恋するつぶやき

恋する不安が少しでも落ち着きますように。彼のキモチと彼女のココロについてつぶやくブログです。

March 2015

ネット上にある
いろんな恋愛相談を読んでみると、

不安が募って自爆しちゃって
別れたとか別れそうとか、
しばらく距離を置こうと言われたとか、
そういうのがたくさんあります。

今まさに悩んでる人にとっては
生きるか死ぬかの瀬戸際、崖っぷちです。

実際、
私が男友達などから
見聞きした範囲に限っていえば

男は彼女の自爆をあまり覚えていないし
そもそも「自爆」と思っていません。

彼女に泣かれたとか
なんかうまくいかなくて
こじれた程度に考えていたりします。

「俺が悪かったんだけどね…」
なんボソッと言う人も少なくないです。

そして男というのは
すごく寛容な生き物で、

昔のことをそうそう
ほじくり返さないようです。

時間を持たない彼らは、
水平線と地平線だけの世界に
生きているからなのか。

過去のことを
あれこれしつこく言うのは
女だけ。





そんなことも踏まえつつ、思うのは

「彼女が幸せでなければ男も幸せじゃない」

ということ。

行動を評価してほしい男にとって
苦しみに歪んだ彼女の顔を見ることは
何よりも自分への否定に感じるのではないか。

もしも彼が彼女に対して
「うざい、重い」と言ったとしても
それはきっと口だけのこと。

そんな彼女にしてしまった
自分を認めたくなくて、
好きな女一人も幸せにできない
不甲斐ない男だと認めたくなくて、

だから目を背けるのではないだろうかと。




でも自信がない女性は
そんな彼にさらなるダメ出しをしがちです。

つまり
「私が悪いのね…」
「嫌われて当然だよね、ゴメンね…」
という態度。

これがまた彼への
強烈なダメ出しになるわけです。

あぁまた彼女を泣かせてしまった。
明るい笑顔が好きだったのに。

悲しみに歪んだその顔、
そういう女にしてしまったのは自分。

彼は
無力感や自己嫌悪に耐えられなくなり
「キミを幸せにする自信がない」
「自分の気持ちがわからなくなった」
と言い出します。



不安で自爆しそうになる衝動を抑えるのは
本当に苦しいことです。

そもそも
「彼は私を好きじゃないの?」
という自信のなさから出発しているのだから
いたしかたないこと。




でも
「愛されたい」じゃなく
「愛する気持ち」から出発できれば

自分が彼の前でどうあるべきか
どうしたら彼を幸せにできるのか

そう考えれば
自爆したくなる衝動も
少しは抑えられのじゃないかなと 

そういう風に思います。


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人はストレスを感じたり落ち込んでいるときほど、強い欲求とか誘惑に負けやすくなります。

一番ダメなのは自己嫌悪とか自己批判。罪悪感や恥の意識が強ければ強いほど、欲求を抑えきれず、誘惑に負けやすくなることがわかっています。

「徹底的に自分にダメ出しした方が後で生きる」と思いがちですが、それは大間違い。まちがいや失敗をおかしたときに罪悪感や恥の意識を持てば持つほど、また同じ失敗をくり返す可能性は高くなります。

そして罪の意識から誘惑に負けてしまった場合、
「もうどうにでもなれ」
と、いつもよりひどい結果を招いてしまいます。ヤケクソでグダグダってことです。



ダイエット中の女性を集めてお菓子の試食をさせるという実験があります。

まず全員に「これ食べたら罪悪感を覚えますよね〜」と言っときます。そして半数の女性にだけ「あまり自分に厳しくしないで。ときには自分を甘やかすこともあるってことを忘れないでね」と温かい言葉をかけなぐさめてから、実験をスタートしました。

結果、温かい言葉をかけてもらった女性はお菓子をほとんど食べず、なぐさめてもらえなかった女性はすっごく食べてしまいました。ダイエット中だったのにもかかわらず。

「甘やかしたら意志が弱くなる」
という予想とは正反対の結果だったわけです。

つまり誘惑に負けそうなときに大切なのは、自分を許すこと。

「自分はダメな人間だ」という罪の意識を持つよりは、「そんなときもあるよね」と自分を励ます方が、意志を強く持ち、モチベーションを保ち、欲求をコントロールすることができるんです。

