しい雨だと恨みに思うなら
そのとき
怨念を含んでいるのは雨ではなく
その人の心に怨念がある。

恵みの雨だと喜ぶなら
そのとき
喜びに満ちているのは雨ではなく
その人の心に喜びが溢れている。




月も空も雨も

月そのものに
恋心があるのではなく

空そのものに
爽快さがあるのではなく

雨そのものに
喜びがあるのではなく

「あぁ!」と感嘆するその心を 
月や空や雨が
そのまま映し出している、
ただそれだけのこと。

月はただの衛星で
空はただの空間で
雨はただの水で

その
「ただの自然」から
何を感じ何を想うかは
人の心が決めること。

つまらない毎日だと思うなら
その人の心がつまらないということ。

目の前にいる人の
愛が足りない気がするなら
自分の心に愛が足りないということ。




今夜は十六夜月。

願いごとが叶う
スーパームーンだと思うなら
強い願いが心にあるということ。

ふたり水いらずで田草を取るのに
もってこいの明るさだと思うなら
仲良くしたい人がいるということ。

見るだけで手は届かないと
やりきれない想いで眺めるなら
切なく想う相手がいるということ。


 

月も空も雨も
自然のすべて
目に映る景色のすべて
出会う人々のすべて
起きるできごとのすべて

この世界のすべてが

自分の心を映し出す
スクリーンのようなもの。

月を見て
何か思うことがあるのなら
紛れもなくそれこそが
 
自分の本当の想いに違いない。

そう思ってもう一度
今夜の月を見てみれば… 

そこには何が映るのか。 

〈嘆けとて月やは物を思はする
 かこち顔なるわが涙かな
       西行法師(百人一首)〉

嘆き悲しめと月が言って
物思いをさせようとするのだろうか。

いやそうではあるまい。

嘆いているのは月のせいじゃなく
本当は恋のせいだとわかっている。

なのに
まるで月のせいにして
頬を流れる私の涙であることよ。



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「今のままじゃダメなんだ」
「しばらく距離を置きたい」

彼が
自信を失ったようにそう言って
さっさと暗い穴に隠れてしまって

彼女としては
ひとりぼっち置き去りにされて
その場に呆然と立ち尽くすしかなく

とにかく彼は
自分で自分を失格だと決め込んで
勝手に落ちてしまったのだから

そうじゃないよと否定するのも
そらぞらしいし
頑張ろうよと励ますのは
たぶん逆効果なのだろうし

だとすると
かける言葉も見当たらない。

ということがあります。




勝手に穴に落ちたのだから
ミイラにでも白骨化でも
好きなようにしたらいいって
見限ってもいいのです。

大丈夫?元気なの?心配してるよ?って
その穴を覗き込んでばかりいたら
バランスを崩して自分も落ちてしまいます。

付き合っていたり
気持ちが繋がっていたりすると
いやでも気分が共鳴するもので

「オレじゃダメだ」
という彼のうめき声を聞いた彼女が
「私じゃダメなんだ」
と同じ気分になってしまう

ということもよくあります。

そうなる前に
そうなりそうなら
穴を覗き込むのはやめること。

ミイラが二体になっても
いいことなんかひとつもない。

自分は自分として
まだまだこの人生を生きなければ。
もっと味わわなければ。
もっと楽しまなければ。

みみずやあめんぼのように。

手のひらを太陽にかざせば
熱く流れる血潮を
透かし見ることができるのだから。





見限るのはまだ早い、
真っ暗な穴の底からときどき
彼のうめき声がまだ聞こえる、
だからもうしばらく待ちたい。

そう思うのなら
彼女としてできることがひとつ、

それは
自分が光になることです。

真っ暗な穴の底の彼に
遭難した真夜中の沖合の小舟に

「ここだよ」と
目指す場所を教えるような

自分が灯りになることです。




男性に限らずとも