失敗をしたときそれを二度と繰り返さないために、落ち込んでいるときにヤケクソにならないために、最も大切なのは

〈自分を責めるのではなく、自分への思いやりを持つこと〉

自分を励ましてやさしくすることで、より強い意志で自己コントロールができる。同じ失敗をくり返さずに、より良い結果が得られる。最新の心理学でわかっていることです。



たとえば今、沈黙しているけど連絡したい衝動に駆られて苦しんでいるなら。

「私があんなことしちゃったから彼に嫌われちゃったんだ…」
なんて思えば思うほど、もっともっと連絡したくなります。

「でもあのときはああするしかなかったもん♪」
「仕方ない、私って重い女だから」
って自分を許してなぐさめた方が、感情的に行動したくなるのをコントロールすることができます。

甘やかすわけではなく、反省はしても罪悪感や恥は持たないようにすることが、自制心を強くするというわけです。




たとえばネット上の恋愛相談を読んでいると、
厳しい意見をズバッと言われた人が
「厳しく言っていただいて目が覚めました!」
とスッキリして解決した風で終わることがよくあります。

実はこれが落とし穴なんですヨ…。

強いストレスを感じて落ち込んでいるときに、一瞬で心を晴れやかにする手段は
「自分は変わるんだ!と決心すること」
だそうです。

変わろうと誓いを立て、新しい自分になるのだからこれまでと同じ失敗はもうしない、と希望に満ちてワクワクします。

でも残念ながら、これは長続きはしません。今までとはガラリと変わる自分や状況を想像して、一時的に興奮していい気分になっただけで、しばらくすると前よりひどく落ち込むのです。

そんな自分を嫌になって憂鬱な気分になれば、変わろうという努力もモチベーションもなくなってしまいます。

そして苦しみが続くことに耐えられなくなり、また「変わろう!」と決心だけしてハイになりたくなる…という悪循環にはまります。

これは心理学者によって〈いつわりの希望シンドローム〉と名づけられているもの。これが一番やっかいなんです。

自己啓発本が売れるのはこれかなと思っています。いろいろ悩んで本を読んで、なんとなくできそうな気になって「よし!やったるぞ〜」と思うけど結局大して変われない…また別の自己啓発本を読む……なんてこと、ありますよね。

だから、悩んで落ち込んで恋愛相談に投稿した人が、平手打ちみたいな意見をもらって
「そうですね!そのとおりです!私、もう吹っ切ります!前を向きます!ありがとうございました!ではさよなら!」
みたいな返信をしているときほど、危ないわけです。

それはいわば「変わりますハイ」に過ぎないんです。一時的な。ハイの後はウツが来ます。相談のその後の落ち込み、揺れ戻しがこわいんです。

そういう風に終えた相談のゆくえほど、だから私は気になっています(もちろん、本当にスッキリ吹っ切れた人もいるでしょうけど)。あの人どうなったかな〜って。

「今はまだ気持ちは整理できないけど、自分もやれるだけのことはやったし、少しずつこれからのことを考えて…」みたいに終われた方が、立ち直っていけると思えます。

その場だけ変わった気になってすぐに決めて行動するよりも、まずは自分を思いやって、ゆっくりゆっくり元気になってから悩みを解決する方が、長い目で見れば良いということです。



自分のこと、意志の弱さ、失敗、黒い気持ちを認めること。
そこに罪悪感や恥の意識を持ったりしないこと。
自己批判をしないこと。

自分を許して少しずつ少しずつ元気になって、立ち上がって、また前に進むために考えられるようになってはじめて、ビシッと客観的な意見が本当に役に立つときが来ます。

厳しくすること、叱咤することがムダなわけではないし、時機がくればちゃんと生きてくる。でも弱っているときは、役に立たないどころか逆効果なこともあるということ。

ストレスを感じているとき、弱っているとき、落ち込んでいるときに、そこからまた立ち上がるためにまず大事なことは

〈自分を責めるのではなく、自分への思いやりを持つこと〉

yesと肯定することです。
やっぱり共感です、まずは肯定。
そうしないとすぐにダメな自分に戻ってしまう。
ダメな男のところに戻ってしまう。
ダメな恋愛をくり返してしまう。

落ち込んでいるときほど、
まずは自分にやさしくしてあげることです。






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傷ついたとき
自己嫌悪でいっぱいのとき
「だけどそうせずにはいられなかったのだから」
と自分を肯定するのはとても難しいことです。

それでも「yes」と肯いていくこと。
してしまったこと、抑えられなかった気持ち、
そのひとつひとつに「yes」と言えるかどうか。

苦しいときほど大事なことです。



悩んでいるときは解決策が欲しくなります。
この苦しみから抜け出すためならば
どんなアドバイスもありがたいと思うものです。
なるべく具体的で客観的なアドバイスさえあればと。

胸のすくようなシンプルな解決策があれば
すぐさまそれを実行したいと思うでしょう。
それができればきっとうまくいく気がするものです。

ダイエット本や自己啓発本と同じ。

読んだそのときは、自分にもやれそうな気がします。
今までの悩みがその方法で解決できる気がします。

だけどそれが
否定することから始めたことだったり
感情をおいてけぼりにしたままだったら

しばらくはうまくいったとしても
半年後、1年後、
さらには結婚生活の5年後10年後、
もっと大きなリバウンドとなって
抑えきれない感情の爆発となって出てきてしまいます。

ほんの小さなできごとをきっかけに
深く傷ついたと泣き出して暴れ出すのは、

かつて自分が
「yes」と言ってあげられなかった自分です。




これ以上を求めたらダメになるとわかっていたのに
どうしても抑えられなかった気持ち。

信じなければとあれだけ言い聞かせていたのに
なくならなかった不安。

絶対に手放したくない恋だったのに
自分が壊してしまったこと。

「だからあなたはダメなんだ」と否定するのではなく
「こうするのが正しいやり方」と意見するのではなく

寂しくてもっと愛されたくて
底知れぬ不安を抱えた女の子の
いつも味方でいてあげること。

そのときはそれがせいいっぱいだったんだと
傷ついている自分に、
まず自分が共感してあげること。

うん。
いいよ。
それでいいよ。

「yes」と肯定する力はそういうものだと思います。




自分が「yes」と言えない自分に
彼が「yes」と言えるわけがありません。

自分の傷を、他人に舐めさせても癒えません。

誰よりも「yes」と言ってほしい相手は
彼でも友達でも家族でもなく
自分自身です。




一番苦しいそのときに
自分に「yes」と言ってあげることができれば

それ以上に役に立つアドバイスなどありません。
そもそもアドバイスなど、必要ないかもしれません。

肯定からスタートすれば
どんなやり方でも
次の恋はきっとちゃんとうまくいく。

そんな風に思うんです。

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台風が近づいてくると
鳥や動物や魚はもちろんですが
子どもたちの落ち着きがなくなります。

ぐずったり泣いたり叫んだり。

そして子どもたちより
もっとそわそわするのが、男です(笑)