落ち込んだり不安になったり
自信を失ってしまったりしたとき
人は
ただただその渦にのみ込まれ
ネガティブな感情に翻弄されるばかりで

幸福のイメージを忘れてしまうものです。

長く深刻に悩んでいる人が
苦しいここから救い出してと
必死で訴えているとして

じゃあ
あなたはどうなることが幸せなの?と
聞いてみたところで
それらしいこたえは返ってきません。

悩む本人としては
「とにかくこの悩みの渦から出たいのだ」
というのが
さしあたっての願いであって

渦の中で溺れそうなときに
幸せのことなんて
イメージできないものです。

だけど
その苦しいときにこそ
幸せのイメージを持たなければ。

「幸せについては
 悩みから脱出してから考えるよ」
ではうまくいかないのです。

この悩みから抜け出すために
自分の本当の願いや望む幸せのことを
考えてみなければ。

いきなり大きな幸福じゃなくていいし
完璧な将来像じゃなくていいし
ほんの少しでいいのです。

だから
そばにいる彼女に
できることはひとつ、

あっぷあっぷで
今にも渦の底に巻き込まれ
沈んでしまいそうなその人に
命綱を投げること。

つかまるかどうかは彼次第。
そのまま井戸の底でミイラになるか
生きるんだとロープを掴むのか

それは彼次第だけれど
とにかく
ロープは投げなければ。





たとえば
「今のままじゃダメなんだ」
と彼が言うのなら

「何がダメなの?」
とダメなことを根掘り葉掘り
さらに突っ込んで聞くよりは

「どうなったらダメじゃなくなるの?」
と聞いてみる方がいいかもしれない。

「ダメなオレ」の輪郭をなぞるより
「ダメじゃないオレ」のイメージを

彼が描けるように。
二人で塗っていけるように。

クレパスのようにぼんやりとでも
水彩のようにうっすらとでも。




そこまでハッキリ聞くのは
はばかられるような状況なら

彼の夢って
彼の目標って
思い描く将来像って
どんなイメージなのか

あまり改まらず
さりげなく軽く
ふとしたときに話を向けてみるとか。

もっと身近なことで
「どんなときに幸せ〜って感じる?」
って雑談みたいに聞いてみるとか。

もちろん
彼が黙ったままなら
それはそれで
しばらくは放っておいて

また折りを見て
別の機会に聞いてみてもいいのだし

自信がないと落ち込む人に
特効薬というのはないので

無理せず焦らず
しかし
タフにあきらめずに

彼に
小さな灯りを見せていく。
光を感じさせていく。





そのために大切なことは

言うまでもなく
さんざん繰り返してきたけれど
それでもしつこく言いますが

自分自身が
幸せのイメージを持っていること。

光を見失わないこと。
大きな溜息で灯りを消さないこと。

うっかり見失って闇に落ちても
目をこらせばまた灯りを見つけられると
忘れずにいること。
いつもそう信じられること。

彼が
幸せのイメージを
思い出せないでいるなら

私が幸せなときはねって
ちっぽけでもいいから
自分の光を見せてあげられること。

二人の未来を
まず自分が信じられなければ。

ぐらぐら揺れながらでも
落ちながら浮上しながらでも
ときどき点滅しながらでも

その光が
彼の道しるべになるように

彼の光になれる自分なのだと
自信を持てる自分になること。

感じることと
表現すること
そして
行動すること。 

いつもいつも
おんなじことばかりだけれど

やっぱり

そういう風に思うんです。



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だからといって

彼に
「本当は愛されたいんでしょ?」
なんて直撃したって
絶対に否定すると思います。

男って
ひとつのことしか集中できないよね
言葉で表現するの苦手だよね
考えてるあいだはダンマリだよね
恋愛にハマりすぎると離れようとするよね
それって本当は恐れだよね