父親、近所のおじさんおじいちゃん、
自治体や消防団の人たち、
とにかく見てると男というのは
台風が近づいてくるにつれ
なんだかんだと騒ぎ出します。

高波を見に行ってさわられたり
川の水位を見に行って足を滑らせたり
そういうのは圧倒的に男が多い気がします。

血が騒ぐんでしょうか?
野生の血が。

過去の記事でも
ことばを持たない男たちが
広い空間の中で〈今〉と〈存在〉だけを感じて
生きているんじゃないかという話をしましたが

やっぱりなんか男のほうが
本能のままに野生のままに
頭と心の中はからっぽのままで
生きてるような気がします。

いいことなのかわるいことなのか。
あの人たちはそういう生き物。

なんだかそんな気がします。




よくある恋愛の悩みの中で

「連絡が取れない」
「なかなか会えない」

というのがもっともやっかいなものです。

会えさえすればいくらでも居心地よくできるのに。
連絡さえくれればどれだけでも待てるのに。

ある日ぱたりと連絡が途絶えたり
忙しいばかりでいつまでたってもメドがつかないと

ほんとに
こちらとしては
どうしようもこうしようも
どうもしようもないのです。

ただ
感情を伝えあうためのことばを持たず
台風が来たらそわそわと落ち着かない
あの男という生き物に

「連絡して」

と言ったところで言うだけムダです。

なんだかそんな気がしてきました。



動物はことばなど持ってないけれど
大切なことはちゃんと伝えあっています。

彼らにだけわかる特別なうたで。

ほんとうは人間にだってあったはずだと
私はいつも思います。

こんなことを言うと
スピリチュアルの世界の人と思われそうですが
あえて言ってみます。

だって
空を見上げてみたところで
ケータイの電波が見えるわけじゃない。
 
ただこの小さな金属の塊の
画面に文字が表示されて
「これが彼からの愛のことば」だと
誰かがそう言うならそうなんだろうと
思い込んで受け取っているだけ。

それなら二人だけで繋がる
テレパシーがあったって不思議じゃない。
虫の知らせや以心伝心のようなもの。

もう彼のことはすっぱりやめようと
決心したときほど
ピロロロンとメールが来たり

別れた彼をようやく吹っ切って
新しい恋に踏み出したとたん
ピロロロンとLINEが入ったり

一度でも心が繋がった二人ならよくあること。

なんだかそう思います。



科学は万能じゃない。
心理学も行動科学も万能じゃない。

この不思議な宇宙の中の
ほんのさわりを紐解いてるだけ。

人のフェロモンは物質の特定すらされてないし
植物が何メートルもの高さまで
水を吸い上げる動力さえもまだわからない。

心理学より行動科学より、大切なことはたくさんある。

こんなにたくさんの人の中から
たったひとり、この人と出会ったこと。
なぜだかわからないけど大好きなこと。

頭で考えるのはもうやめて

野生時代に還ります。

コウモリのような思いやりで
ワニが生きたほどの悠久の時間を
ペンギンのように楽しくたくましく
クジラが月夜に歌うように

大好きなあの人を思いたい。

好きな人が今この瞬間、どこかの空の下にいる。
うれしくて幸せで気持ちいい。
ただそれだけのこと。


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もともと連絡無精の彼が沈黙してしまったら
そっとしておくしかない、
その沈黙には思いがあるのだから。

とは言ったものの、
ことばでの連絡がなくなってしまったら
会えもしない人とどう繋がるワケ?と
女としては思います。

結局私のことなんてどうでもいいのかな…とか。
彼は私がいてもいなくても一緒なのかな…とか。
彼にとって私ってなんだろう…とか。

というわけで
感情のことばを持たない男と
どうやって「つながってる感」を持つかという話です。

男女で脳のつくりが全く違うというのは
よく知られています。
詳しくは割愛しますが

男は空間認識能力、論理的思考、知覚能力
女は言語能力、感情の理解と表現、直感力

などを得意としているとされています。
(この辺テキトーです)

だから
「女は気持ちを〈ことば〉でやりとりしたい」
のです。
自分が得意だから、相手にも求めます。

でも男らしい男はそれがすごく苦手。

じゃあいったい連絡無精の男は、
自分の彼女の存在をどんな風に考えているの?
と疑問になります。

〈ことば〉が苦手で
〈感情〉も苦手だったら
そもそも恋愛なんてできないし、
連絡無精で会えもしないままじゃ
付き合ってるとさえ言えないじゃない!
とイライラしてきます。




かつて私が山登りに熱中していた頃、
星野道夫のエッセイが好きで、よく読んでいました。

星野道夫はアラスカで手つかずの大自然を撮り続け、
クマに襲われて最期を遂げたカメラマンです。

彼の書いた『長い旅の途上』というエッセイの中に
こんな文章があります。


子供の頃、自分が生きている同じ国で、
ヒグマが同時に生きていることが
不思議でならなかった。
例えば満員電車に揺られて学校へ向かう途中、
東京の雑踏の中を歩いているとき、
ふとそのことが頭に浮かんでくるのである。
 
今、この瞬間、
ヒグマが原野を歩いているのかと。
 
それを今言葉にすると、
すべてのものに平等に同じ時間が流れている
不思議さだったのだろう。

数年前、東京で忙しい編集者生活を送る友人が
ぼくのアラスカの旅に参加することになった。
わずか一週間の休暇ではあったが、
幸運にも彼はクジラと会うことができた。
 
ある日の夕暮れ、
ボートの近くに現れた一頭のザトウクジラが
突然宙に舞い上がったのだった。

クジラの行動が何を意味するかはわからないが、
それは言葉を失う、圧倒的な一瞬だった。

そのとき彼はこう言った。

「仕事は忙しかったけど、
本当にアラスカに来てよかった。
なぜかって? 
東京で忙しい日々を送っているそのとき、
アラスカの海でクジラが飛び上がってるかもしれない。
そのことを知れただけでよかったんだ」

ぼくには彼の気持ちが痛いほどよくわかった。
日々の暮らしに追われているとき、
もうひとつの別の時間が流れている。
それを悠久の自然といっていいだろう。
そのことを知ることができたなら、
いや想像でも心の片隅に意識することができたなら、
それは生きてゆくうえで
ひとつの力になるような気がするのだ。〉
       
 
何度くり返し読んだかわからない本ですが
私はついぞこの文章を体感することはありませんでした。
今読み直しても、そうかなぁ〜と思うだけで
実感としてとらえることができません。

でも男はもしかしたらこんな風に、
〈彼女の存在〉を感じているんじゃないかと
あるとき思いました。

空間を把握することに優れた男は、
目の前にない多面体を想像して数式を解いたり、
まだ見ぬ巨大な建築物の設計図を書いたりできます。

ロープなど張っていない場所でも
オスは自分の縄張りがどこまでか、知っています。

だとしたら、連絡無精の彼は
目の前にいなくてもたとえ海の向こうにいても
〈彼女〉という存在を感じているのかもしれない。

つまり男というのは、
遠くのヒグマやクジラに、海を越えて
思いを馳せることができる生き物です。

私たち女には想像もできないようなこと。

自分にとって印象深いものや大切な存在を、
たとえどれだけ離れた場所にいようと
どんなに連絡を取らない日が続いていようと、
ふと感じることができているのではないか。

それがことばを持たない彼らにとっての
コミュニケーションなのかもしれない。



それともうひとつ大事なことは
彼らが「同時刻」で感じているということです。

星野道夫も編集者も
「今この瞬間にヒグマが原野を歩いている」
「忙しい日々を送っているそのとき」と。

このあいだの旅行のとき見たなぁと
過去を振り返って思い出しているのではなく、
今このときに、同日同時刻の存在として感じているんです。

過去とか未来とか、
二人の付き合いの歴史にばかり目がいきがちな女とは、
やはり全然ちがいます。

今。
今この瞬間。
まさにこのとき。

過去にどれだけやりとりがあったかなんて
彼らには関係ありません。

自分が存在している、
それと同じように大切なものも存在している。
今この瞬間、同時に。

それが生きていく力になる。

連絡無精の男の気持ちは
そんなようなものなのかもしれない。

ぼやぼや〜と。
もやもや〜と。



女の心の中は、言葉と時間でできています。
彼との思い出や彼の将来に思いを馳せる。
連絡が来るまでの日数を数える。
いろんな思いを言葉で伝える。
頭の中で
時間を超えて自由に行き来できるのが女です。

でも男の心の中は
水平にどこまでも広がる空間がある。
その中に自分のテリトリーがある。
立体的に空間的に考える。
そして大切なものがただそこに存在している。
言葉も時間もなく、今があるだけ。
頭の中で
空間を自在に行き来できるのが男です。

時間と空間。
言葉と存在。

そうやって縦軸と横軸をそれぞれに埋めていくと
ちょうどいい具合に二人の世界ができていくのかなと
そんな風にも思います。



だから、連絡不精の彼と
会えもせずメールやLINEもできないという状況で

だからといって別れる決心もできず
ワガママも言いたくないし
破壊行動みたいなことはしたくない、

でもでも彼と私の関係って……?

と不安になったときは
彼の沈黙をことばで破壊するのではなく

広い空を見上げて
今この瞬間、彼という人が
同じ空の下に存在しているんだな〜
 
がんばって〜
会いたいよ〜


海で跳ねるクジラを思うように、
原野を歩くヒグマを思うように、

彼の存在を感じてみれば

星野道夫がエッセイに書いていたことも
連絡無精の彼のつながり方も
少しはわかるような気がしてきます。



長い旅の途上 (文春文庫)
星野 道夫
文藝春秋
2002-05



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〈沈黙こそが人の本質である〉
という吉本隆明の言葉を出したのですが、
少しつづきがあります。


晩年の吉本隆明の仕事を支えた糸井重里が
この〈沈黙〉という考え方について
書いているコラムがあります。


人間が生きていくための武器というのは、
実にいろいろあるように思えるけれど、
煎じ詰めれば
〈ことば〉につきるのではないか。

ことばをうまくあやつれるものが力を持ち、
ことばをうまく使えないと、
生きていくことがとても難しくなる。


これは恋愛についても言えることで、
口ベタな男、連絡不精な男はつまり
「恋愛をすることがとてもむずかしくなる」
ということになります。

糸井重里は、いうまでもなく
日本を代表するコピーライターで
ことばの力を最大限に利用して
生きてきた人です。

その糸井重里がこうも言います。


(ことばが)剣よりも強し、ということは
剣よりもちからを発揮できるということで、

それはそのまま、
他者の自由を妨げることのできる武器だ。

〈ペンは剣よりも強し〉には
〈だから、武器よさらば〉と続けるべきだ。


あれだけことばを自由に操ってきた人が、
「ことばは諸悪の根源とも言えるのじゃないか」
と言うわけです。

なぜならことばは
武器として人を動かし、傷つけるから。



特にことばをうまく使えない人にとって、
ことばは何よりも強力な、
自分に向けられた凶器のようなものです。

口ベタで連絡不精な彼に対して
「話し合いたい」
「なぜ連絡をくれないの」
「もっともっと連絡がほしい」
と女が迫ることは
研ぎ上げられた剣でもって、
彼を脅していることと同じです。