なんて
知ったかぶりして言おうものなら
彼は素直には認めないはずです。

「そんなことないけど」とか
「どうかなぁ。オレは違うけど」とか。




男というのは「闘う性」なので

相手に自分の心を読まれるなんて
絶対に嫌なのです。

戦においても
決闘においても

狩りで
自分より大きな肉食動物と
対峙したときでも

心を読まれるということは
すなわち「負け」を意味します。

闘いに勝つためには
獲物を仕留めるためには

相手の裏をかかなければいけない。
先手を取らなければいけない。
相手が読むその数手先を読んで
動かなければ勝てない。

恐怖心や不安が表に出れば
相手はここぞとばかりに
すぐさまその弱みをついてきます。

何より
相手に余裕を与えてしまいます。

負けないために
絶対に勝つために

心を読まれてはいけない。

男というのは
潜在的に
そんな風に考えているはずです。

たぶん。




だから
「男の人ってこうなんでしょ」
「男性心理ってこうだよね」
なんて彼女から言われても

眉ひとつ動かさずに
全然ピンと来ないなぁという顔をするか

反射的に嫌悪感が先だって
ちょっと嫌な顔をしたり
ムキになって否定したり。

するんだろうと思います。




強くあれ
立派であれ
優秀であれ
一番であれ

メソメソするな
グズグズ言うな
言い訳するな
人のせいにするな
文句を言うな

そんな風に彼らは育ち

祖父を見て父を見て
まわりの男たちを見て
偉人伝を読み
アニメやマンガのヒーローに憧れ

自然とそういう風に彼らは育ち

心を読まれたら負け
弱みを見せたら負け 
戒めるように自分に言い聞かせて 

感情を閉じ込めて
心の扉はしっかりと閉めて

未踏の荒野に
彼らは駆け出していくわけです。 

かつての男の子たち。
今の彼たち。

それが
最も守るべき対象であり
か弱いはずの彼女から

心を読んだかのようなことを言われたら
当然、いい気はしません。

当たっていようが
当たっていまいが

そういうことをされることが
そもそも嫌なのです。

ナメられてるんじゃないか
弱い男と思われてるんじゃないかと
屈辱的に思う人だって
もしかしたら
いるかもしれません。

男じゃなくたって
「女ってさ」なんて
いっしょくたにしてラベリングされたら
誰だって嫌なものです。




そもそも
自己開示をすることで
親密になろうとするのは女だけのこと。

男は
お互い何を考えてるのか
打ち明けあったりはしません。
まして
言い当てられるなんて。



 
もちろん
彼が自分から言い出すことには
それはそれでいいのだし

言い出したならそのときは
「そうなんだね」と
受け入れてあげたらいいことで

とにかく
男の内面で何が起きてるのか
ということについては

彼が自分から言い出すまでは
そっとしておくのが一番です。

いつまでたっても
どれだけ待っても
彼が自分の気持ちについて
何も話してくれなくても

心の扉を開けようとしてくれなくても

だからといって
その扉の向こう側が
からっぽなわけではないのです。

重たい鋼鉄の扉を
ぴったりと閉め切って
何重にも錠前を付けて
門番もいて
セコムも設置して

感情を少しも表に出さない
という人にかぎって
その扉の内側に
たくさんの感情を閉じ込めている
ということだってあります。

少しでも隙間を作ったら
たちまち溢れ出してしまうから
それほど多くの感情があるから

だからこそ
開けられない
開けるわけにはいかない
心を読まれてたまるものか

ということだってあるのです。





「全然わからない」
と思っていた彼のこと、

波立つ気持ちを落ち着けて
静かに目を閉じて耳を澄ませば

閉じた扉の向こう側から

少しずつかすかに
聞こえてくるものがあるはずで

だけど
だからといって

「わかったよ!」とわざわざ
彼に伝える必要はありません。

わかったことは
そうなんだねと
自分ひとりの胸にしまって

彼が
そうありたいと思う男のままで
いさせてあげたらいいのです。

心など読まれないと
彼が思うならそのように。

一筋縄ではいかないと
彼が思うならそのように。

強くて立派な男なのだと
彼が信じたいならそのように。

不安や恐れなどないのだと
彼がそう見せたいならそのように。 

その裏にある
何かしらの感情は感じつつ

わかってるけど
わかってるとわざわざ言わずに

彼女の前では
そうありたいと願う姿で
いさせてあげたらいいのです。

その愛情は
彼にちゃんと届きます。

彼女が「わかっている」ということも
わかっていても何も言わず
受け入れてくれてるということも

彼はちゃんと感じ取ります。

形にならず
言葉にもならず
目に見えるものでもないけれど

なぜか彼らにはわかるのです。

 

男って
そういうものだと思うんです。



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一客あるとして

骨董について
何の知識もない人は
古い茶碗にしか見えないし
ガラクタか不燃ゴミだと
思うかもしれないけれど

骨董の目利きが
うやうやしく白い手袋をはめて
丁重にその茶碗を手に取れば

陶器か磁器か
全体の形はどうか
釉薬のかけ方は
絵柄はどのような
箱書きはいかに

じっくりと鑑定し
年代や作者を特定した上で
驚くほどの高値がつく

ということがあります。

茶碗に限らず
掛け軸でも屏風でも

ゴミ同然の偽物なのか
二束三文の価値しかないのか
国宝級の代物なのか

その価値が
わかる人にはわかるし
わからない人には
いつまでたってもわからない

ということがあります。

また骨董に限らず
ワインでも酒でも料理でも
音楽でも絵でも書でもアート全般、
ほかに
盆栽でも犬猫でも
ヴィンテージの何かでも

「目利き」だとか
「通」だとか呼ばれる人は

世間一般の人には
なかなかわからない価値を

その中に見出すことができるのです。





恋愛でもそうありたい
と言いたいところですが

そう単純なことでもなく。

たとえば
彼という男をよく知るという名目で
客観的に分析しようとするなら

それは
目利きでも通でもありません。

彼の詳細なプロフィールを
こっそり作成し

家族や生い立ちや背景や
趣味特技、好きな食べ物スポーツ、
好みの女性のタイプ…と
彼ノートなるものに
ずらずらと書き連ねて
暗記するほどにまでなって

さらに
彼の言葉や行動を
ことこまかに記録して分析して

彼の本心はどこにあるか
彼の本性はどんなものか
彼はいったいどういう人間か

すみずみまで調べ尽くしたとしても

まだまだ
目利きや通にはほど遠いのです。

なぜなら
人は「情報」を愛することなど
できないから。

情報ばかりを
どれだけ集めたところで
愛には繋がらないからです。
愛とは何の関係もないからです。





目利きや通と呼ばれる人は
たしかに
膨大な知識を頭に入れています。

骨董の目利きは
途方もない数の茶碗を見て
良いもの悪いもの
本物と偽物
そのすべてを目で記憶しています。

じゃあ
これから骨董の目利きになりたい人が
同じように知識を身につけ経験を積めば
同じレベルの目利きになれるかといえば

絶対になれないのです。

本物の目利きは
鑑定するものに
誰よりも深い愛情を持っています。

目利きが
古びた茶碗を鑑定するとき
釉薬や絵柄を見て
年代や作者を特定したそのあとに
茶碗の「景色」を味わいます。
その時間が最も長いのです。 

目利きは
骨董の情報を愛しているのではなく
情報に価値を与えるのではなく

その茶碗が醸し出す
風情やたたずまいの素晴らしさを
愛しているのです。

古びた茶碗に
目利きが「美」を見出せば
それに価格がつくというだけのこと。

「江戸時代の作である」という情報を
ありがたがって騒ぐのは
野暮天とか不粋者のすることです。





男性心理も
彼についての分析も

どれだけ詳しくなろうとも
客観的に把握したつもりでいようとも

情報は情報に過ぎないのであって

そこに美しさを見出せなければ
素晴らしいと尊敬できなければ
愛すべき何かを探せなければ

何の意味もないのです。
情報なんて。





そのヴァイオリンが
2億円のストラディバリウスだからって
だからどうだという話。

奏でる音色が心を揺さぶるのであって
「楽器の値段」という情報に
感動できるわけじゃない。

その酒が
幻の大吟醸だからといって
酔ってしまえば同じこと。

その料理の
ソースのレシピが秘蔵だからといって
舌の上の味わいが変わるわけじゃなし。

お重に入った料亭の幕の内より
さっと握って持たせてくれたおにぎりが
何よりありがたいということもある。

大切なことは
情報を集めて分析して
頭であれこれ考えることじゃなく

感じること
味わうこと

そして
美しさを見つけること。

美しさを見つけたその瞬間に
愛が生まれているはずです。





少し愛しにくい彼がいて
ちょっとこじらせてる関係があって

それでもまだ続けていきたいと
そう思う気持ちがあるのなら

彼の通になることです。
 
誰よりも彼の素晴らしさを知る
目利きになることです。

それは決して
ケータイを盗み見したり
SNSをひそかにチェックしたり
彼の友人から情報収集することではなく

恋愛指南書に当てはめることでも
男性心理の本を読みまくることでもなく

彼という人、彼の生き方に
美しさを見出すことです。

骨董のようにわかりにくい
ワインのように複雑で
ピアニッシモの音のように繊細な

他の誰にもわからない 
彼だけの素晴らしさを
 
自分だけが見つけられるかどうか。

見つけたら
感動せずにはいられない。
きっと
愛さずにはいられない。

目利きになるって
そういうことだと思うんです。
 


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男やもめに蛆がわき
女やもめに花が咲く

と昔の人は言いました。



「やもめ」とは独身のこと。

単にいい年をして結婚していない人にも
使うことはあるようですが
一般的には
結婚していたけれども死別や離別で
独り身になった人のことを指します。

妻に先立たれた男というのは
惨めなこときわまりなく

家事をしてくれる妻がいなければ
炊事や洗濯、掃除やゴミ出しもままならず
生活がだらしなく乱れて
そのうち蛆(ウジ)でもわきかねない、

一方で夫を失った女というのは
もともと身の回りのことはきちんとできる上に
威張るわりにやたらと手がかかる夫がいなくなり
精神的にも時間的にも自由になるというので
花が咲いたような
明るく華やかな暮らしぶりになる、