そのくらい、ことばの力というのは強いもの。



では人はなぜことばを使うのか。
吉本隆明はこう言います。


ことばというのは心を伝えるものではなく
〈価値〉を生み出すものである。
その人の本質とは
全然関係のない価値を生むための、
いわば経済的なものだ


ことばは、
発した人に価値を与え、利益を生み出すもの。
ほんとうの自分より良く強く見せるもの。

いい人だと思われたい。
気に入られたい。
感謝の気持ちを伝えたい。
相手を説得して思い通りにしたい。
関係を継続させたい。

この社会で今のところ
最も大きな価値を生む武器がことばです。



でもその人の本質とは関係ない。



強い力を持っているということと
真実であるということは別。

そして吉本隆明の言葉が続きます。



その人の〈ほんとうの思い〉というものは
言葉にしてもしなくても、
変わらずその人の心の中にある。
〈沈黙〉の中にこそあるのだ。



愛してるから話し合いたいということは
「ことばという武器を持って決闘する」
ということ。

好きなら連絡くれないのはおかしいというのは
「心があるなら武器を使って私を組み伏せろ」
「ほんとうの思い以上の価値を見せろ」
ということ。

ことばという武器で
彼の自由を妨げようとする。

おかしなことですよね。好きな人なのに。




〈ことば〉を自在に使える女は
同じ武器をもって同じ土俵に上がれと
好きな人に迫ります。

でも〈ことば〉が武器にはならない彼の
ただひとつの武器はたぶん、彼の拳です。

彼は大事な人にそれを絶対に使わないのに
女はなぜ自分の刃を彼に向けるのか。

好きな人が
〈ことばという武器〉を使おうとしないなら
私も〈武器よさらば〉と言いたい。

好きな人がいま〈沈黙〉しているということは
私の心を操ったり、自分を良く見せたり、
言い訳したりするということを
今、彼はしないということ。

好きな人が黙ることを選ぶなら、
今はそれを尊重したい。




糸井重里はまたこうも言います。


ぼくの好きな人や出来事を、
ぼくがどうして好きなのか、
どんなふうにしてそれらを尊敬しているのかが、
〈沈黙〉というところから考えると
よくわかるのだ

勇気も、優しさも、謙遜も、
この〈沈黙〉というものの発見から、はじまる。


私たちは好きな人に
〈ことば〉を求めすぎてしまいます。

剣にも武器にもなるものを
愛情の証だと思って欲しがります。

でも〈沈黙〉の中にある、
その人らしさに思いが至れば

メールがない、電話がない、LINEの返信がない、と
ことばがないことばかりを考えるのじゃなく

今ふたりのあいだには〈沈黙〉という
人の心にとってもっとも大切なものが
存在しているのだ

と、
そういう風に考えてみることが、私はあります。

いつもじゃないです。
ごくごくたまーーーーーに、です。

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今日は
〈沈黙してしまった彼の気持ち〉
について書いて見ます。 