というような意味のことわざです。

男所帯に蛆がわき
女所帯に花が咲く、とか

男後家にはぼろ下がり
女後家には花が咲く、とか

男やもめに雑魚たかる
女後家には花咲かす、とか

表現は微妙に違いますが
とにかく
配偶者がいないと

男はみっとなくみじめな生活をするし
女は生き生きと華やかに暮らすものだ
ということです。



実際にいま
日本がこれだけ高齢化社会になって
過去の大戦での戦死者も多かったこともあり

ひとりで暮らす高齢の女性は
めずらしくありません。

彼女らを見ていると
蛆がわいたような侘びしさは感じられず
むしろ人生を謳歌している人が
多いように見受けられます。

いくつになっても
白髪を染めてセットして出かけたり

亡き夫の仏前に供えるための花を
自分で丹精して咲かせたり。

高齢より少し若い、
定年退職後の夫婦を見ても

奥様達は
趣味のサークルや旅行、
美味しいものを食べ歩き流行に敏感で
ときにはおっかけ活動で全国を飛び回り

一方の旦那衆はといえば
会社でバリバリ働いてた面影は消え
蛆がわかないまでも
どことなく枯れたような
脂っ気が抜けてしまったような

そういう夫婦が少なくありません。



結婚適齢期の頃、
恋がなければ
愛を手に入れなければと
必死になっていたのは
女だったのに

いつのまにか逆転するようです。
とても不思議なことですが。



現代では
女性も外で働くのが普通だし
男性でも家事をすることはあるし

じゃあ
女やもめに蛆がわいて
男やもめは花が咲くかと言えば

やっぱり
そんなことはなかろうと思います。

身の回りのことができるかどうか
ということは
ごく表面的なことに過ぎなくて

つまりは
女の精神の健全さというのか
図太さというのか

「心のしなやかさ」のことを
 
このことわざは
表しているような気がします。




女というものは
自分ひとりの力で
人生によろこびを見い出すことが
できるものです。

いくつになっても
どんなに辛いことを経験しても。

自分自身が「在る」ということに
絶対的な安心感を持っているから

自分の外側の世界がどうなろうと
心さえ満たされていれば
内側の世界さえ守られれば

どうにでも
生きていくことができるのです。
花が咲くようなよろこびと共に。




男は
自分ひとりで存在することは
あまりに心もとなく心細く

仕事で成果を上げることや
愛する人を守り幸せにすることで
やっと自分の価値を感じられる。

自分自身が「在る」ということについて
常に不安で脅かされているから

自分の外側の世界から
何かしらの反応を得なければ
心を満たすことができない
内側の世界は空洞になってしまう。

だから
一人になると蛆がわくのです。
孤独にはからきし弱いのが男です。




誰かから受け入れられたい
誰かに認められたい
心から愛されたい

という欲求は
本当は
男の方が強いのです。

愛されたいという思いが強すぎて
一人になることに耐えられなくて
孤独な闇では発狂しそうで

あまりに強く求めるものだから
底知れぬ恐さも感じているのです。

もし手に入らなかったら
どうなるんだろう。

誰にも認められず必要とされず
誰からも愛されなかったら。

ひとりぼっちで
生きていけるだろうか。

そんなこと
想像するのも恐ろしいのです。男は。

だから
少し距離を置こうとします。

そんな強烈に引かれるものに
うっかり近づいて夢中になって
魂を抜かれるようなことになって

そして
失ってしまったら?
この自分は
この人生は
一体どうなってしまう?

女は愛を失っても
また別の花を咲かせられるけれど

男は愛を失ったら
蛆がわいて
そのうちみじめに孤独死です。

仕事がなければたぶんそうなる。



愛なんて二の次だ
なんて強がってみせて

男は仕事が第一だ
なんてしたり顔でいるけれど

本当に心から強く
愛を求めずにいられないのは
男の方です。

愛なしでは生きられないのも
男の方です。

女としてこのことは
知っておいて損はない。

女の蕾はたくさんあるってこと。
何度でも美しく咲くということ。

そして
恋愛なんてと
仕事に必死に打ち込む男ほど
 
愛されたがっているのだ
ということも。


親密になれる女性がいないと、
男性の私生活は
痛々しいほどハリがなくなって、

知らず知らずに
幸福や健康をおびやかすような
危険にさらされたりします。

心のふれあいを強く望みながらも、
それを不当に取りあげられたような
感覚がつきまとい、

やることなすこと極端になりすぎて
自分を傷つける結果になることも
少なくありません。

それというのも、

孤独から逃れて、
だれかと心を通いあわせたいという欲求を
しゃにむに追い求めているからなのです。

そんな欲求があるからこそ、
女性は
親しい男性に対して
とてつもない影響力を秘めているのです。

ただ、
それに気づいている人は
なかなかいません。

『なぜ彼は本気で恋愛してくれないのか』(ハーブ・ゴールドバーグ著)

「感受性が豊かである」というと

他人の何気ない一言に
反射的に傷つきやすいとか

小さなことで
すぐ泣いてしまうとか

なんでもないことなのに
気になって止まらないとか

そういうのを
「感受性が強いから…」
と言うこともあるけれど

そういうことではなくて

目の前のできごとに対して
心から深く「感じる」ことができる
ということだと思います。

そして
その感情のバリエーションが
実にさまざまであるということ。

陽気であるとか明るいとかに限らず
ポジティブネガティブを問わず
幅広く奥深く
繊細でもあり大胆でもあるような

それが
「豊かな感受性」
ということだと思います。




「感じる」ということは
考えることでも
検討することでも
もちろん
決断でも判断でもありません。

目に入るもの
耳で聞く音
手触りや味わい

何かに出会ったとき
感じたことを感じたままに
心で受けとめることです。

こう言えば気に入られるよね
こう言ったら機嫌を損ねるかも
どう反応すれば
自分をより良く見せられるかな、と

そんな風に思案していたら
「感じる」ことなどできません。

感じる暇も余裕もなく
「考えて」「検討して」「判断して」
しまうからです。




もちろん
何かを実際に行動に移すときには
理性も役立ちます。

でもそれはあくまでも
「感じる」ことのそのあとの話であって

思考ありき
理性ありき

では
その人の感受性は
すぐに錆びついてしまいます。

感受性の錆びついた人というのは

言っていることはマトモだし
常識的で道徳的で倫理的で理性的で
教養があって大筋で正しいけれど
 
人の心を動かすことはできません。

相手の心に届くような
琴線に触れるような
胸を震わせるような
魂が揺さぶられるような

心の奥深くまで染み入って
じんわりと感動するような

そんなメッセージを
相手に送ることはできません。

感受性が豊かでない人が
その人なりの表現で
大切なことを伝えようとしても
なかなか伝わらないものです。

「感じる」よりも
思考や理性が先にくるようでは。

感心はしても
感動はしない。




反対に
感受性の豊かな人が
なんの裏もなく下心もなく

ただただ素直に率直に自然に
自分の感受性で丁寧に

「感じる」ということをして
それが相手に伝われば

どんなに小さなことでも
相手の心に響くものです。

自然体で感じている、
その姿に
思わず見とれてしまうものです。

好感を持たずにいられないし
自分もそうありたいと思うし
心地良い気分になります。

たとえそれが
ネガティブな感情であっても

他人の目など気にしない、
芯から飾り気のない、
その感受性の豊かさに

人は心打たれるものです。


 

ただし

とっさに感じた感情の中に
過去から引きずったものや
心の奥底から引っ張られたものは
混ざらないように。

あくまでも
「目の前のできごと」に対して

今触ったもの、今見たものから
そのままに感じる
ということが大事です。

難しいことだけれど

過去の感情や
別のできごとに対しての感情を
うっかり混ぜてしまえば
それは

感受性が豊かなのではなく
神経過敏な人のように
なってしまいます。





たとえば
なかなか返信がない彼が

「重大プロジェクトを任されて
 まだしばらくは忙しいんだ」

と久しぶりに連絡をくれたとして



●感受性の豊かな人は

その言葉から
素直にそのままに感じることができます。

「重大プロジェクトを任されるなんて
 信頼されてるんだね、すごいことだね。
 まだしばらく忙しいなんて大変だね。
 体に気をつけてね。
 成功するといいね。
 そんな中で連絡くれて嬉しいよ。
 またしばらく会えないのは残念だよ。
 でも応援したいと思ってる。
 頑張って!」