ラブラブ期が終わってテンションが低くなった頃
なんとなく反応が悪くなってくる、アレです。


…ハイ。

批判・反感はごもっともでございます……
こんな男ダメですよね……
次探したほうがいいですよね……

でもこれ、けっこうイイ線いってると思うんです。
男の気持ちなんて、
だいたいこんなもんじゃないかなーと。




おととし亡くなった吉本隆明が遺した思想の中で


ことばのいちばんの幹は沈黙にある。

人間らしさというのは何によって決まるか、
それは〈沈黙〉である

外側からは沈黙と見えるとき
人は自分自身に何かを語りかけている

それがその人の〈ほんとうの思い〉なのであり
それこそが、その人の本質である


というものがあります。

戦後最大の思想家と言われた吉本隆明の考え方の中で
私がもっとも好きな、
そしてもっとも共感できると思うものです。

本当にしあわせなとき、
人は「しあわせー」とは言わず
言葉もなく胸が詰まってしまうものです。

心から感動したとき、
人は「感動した!」とは言わず
言葉を失ってひたすらその感動に全身で浸るものです。

復縁を願って沈黙しているとき、
その女性の心の中には
彼への強い思いが詰まっています。

沈黙は外側から見れば〈無〉に見えるけれど
その人の心の中は無どころか
たくさんの思いにあふれていて
もっともその人らしい気持ちが湧き上がっている。

今、沈黙してしまった誰かの好きな人も
きっとそうじゃないかと思うのです。




沈黙にほんとうの思いがある、ということ。

言葉も行動も、幹についている葉のようなもの。
いいも悪いもその人とは関係ない。

その人の根幹は〈沈黙〉にあるのです。





男というのは
とにかく何かあるとよく黙る生き物なのですが

好きな人が黙ってしまって打つ手がない女は
つじつまの合う理由をさがし、
納得できる結論を欲しがります。
言葉で。
言葉ばっかり。

とにかく彼の気持ちを表す〈ことば〉を探すんです。
自分が納得するために。

でも男の気持ちは女が考えるほどには
〈ことば〉にはなっていないのだろうと、私は思っています。

男の気持ちというのはもっと

ぼやぼや〜
もやもや〜

とした
とても曖昧な、
つかみどころのないものなのではないかと。



問い詰めて全てをつまびらかにしたい女と
どうしても上手に言葉にできない男の話し合いは
つまりこんな風になってしいまいます。

「私のことどう思ってる?」
「♡♤♤♥♠……………………」

「それってもう好きじゃないってこと?」
「▲□○■●△×◆□▲…………………」

これではらちがあかないと
たいていは女がしびれを切らして
キレるか泣くか、去ってしまうわけです。



次の幸せにつながるのなら、それでもいいと思います。



でも
メールとメールのあいだの〈沈黙〉や
言葉と言葉の〈間〉にこそ
ほんとうの彼がいる。

だとしたら
黙ったままうんともすんとも言わなくなった今このときこそ
彼が自分自身と静かに語りあっているのだと思えば

少しやさしい気持ちで
こちらも黙って待ってあげられないかなと

いろいろな相談を見ながら、ときどきそう考えています。

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たとえば
彼との仲がこじれてしまって連絡がない…
彼のようすがなんかおかしい冷めてるかも…

というときに
〈どうやらその原因は彼女にあるらしい〉
ということがあります。

求めすぎた、試してしまった、
ルールを決めすぎた、信じられなかった、
感謝しなかった、満足できなかった

そんなときには
「そんなことしでかしたなら彼が冷めて当然」
「うんざりした彼は顔も見たくないはず」
「どうして感情をコントロールできないの」
という、たいへん率直な、
時には辛辣すぎるコメントが飛び交います。