彼を励ます気持ちも
会えなくて寂しいと思う気持ちも
どちらも
素直に感じて
感じたままに伝えることができます。

彼の言葉に
自然体で反応できます。

そして
彼女のその素直な感受性に
彼は感動します。

彼の心を強く揺さぶるのです。




●思考が先に立ってしまう人は

会えない寂しさを感じつつ
それを見せたら
彼は重いと感じるはずだし
今は応援すべきときだ、

そう判断して
「正しい」返信を書こうとします。

だけど
寂しいという心は
そう簡単に抑えられるものでもなく
知らず知らず言外に滲み出るもので 

「そっか…会えないのは残念だけど
 重大プロジェクトなら仕方ないね。
 期待されてるなら集中しなきゃね。
 時間ができたらまた連絡ください」

優等生的に励ましているような
少し恨みがましいような
わかりきったアドバイスもしたりして
ものわかりのいい彼女のようでもあるけれど
 
だけど
彼女がどう感じたかは伝わらない。
彼女の心がわからない。

だから彼の心にも届かない。

正しいしありがたい言葉だけれど
彼の心は動かないのです。

彼から良く見られたい
良い彼女だと思われたい

そういうよこしまな下心は
なぜか相手に伝わるものです。

偽物の感受性は
一瞬だけなら
相手を騙して
感動させることもできるけれど

そんな感動は
どうせ長くは続かないのです。

自分が良く見られたいだけの
不自然な反応では。




●過去の感情を引きずっている人は

彼の状況が
不安や自信のなさに結びついて

今とは関係のない
必要以上にネガティブな感情ばかりを
感じてしまいます。

「そんなに忙しいなら
 まだ当分は会えないんだね…」
「今までだってずっと我慢してたのに…」
「そのプロジェクトはいつ終わるの?」
「本当に会う暇もないほどなの?」
「忙しいなんてただの言い訳で
 本当は別れたいんじゃない?」

自信はない自分だけど
そうじゃないよと言ってほしかったり
ゴメンと謝ってほしかったり
今度いついつ埋め合わせするよと
不安を打ち消すような
確実な約束がほしかったり。

反射的な反応には違いないし
思考も省かれているけれど

これは
感受性とは全く別のものです。

彼とも
彼からの言葉とも
本来は関係のない
過去のネガティブな感情が
呼び起こされて悲しくなっていて

素直でも自然体でもない、
過剰反応をしてしまいます。





カラフルでキラキラした
砂糖菓子のような
女の子の豊かな感受性は

彼を感動させ
心を強く揺さぶり
そして
頑張る力を与えます。

ただしその
「感じる」という反応が
心からの自然なものでなければ
人を感動させることなどできないし

彼の前でだけ
感受性豊かであろうとしても
それは無理なこと、
そしてとても不自然なことです。

だから
毎日を大切に過ごすこと。
彼がいてもいなくても。

「感じる」ということを
おそろかにしないこと。

考えすぎて
策を練りすぎて
 
「感じる」心を曇らせないこと。

ひとつひとつ丁寧に
ネガティブな感情も嫌わずに

心で感じたままを
まっすぐに取り出して
伝えることができるように

まずは明日いちにち。

朝起きてから夜眠るまで
どんなものに出会い
どんな感情を感じて
どんな風に表現するのか。

琴線に触れたとき
自分の心はどんな音色を鳴らすのか。

耳を澄ませて 
その音を
よく聴いてみてください。

きっと美しい音がします。 



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彼の気持ちを
理解しなければいけないと思うと

それはなかなか苦しいことです。




たとえば
「忙しすぎてしんどい
 (だから連絡できない)」
という彼の気持ち。

日々のタスクとノルマに追われ
ギリギリで余裕が全くない、
それでも全然追いつかなくて
息をつく暇もない、

というのは
理解できるとしても

「だから連絡できない」
ということを
彼女が理解することは
なかなか難しいことなのです。

女性というのは
どれだけ忙しくても
好きな人のことはいつも頭にあるもので
ほんの一瞬の合間をみつけて
連絡することだってできるのです。

自分の状況に関わらず
「どうしてる?」
「こちらは元気だよ?そちらはどう?」
と気づかうことが

女性にとっては何よりも大事な
愛情の表現だからです。



そんな女性が
「忙しくて連絡できない」
という彼の状況、彼の心理を
理解しようといくら努力したところで

「わからない」となります。

忙しくても連絡するのが自然なのに
忙しいから連絡しない彼のことを
どうやって理解したらいいのか。

わかろうとしてもわからない。
どうしても腑に落ちない。

そういうことがよく起きます。



彼を理解しようとしているとき、

彼女は
「共感したい」と思っていて

それはつまり
「彼の気持ちに同意したい」
「彼の気持ちとそっくりを理解したい」
「彼のように感じたい」
と考えてしまいがちだけれど

〈共感〉とは
相手が感じるように自分も感じること
では決してないのです。

違う人間なのに
そっくり同じ感情を抱けるなんて
そもそもそう考える方がおかしいので

そうではなく

自分の
「忙しくても連絡したい」
「いつもどんなときも相手を気づかいたい」
という感情や思いは
そのままに大切にしながら

彼の
「忙しすぎて連絡できない」
「しばらく仕事に集中したい」
という感情や思いを
そのまま受けとめること、

それが〈共感〉のはじまりです。
彼を理解するための
はじめの一歩。





「連絡できなくてごめん。
 忙しくてなかなか暇がなくて」
と彼が言ったとき

「そうなんだね」とただ受けとめること。

そんなにも忙しいんだね。
ほんとうにギリギリなんだね。

彼の言葉をそのまま受け取って
そのことを受け入れること。

受け入れるその一方で
「私だったら忙しくても連絡するのに」
と思うならそれはそれでいいのです。

その気持ちは間違いじゃないし
彼に同調するために
自分を押し殺そうなんてしなくていい。

ただし
自分の気持ちにも
自分自身が共感すること。
そうなんだと受け入れること。

そしてもっと言うならば
受け入れるだけで済まさずに
もう少し自分の気持ちを感じてみる。

「私だったら忙しくても連絡するのに」
「それが愛情の強さだと思うから」
「だから彼が連絡してくれないのが寂しい」
「私は寂しいんだ」
「愛されてないかもって思ってるんだ」

そんな風に
自分の感情に寄り添ってみること。

〈共感〉とはそういうことです。




そうやって
自分の感情のひとつひとつを

やり過ごさずに
丁寧に
じっくりと感じていくことは

彼に対する〈共感力〉をも育てます。

「忙しくて連絡できない」という彼に

忙しいんだね。
そんなにギリギリなんだね。

とまずは受け入れる。
そしてそこから

忙しさをわかってほしいんだね。
誰かに共感してほしいんだね。

とさらにもう一歩近づいて、
彼の気持ちに寄り添ってみる。

そういうことが
もっと自然に
ごくごく当たり前に
できるようになります。




胃が痛くなった人がいたとして

最初は
「なんだかこのあたりがいたくて…」
「みぞおちのあたりが…」
とお医者さんに訴えます。

「これは胃ですね」
「胃が痛いのですね」
とお医者さんに言われてはじめて

それが胃なのだ
胃の痛みとはこういうものなのだ

とその人はわかるのです。



不安になった人がいたとして

最初は
なんだかモヤモヤイライラして
落ち着かなくて胸が苦しくて

相談した相手が
「不安なんだね」
と共感してくれてはじめて

これが不安なんだ
私いま不安だからモヤモヤするんだ

とその人はわかるのです。



彼が
仕事に対して
恐れや不安や焦燥感を抱いているとき

最初は
彼自身にもわけがわからず
これといった理由もなく
会うのを億劫がったり
連絡が途絶えたるするとして

「それほど忙しいんだね」
「ついつい焦っちゃうよね」
「ちゃんとできるか不安だよね」

という共感は
彼の問題そのものを解決はしないまでも

彼が自分の状態を知る、
知ることで不安や焦りがおさまる

ということはあります。

もちろん
彼がネガティブな感情を
絶対に認めたくないと
突っ張っている場合は

強い反発があるかもしれません。

その反発を恐れずに
彼女は〈共感〉を示せるかどうか。




こんなこと言ったら
わかってないくせにって
彼に嫌われるかも

とそう思うならそれは
まだまだ信頼が足りないのです。

彼に対しての信頼と
自分の感受性に対しての信頼が
足りないということです。




他者に共感するときに
何より大切なことは

いろいろな感情を
味わったことがあるかどうか

ということです。

知らない感情に
共感するのは難しいことです。
想像力だけで補うのは無理があります。

だからこそ
毎日の、
瞬間ごとの、
自分の感情を見過ごさないこと。

良い悪いではなく
こういう感情ってあるんだな
今自分はこういう気持ちなんだなと

感じること。
感じて受け入れること。
受け入れたらもう少し寄り添ってみること。

彼の気持ちを理解するって
きっと
そこから始まると思うんです。


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