確かにそれはまったくそのとおりです。

だから彼女も心から反省して
そういえば彼なりによくしてくれてたと後悔して
できるものならばやり直したいと
ようやく気づきはするものの、時すでに遅し。

ほとぼりがさめて彼から連絡があるのを待つか
復縁を願ってひたすら沈黙するか
あきらめて次の出会いを探すか。

でもそのときに
一番しなければいけないことはきっと
「自分の心の中を見つめること」。

相手を変えたって
恋愛指南書を読み込んだって
表面的に居心地よく振る舞ったって

その強い不安とどうしようもない自信のなさを
自分でなんとかしなければ

きっとまた同じことを繰り返すだけ。



たとえば
彼は彼なりに応えようとしてくれていたこと。
じゅうぶんに愛情を示してくれていたこと。
わかりにくいけど優しかったこと。

彼が冷たくなり去りかけた今になってみれば
くっきりと当たり前のように見えてくるものが

なぜそのとき、まったく見えなくなっていたのか。
信じられなかったのか。

目を曇らせて彼の姿を見えなくしていたものは
心にある不安や自信のなさ。

それは性格や人格とは関係なく
人間としての成熟度とは比例せず
まして愛される女として失格であるはずもなく

なんとか幸せになりたいと生きてきた中で
知らず知らず積もってきたもの。
きっと誰もが多かれ少なかれ抱えているもの。

他人から非難されるものではなく
自分で自分を責めるものでもなく
本当は、
ただ優しく癒やすべきもののはず。

でなければそれは
新たな不安や自信のなさとなって
魔物をいっそう大きく育てる餌となって
次の恋の邪魔もするからです。



反省会は一度でじゅうぶん。

自分のしてしまったこと、
膨らみすぎて持て余した感情を
自分でしっかり省みることができたら

こんなに大好きな人なのに
あれほど大事な恋だったのに
不安や自信のなさに耐えられず
衝動的にどうしてもそうせずにはいられなかった

そんな自分をまるごと抱きしめて
かつて傷ついた場所にそっと手を当てて
大丈夫大丈夫と優しく言ってあげること。

それからもうひとつ、
大好きな彼が見せてくれた愛情まで
自分の失敗と一緒に否定しないこと。

失敗してしまったからといって
たとえその恋が終わってしまったって

彼と過ごした幸せな時間が
全部なかったことになるわけではありません。

それは他のどんなものよりも
これからの関係の、次の恋の、
自信になるはずのものだからです。




恋をしている女にとって
「すべては変わっていく」という言葉は
まことに無常で切ないものです。

でもこの言葉は、
正しいけれど真理じゃない。

すべてのことは変わるけれど、必ずまた巡ります。
今が冬なら春が近づいてる。
夏が来たなら冬が待っている。

どんなに失敗しても
次の恋に必ずまた出会えるし
彼との関係がまた新しく別の形で始まることもある。

今が幸せだってそれもまた巡っていく。
どんなに良い関係でも時には壊れかけ
繋ぎ合わせてまた築ける。

だからこそ
その日のために
これからの彼との日々のために
次の新しい恋のために

心の中を整理しておくこと。

不安は燃やして灰にしてしまうこと。
ささやかな自信の火を灯すこと。

甘やかすのでなく傲慢になるのでもなく

ただ傷ついている自分に気がついて
そんな自分にもっともっと優しくなれればと

そんな風に思います。

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男というのは社会とのつながりの中で
「オレはオレである」ということを
確認するのだそうです。

自分が自分である証を得られなければ
「何者でもないからっぽのオレ」が残るだけ。
からっぽのオレには、
もちろん恋愛なんてできません。

仕事という形で社会とつながっていなければ
自分という存在が崩壊してしまうのだとしたら
それはそれは怖ろしいことだろうと想像します。

社会に受け入れられないと感じた青年は
「自分が崩壊するくらいなら、この社会を切り裂いてしまえ」と
無差別に人を刺し殺したり、
バスをハイジャックしたりします。

あるいは、
社会とのつながりが途切れそうになった中年は
「崩壊する自分を見るくらいなら、
 いっそ先に捨ててしまえ」と
家族を捨てて失踪し
名前を捨ててホームレスになったりします。

役割がなければ生きられない、それが男の宿命。

エリートでもクリエイターでも投資家でも
資本主義の歯車として泥のように働く
しがないサラリーマンでも
その宿命の重さ尊さは等しく同じです。

役割は男によってそれぞれで、
「仕事はぼちぼち、でも彼女を大事にするボク」もあれば
「仕事も家庭もバッチリ完璧にケアするオレ」もあり
また多くの普通の男は
その両方をほどほどのバランスでこなしています。

良し悪しではなく
そういう役割を選んだ男だというだけのこと。
愛情の深さとは関係ありません。
思いやりや優しさの度合いとも関係ありません。

マメな彼だから
すごく愛されてますと言うのは浅ましい驕り、
 
仕事優先の彼だから愛されてないと思うのも
筋違いなひがみ。

うらやましがることでも、
ましてひけらかすことでもなく、
どちらも根っこは同じものです。



終わりのない成果主義のピラミッドの中で
しのぎを削っていたり
繁忙期、トラブル、部署異動、就活、
資格の勉強、転職だったり
 
そういうときの男は

時には社会を切り裂きたくなるほどの
不安と恐怖を感じながら
一方で、自分ならやれるはずだ
やってみせると期待しつつ
なんとか生き残るために必死になっている。

宿命に追われるように
押し出されるように旅立つ、
それが男の冒険。

大げさかもしれないけれど、
そんな風に思えることがあります。

だからといって、
忙しい彼に放っておかれても
女は辛抱して黙って待つべき、
などと言うつもりは決してなく

ただ、冒険に出ることを宿命づけられた男を
大らかな思いやりと慈愛でやさしく見守る力もまた
女には生まれつき備わっているのではないかと

そして
小さな島で女の機嫌をとることに甘んじる男より
冒険に出るだけの勇気と力を持つ男にこそ
待つだけの価値はあるのだと考える女がいてもいい。

満身創痍で冒険から戻ってきた不器用な男を
抱きしめてやりたいと思う女がいてもいい。

そんな風に思うんです。


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